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2002年3月分


2002.3.29

コンピュータ社会にドップリと浸かっている?!

確かに、仕事の面ではコンピュータ無しにはやっていけないだろう。現在は離れてしまっているが、私は元々コンピュータ関係の仕事から社会人をスタートしている。コンピュータといえば、まだまだ一般の人々にとっては「難しいもの」だとか「技術者のもの」というイメージを抱かれていた時代である。したがって、多少なりともコンピュータをいじることができる人は、特別視されていた。

私は、専ら売る方が専門であったから、コンピュータそのものの構造や理論は分かるが、実際にプログラムを組んだりすることに関しては、まったくの無知である。以前は、コンピュータ関係の営業と言えば「楽な」業種のカテゴリに入っていた……と思う。というのも、現在と違ってお客の側にそれほど詳しい人材もいなかったから、営業マンが「大丈夫です!」とか「できます!」と一言言えば割と簡単に信じてもらえた。

おまけに商談の要所要所には、技術者(SEというすでに使われなくなってしまった言葉だが)を同行させ、もっともらしい能書きをたれることによってさらにお客を鉄壁の理論で囲い込んでいけた。営業関係の人間の中には、コンピュータを自分ではまったくいじれない人間、などというのがゴロゴロしていた。巨大企業IBMのなかですら、まともにコンピュータを使える営業マンは二十代(当時)の若手の何割かであった。

それはそれとして、十年近く前に巨大プロジェクトとして立ち上げられた「WAN」や「LAN」の構築に立ち合ったが、当時としては画期的、日本では最初の、などという輝かしい形容詞も、現在のインターネットの普及に伴う世界的なネットワークの前では、陳腐なものでしかない。

こうして、世の中のネットワークやコンピュータ化が進んでいく過程を目の当たりにしてきた私だが、私個人が自分のコンピュータを手に入れたのは、僅か数年前のことである。終始コンピュータと関わる日常を送っていると、プライヴェイトでコンピュータに触ろうなどという気は起きなくなってくるのだ。せいぜいが年賀状などの宛名書きに使うくらいで充分なのだ。

事実、インターネットという言葉が普及してしばらく経った頃にコンピュータを購入したのだが、それからも1年以上は、そんなワープロの替わり的位置付けは変わらなかった。インターネット上にホームページが溢れ、大抵の情報が手軽に拾えるようになってはじめて、私はネット社会への接続を始めた。先ずは、様々なページの掲示板に出入することから始まり、当時ハマっていたバスフィッシングのホームページを作るに至る。

このページは、現在でも存在はするが、更新がストップして久しい。更新が頻繁であった当時は、結構人気のあるページで、訪問者数もこのTextよりもずっと多かった。私は、天邪鬼なところがあるから、メールや掲示板を通じて様々な質問(つりに関するあらゆる事柄)が寄せられるようになると、リ一義に答えるのだが億劫になってしまう。そうすると掲示板やメールの書き込みが減っていく。そのうちつりへの興味も薄れて、ページの更新も滞っていく……という典型的なパターンで、閑古鳥の鳴くページの出来上がりだ・

現在の私とコンピュータの関わり方を見てみると、十年近く前に戻りつつあるようだ。会社では、仕事およびプライヴェイト(このページを作っていること)でネットとは繋がっている。どこかのページや自分のページの掲示板に書き込むのも会社のコンピュータからだ。ここ数年、年賀状も出していないから、我が家のコンピュータは、一年のうち98%は眠った状態にあると言えるだろう。

家ではコンピュータを使う必要性は殆どないといっていい。結婚当初は、せっせと(とはいえ、月に一度まとめてだが)家計簿などをつけていたのだが、それも半年もしないうちに止めてしまった。あとは、夫婦の間で共通の調べ物がある場合に、ネット接続をして調査する程度だ。ネットを彷徨う暇があれば、ビデオを鑑賞するか本でも読んでいた方が余程楽しいと考えるような人間なのだ。

私の周囲には、ことのほかそういったタイプの人間が多い。だからネット上で、趣味がネット・サーフィンです、なんていう人がいると、同じサーフするなら本物の波に乗れよ、などと思ってしまう。

あれば便利だが、無くても困らない。アラブ人の石油のような位置付けでしかない、私のコンピュータ感だ。


2002.3.28

議員辞職は、政治責任か? 個人責任か?

彼女の罪状は、秘書の給料として税金をかっぱらっておいて、別の目的に使ったということである。政治家としての責任というよりは、個人としての責任であるはずである。要は税金を「詐取」したのである。得意顔で他の議員に突っ込んでいたというのに、いざ自分の罪が明るみに出た途端、突っ込みの対象となっていた議員と全く同じ対応を撮っていたことは滑稽である。

ましてや、辞職会見。終始ニヤニヤ笑いを浮かべ、最後は自分のことを棚に上げて、自分が辞めたから奴らも辞めろ、と論旨を摩り替えるに至る。これもアピールのつもりなのであろうが、どう好意的に見ても「負け犬の遠吠え」「鼬の最後っ屁」であった。政治的な責任をとるならば、社民党をも辞めるべきであったと誰もが思ったことであろう。

社民党は、政治資金の透明性をより強くアピールしていく方針だそうだが、北朝鮮・パチンコ業界という強く暗い繋がりに目を瞑ってそんなことをしゃべってもらっても、何のリアリティもないのである。

与野党ともに、予算審議の場でこんな政治家たちの証人喚問などして欲しくない。問題解決のための小委員会などを立ち上げて、そちらの方で徹底的に調査を進めるべきであろう。本会議は本会議で進めていくべきである。話し合うべき事柄は、山積しているのである。

政治不信は、国家への不信に繋がる。


2002.3.26

自分の使い分け。

一人称で、自分を何と呼んでいるか? 「私」「俺」「僕」……。よく考えてみると、相対する人によって巧妙に使い分けをしていることが分かる。おそらく、誰でもそうだろうと思う。

たとえば「私」。目上の人、上司や年長者などにはこれを使う。お客様だとかにもこれだ。初対面の人や、あまり近くない人に対しても使う。ある意味丁寧だが、別の角度から見れば非常に余所余所しい態度の表明である。そういえば、このHPでも「私」と自分を表現している。これは当然である。私の場合、身内だけでなく親しい者にもHPを運営していることは伏せてあるから、ここを訪れる方々は、私からしてみれば皆さん初対面であり、知らない方である。

メールなどを頂いて、何度かやり取りをして打ち解けてくると「私」は「僕(あるいはボク)」に変化する。まぁ、滅多にあることではないが……。

たとえば「僕」。これは相当親しい間柄、身内だとか奥さんだとかに対して使う。両親や親戚(叔父・伯父・叔母・伯母)、特に自分よりも年上の人に対しては、まず必ずこの「僕」を使う。奥さんについては、間柄は対等なのだが、なぜかこれを使うようになっている。付き合い始めてからしばらくして、私が「僕」と自分を呼ぶことが好きだと言われたからだろう。非常にナチュラルだが、気を許せる人にしか使わない、結構特別な位置付けの一人称だ。

私が大好きな小説家、大藪春彦は、エッセイやインタヴュなどで自分を「僕」と表現していた。

たとえば「俺」。非常に近い友人(4〜5人程度)や身内(弟やイトコたち)などに使う。主に同年代や年下の人々に対して使うことが多いようだ。これは「私」と対極にあるといえる。ある意味非常に乱暴で横柄だが、別の視点では非常に親しみがこもっており、親近感を表明しているのだ。よく使うようでいて、実はあまり使わない一人称だ。

下心のある女性に対しては、まず絶対に使わない。これがどうでもよい間柄、つまり「お友達」以上には発展しない、あるいはさせない間柄の女性になると、頻繁に登場することになるのだが……。

いわゆる体育会系出身者の十八番と思われている「自分」。私は人に対して使ったことがないない。全く縁のない一人称だ。お気に入りのHPの管理者の旦那様は「俺様ちゃん」という一人称を使うらしい。これはお洒落で可愛らしい。私が使えば全く似合わないだろうが、一度は使ってみたい一人称だ。江戸っ子らしい「あっし」。「私」が訛ったものだろう。これは割と頻繁に使う。「じゃ、あっしはこれで……」と言って会社から帰宅することにしている。いわゆるトレードマークみたいなものだ。

自分を表現する一人称。たくさんあるようでいて、実はあまり種類は無い、使っていないようだ。


2002.3.22

危うく火事を出すところであった。

一昨日の晩のことである。良いハツ(牛)を買ったので、久しぶりに炭火焼で食べよう! ということになった。いつものとおり、五徳に炭を入れてガスに掛ける。しばらくするとパリパリ・メリメリという小さな音共に炭に火が付いた。七輪に炭を移し、バタバタと煽る。五徳はプランターの土の上に安置する。さらに炭を七輪に足し、猛然と煽る。しばらく煽りまくると、炭全体に火が移ってくる。

金網を乗せて、はじめは猛烈に辛いチョリソーからだ。私が肉を焼いている間に、奥さんは付け合せの野菜をセッティングする。チョリソーがいい具合に焼けてくると、金網の端に寄せ、いよいよメインのハツを乗せる。全体的に脂が少ないため、表面が乾き気味になってしまうのは致し方ない。何しろタレで食べるよりは塩で食べる方が数段美味いのだ。

あっという間に焼き上がり、楽しく食卓を囲む。付け合せの野菜は、大豆もやしのカレー炒めとナスの素焼きだ。これにバーボンは、抜群に相性がよい。または日本酒も捨て難い相性の良さを持っている。

そんなこんなで食事も終わり、寛ぎの時間も終わり、そろそろ寝ようか? と思い、夫婦揃ってベッドで読書の態勢に入ろうとしていたときである。突然柔らかい音を発する呼鈴。誰かと思って覗き窓から確認してみると、なんとなく見覚えはあるが、知らないおじさんが立っている。3秒間考えた挙句、ドアを開いた。

「こんばんは。上の階の者ですが、お宅のベランダから随分煙が出ているようなんですが?」

「ああ、すいません。先程炭を使って、火が消えるのを待っているんですよ」

「そうなんですか。ならば安心です。火事かと思って……」

「ご心配かけました」

という会話が交わされた。一瞬にして嘘がつける自分の機転の利きに感心しつつも、ダッシュでベランダへ出てみた。これは上の階から、何か言ってくるはずである。脂や肉片がついた金網を焼こうと思って火かけたままにしてあったが、そんな言い訳は通用しないほどの煙の酷さである。まさにモクモクと白煙が上がっているのだ。しかも七輪からではない。元をたどってみると、五徳の下からである。

ご存知のとおり、炭に火をつけるためにガスにかけた五徳は、真っ赤になるほど熱くなる。分厚い鉄が真っ赤になるのである。相当な温度になっていることであろう。しかしである。五徳は確かに土の上に置いてあり、プラスティック製のプランターには触れていない。煙の出所をさらに検証してみると、プランターの下側からではないか。

このようなことを考えたり検証したりしつつ、ジョウロに入っていた水で一気に消火活動に入る。プランターを移動させると、ゴッソリと底が抜けている。プラスティックが融けているのだ。落ちてくる土は真っ黒に炭化している。プランターのあった場所には集中的に水をかける。下の木製のデッキは、見事に焦げて、直径25cmほどが炭となっている。

そうこうしていると、移動したプランターからまだ煙が出ている。上から水を大量にかけたのだが、まだ鎮火していないようだ。よく観察すると、抜けた底の方から煙が出ている。プランターを横にして、穴の中に水をかける。消火活動開始から約10分。ようやく完全鎮火を確認した。

今回のボヤ騒ぎの原因究明のために、本格的な現場検証に入った。

原因の最大のものは「異常乾燥」である。この冬続いていた異常乾燥が、プランターの中の土を完全に乾燥させてしまったのだ。オマケに、昨年の晩夏に植物の育成に失敗して以来、このプランターの土には一切水分の補給が無かったのだ。おかげで、そこらの地面以上に猛烈な乾燥状態に置かれたプランターの土は、私の想像以上に乾ききっていたのだ。翌日、土を捨てるために再び観察したが、既に端の方から乾き始めていた。もちろん、出火したのだから土自体に熱を持っていたこともあるが。

第二の原因は、土に混ぜ込んだ「肥料」である。いわゆる腐葉土と呼ばれる類のものである。タップリと栄養を蓄えた枯葉の腐ったもので、カブトムシの幼虫のご飯になるヤツだ。一般に売られているときは、充分に水分を含んでいる腐葉土も、前述の異常乾燥でカラカラになっていたのだ。これを土の中に満遍なく混ぜ込んであったのだから、赤く熱した鉄が触れば火が付くのも当然であろう。

やはり気づくのが遅れれば、大きく炎を上げた可能性は否定できない。危うく多くの人々に多大な迷惑をかけるところであった。上の階の方に感謝である。

この腐葉土の燃え方であるが。以前読んだ寝タバコによる出火の様子に酷似している。タバコを落とした布団の表面は、直接タバコが触れた部分しか変化(焦げ跡)はない。しかし、中の綿は真っ黒に炭化し、最終的にはタタミに引火し、タタミも同じように燃え広がり、根太に引火するのだ。今回のプランターも、表面上は何の変化も見られなかったが、五徳が置いてあった場所を中心に、下へ横(斜め下方向)へ燃え広がっていた。

通常、火というのは下から上へ燃え広がる、というイメージが強い。しかし、こういった布団や土のように空気は充分に無いが、強い火力(言い換えれば高い温度)に晒されると火元を中心に下方向へ燃え広がるようである。火への知識を新たにした一瞬である。

こうして現場検証を終了したのだが、今回の事件で特筆すべきは、我が奥方である。半覚醒状態であったとはいえ、消火活動及びその後の現場検証、再出火防止のための見張り(鎮火後1時間30分)にまったく参加しなかったのだ。一応起き出してきはしたのだが、呆然と立ち尽くしたまま「どうしたの?」の連発である。このような場合、全く彼女がアテにならないことを再確認した瞬間でもあった。

まぁ、何にせよ、大事に至らずホッとしている。


2002.3.19

最近、注目の音楽。

滅多に邦楽を聴かない私なのだが、週末車で移動することが多いから、FMから流れてくる音楽を聴くとはなしに聴いている。そうなると、当然だが邦楽の割合が高くなってくるのだ。洋楽もあるにはあるのだが、私の嫌いな「打ち込み」系R&Bが大半で、何を聴いても同じに聴こえてくる。何を聴いても……というところは、殆どの邦楽にも当て嵌まるのだが、そんな中でいくつか印象に残っている人々がいる。

その1「エゴラッピン」。大ヒット中の『色彩のブルース』は、ジャズ好きな私が聴いても非常に印象的だ。意識してレトロな雰囲気を作っている「音」は、カッタルそうな味のあるヴォーカルにマッチしている。元々ドラムスのブラッシュ音(ステックの替わりにブラッシュという、金属のブラシを使う)が大好きなので、この曲の印象を一気に高めている。本当は随分と前から活動しているのは知っていて、彼らがインディーズで活動中にCDを購入しようとして失敗した経緯がある。そういった意味からも、メイジャーで活動するようになってCDが入手しやすくなったのは良かった。その分、広く知れ渡ってしまうことに、自分だけ知っている楽しみはなくなってしまった。

その2「オレンジ・ペコー」。紅茶の葉の種類からとった名前だろう。曲名は忘れてしまったが、やはり現在ヒット中の「3拍子の曲」が、大変に印象的だ。こちらもどちらかといえば、かなりアコーステティックに寄った音作りで、印象を高めている。前述のエゴラッピンよりも、元気の良い歯切れの良いヴォーカルが曲の感じにマッチしていてお気に入りだ。何より3拍子というところが最もインパクトがある。

3拍子といえば。ジャズの世界でも古くから取り上げられているリズムで、スウィング・スタイルの3拍子は最高にゴキゲンだ。最も有名なのは「Someday my prince will come」だろう。その他にも「Alice in wonderland」や「My favorite things」など好きな曲を挙げればキリがない。特筆すべきは、ウェザー・リポートの変形6拍子の「D♭ waltz」だろう。4+2拍子のリズムは、非常にスリリングでファンキーだ。

話は逸れて行ってしまったが。

その3「東京スカパラダイス・オーケストラ」。このグループだけは、デヴュ当時から聴いている。スカのリズムが好きだし、音楽的にしっかりとした技術やポリシーが彼らの人気を裏付けている。最新の奥田民生がヴォーカルに参加している曲も良いが、他の全ての曲が私的には好きである。

書き出してみて分かったのだが、現在注目のアーティストは、たったの3組であった。


2002.3.18

以前にバリカンを購入したことは書いた。

それ以来「床屋」には出入していない。既に1年以上の期間、自分で髪の毛を切っている(刈っている)計算だ。はじめのうちは慣れぬこともあって、随分と時間がかかっていたが、今では約15分で坊主頭のできあがりだ。かなりの進歩である。コツは「思い切り」だ。一気に前頭部から後頭部まで、一直線にバリカンを入れていく。それを繰り返して、襟足やモミアゲ、耳の周りなどの微調整をすれば良いのだ。床屋でのメンドウな待ち時間や好みのヘアスタイルを伝える煩わしさは無い。

このバリカン作業、傍から見ていると随分楽しそうに見えるらしい。我が奥方も、ご多分に漏れず興味津々で見守っていたらしい。一年以上も。金曜日の夜、久しぶりに頭を刈ることにした。このところ色々忙しくしていたから、髪の毛も大分伸びてきていたのだ。

「私にやらせて欲しい」

という奥方の申し出があった。一年以上も見るだけであったのだから、いつかは言い出すだろうとは思っていた。非常に簡単だから、もちろん私は快諾した。これが間違いの元・悲劇の元凶であったとは、さすがの私も気づかなかった。

先ずはバリカンのゲタを6mmにセットして、髭を刈る。これはカーヴしているところも多く、地形的に微妙な調整を要するから、私自身が刈った。続いてゲタを9mmに付け替えて奥方に渡した。彼女は、満面に笑みを湛えてバリカンを構えた。余程嬉しかったのだろう。私は洗面台に屈み込む。彼女は、徐に左側頭部やや後方からバリカンを入れた。妙に引っかかるなぁ……という違和感があった。下を向いていた私の目の前に、刈られた髪の毛が束となって落ちてくる。

「オカシイ……」

いくらしばらく刈ってなかったとはいえ、この髪の毛の量は尋常ではない! それに続いて……

「あれ? おかしいよ。何か刈り過ぎちゃったみたい」

という奥方の一言。私は反射的に鏡を見た。

「ああ!!!」

何と私の側頭部には、巾10cm長さにして15cmに渡って殆ど髪の毛の無い「不毛地帯」が出来上がっているではないか! 哀しき0mm地帯……。バリカンは、ゲタを履かせた方向から頭部に当てれば、そのゲタの長さだけ髪の毛を残して刈ってくれる。しかし、逆に向けて頭部に当てれば、ゲタの意味は無い。刃が直接頭部に当たっているの同じになってしまうのだ。

使用方法をよく説明しなかった私も悪い。しかし、毎回私がゲタを履かせて、しかも髭と髪の毛ではゲタを履き替えているのを見ているにもかかわらず、奥方は何の注意も払わずバリカンを逆に構えて私の頭を刈ったのだ。しかも謝るどころか、その0mm地帯を見て腹を抱えて笑っているではないか! まったく悪びれる様子も無いのだ。

「どうもたくさん刈れちゃうなぁと思ったのよね。変だなぁと思いながらも、止まらなかったのよ」

などと言うばかりか……

「一つ横丁にハゲがある……」

などと歌っているではないか! 私のプライドはズタズタにされたことは言うまでも無い。当然ながら、彼女からバリカンを奪い取り、その後は自分で刈ったことも言うまでも無い。哀しくて涙が出るかと思ったが、私も自分の「横丁のハゲ」を見て、爆笑してしまったことは、哀しいが本当のことだ。

9mmで刈った頭では、不毛地帯はあまりにも目立つ。6mmで刈ってもまだ目立つ。だからといって、頭全部を不毛地帯にしてしまったのでは、高校球児か坊さんだ。目立つことを覚悟で、6mmのままで行く決心をする。刈り上がってみると、明らかに不毛地帯と6mm地帯の「段差」が分かる。手触りも全く違う。それでも、男は諦めが肝心である。こうと決めたからには、これで押し通さなければならない。

翌日の海、昨日のサイクリングと、私は段差を0mm地帯を曝しながら過ごした。自分で気にしているほど、周囲は気づかないようだ。それは気のせいで、誰もが見てみぬ振りをしているだけかもしれないが……。今日、出社してみても、誰も不毛地帯には触れようとしない。「模様をつけてみた」という、明らかに不自然な答えを用意にていたのに、それを使うことも無い。大したこと無いじゃないか! という我が容姿にたいする理由の無い自信がフツフツと湧き出てきている、今現在である。

何はともあれ、これからしばらくは、この「ヘアスタイル」を通すほかに無いのである。


2002.3.14

「相性のいい犬 わるい犬」という本がある。

詳細に犬の性格分析をし、従来からの分類とは異なった「全く新しい犬の分類」を試みている。これは、従来の分類が、犬の「性格」よりも役割(猟犬や使役犬など)や犬種(テリアやハウンドなど)によって行われていたため、用途によって選択するには都合が良かった。しかし、都市生活者は、いわゆる家族として犬と生活をともにする。この場合は、犬の性格が大きく影響してくる。

当然ながら相性の良い犬を生活する方が良いに決まっている。こういった観点から犬を選ぶためのガイドがなされているのである。人間の性格を外向性、支配性、信じやすさ、暖かさの4つに分類し、それぞれのカテゴリを高・中・低の3つに分類する。合計12項目の分類に、7項目に分類された犬のグループを照らし合わせるのである。

この対比表を使って、相性の良い犬を選ぶわけだが、3つ以上の項目で該当する犬のグループとは抜群の、2つ該当する場合はかなりの、1つであ愛憎半ばする、該当無ければ相性悪し……という結果を導き出すことができる。

私の場合、2つの犬種グループと2以上の該当、3つのグループと1つの該当という結果であった。2つ以上の該当の内訳は、リトリーバー犬に代表される、穏やかで人懐っこい犬のグループとグレート・デーンやマスティフなどの大型で強い犬のグループだった。私の好みにほぼ合致する結果で、驚いている。

奥さんも同様のテストをした結果、我々夫婦が共通で飼うには、穏やかで人懐っこいグループの犬が良い、という結果に終わった。早速、飼いたい犬の候補を絞ってみると、黒のラブラドール・リトリーバーに落ち着いた。これは、1年中海に行く我々と共に「海で楽しむことのできる犬」というポイントが非常に大きい。日本発の「サーフ犬」あるいは「ブキボー犬」としてデヴュさせることも可能だ。

これらの結果と家族会議(といっても2人だけなのだが)の結果、次のボーナスで犬を飼うことが決定した。命名権は奥さんが獲得した。私は散歩係り(当然なのだろうが……)を獲得した。

今から夏が楽しみである。


2002.3.12

議員の介入なんて……。

今回の鈴木宗男の事件など、氷山の一角である。今は「攻勢を強める」などと息巻いている野党の連中とて、立場変わって与党となれば、同じ穴の狢となるだろう。どれだけ口では「クリーン」をアピールしようとも。改革を強硬に進めれば、田中真紀子さんと同じような抵抗に、全ての省庁からあうだろう。しかも、もっと激烈に。地方の議員など、地元に口利きするために存在するようなものだ。国益だとか、国際関係など、はなから念頭に無い。

大統領とその周辺のスタッフが非常に強力なアメリカ合衆国でさえ、官僚の考え方は「政治家(大統領)は数年、長くて十数年で交代する。そのたびに政府の政策は変化するが、我々は連綿とポリシーを後輩たちへ受け継いでいく」というものだ。

多かれ少なかれ、というよりもほぼ確実に、官僚がいなければ国は動かない。大臣が、任命されてから勉強します、では当然任せるに値しない。かといって、前出の田中さんのように強硬に内部改革を進めれば手痛い反撃を食らう。縦のつながりを重視する官僚だから、結局はOBの大臣を据えるしかないのだ。そうすれば少なくとも、スムーズな政策の進行だけは保証される。改革については、任命された大臣次第であるが……。

最終的には、官僚たちのメンタリティがどれだけ国益を重視しているか? というところにかかってくる。面子だとか、体面だとか、私腹を肥やすことに労力の大半を割かれては、税金を払っているこちらとしては堪らないのである。

「構造的な悪」を打破するには、いっぺんチャラにするしかない……という、私なりの考えはあるが、これは国レヴェルでは通用しない理論である。チャラにした後、早急に再構築できるだけの手腕と実行力を持った指導者は、現在のところ日本にはいないからだ。

暗いはなしになってしまった。


2002.3.7

ジャズ喫茶という穴蔵。

もう久しくそういう場所に足を踏み入れていないが。学生の頃は、開店(大抵は11時から昼頃だ)と同時に入り、コーヒー1〜2杯で夕方まで粘ったものである。なぜかジャズ喫茶というと、地下や半地下のような薄暗さと、タバコの煙の立ち込めた、極めて不健康な空間が連想される。こういった雰囲気の店というのは、往々にして「老舗」と呼ばれる店に多いのだ。老舗も改装などを終えると、ちょっと小洒落た雰囲気の店内にってしまったりする。

こういったジャズ喫茶の老舗も、バブル期の地上げで次々と姿を消したり、他の場所へ移転してしまったりして、昔からの場所に昔のままの佇まいで店を構えている、といったところが減ってしまった。特に新宿周辺や渋谷周辺の店に、このような事が多かったように思える。

上野駅のすぐ近くにあった店は、ウナギの寝床のように細長い店内で、客席はすべて店の奥に向かって設置されていた。部屋のドン詰まりに、コンサート会場で使うような巨大なスピーカーが設置され、完全に音楽鑑賞のための店だった。各席には「私語厳禁」の札が置かれ、お客の大半は、腕を組み半ば目を閉じた「集中スタイル」でジャズに聴き入っていた。

そんな私の大好きな店も、今では性風俗の店に取って代わられている。

渋谷にあった名店「Swing」。音だけではなく、映像を「観せる」ことでは、どこの店とも一線を画していた。殆ど闇に近い店内と、オーナー手作りの膨大な映像のリスト。リストを読むのが辛かった。そして殆ど地面スレスレに座っているような感覚の低いソファ。昼時になるとオーナーの焼く「くさや」の芳香が店内一杯に、濃く立ち込めていた。

戦後間もない開店であったらしいこの店、店内には数十年前に撮影されたオーナーとミュージシャンの写真や、サインなどが飾られている。しかし前述の如く闇に近い店内だから、そんな貴重なお宝に気づいたのは、数回訪れてからであった。

ここでは常連となっていた私は、リクエストを「まだいるんだろう? 君のはあとでいいな?」などと言われ、度々後回しにされた。後回しとはいえ、映像は1本1〜2時間。酷いときには二つ三つ後になるから、下手をすると昼過ぎにリクエストしたものが夕方に上映される、などという事態になる。

こんな愛すべき店も、数年前オーナーの高齢とともに長き歴史の幕を閉じた。

穴蔵、隠れ家、勉強の場色々言葉は浮かぶが、憩いの場とか寛ぎの場というフンワリとした雰囲気はジャズ喫茶には似合わない。真剣に、一心不乱に音楽に集中するための場所なのだ。住宅事情もあって、我が家で大音量の音楽を聴くことの出来ない人々が、唯一心ゆくまで音楽に浸れる場所なのだ。こんな場所が減っていくことは哀しい限りである。

久しぶりにジャズ喫茶へ行きたくなった。


2002.3.6

昨日は夕食に「クレープ」を食べた。

クレープというと、中にクリームやフルーツを入れて三角に巻いた、繁華街で若い女性が食べている物(ブツ)が真っ先に連想される。最近は、ツナ・サラダやカレーなどを具としたクレープも、甘いものの横に見られるようになったが。本来、クレープとはそういうものではないらしい。本場フランスのブルターニュ地方では、蕎麦粉を使ってシーフードやハムなどを使って作ることが主流であるようだ。今回は、このブルターニュ地方版を試してみた。

先ずは生地作りからだ。蕎麦粉(200g)と水、艶出しのためのアルコール(本場ではシードルというリンゴから作るお酒を使う。我が家ではヴェルモットを代用)をボウルに入れて混ぜる。トロみがついてくるまで混ぜるのだが、ここまでで半分。さらに粘りが出るまで混ぜたらOKだ。蕎麦粉というのは、蕎麦掻や蕎麦団子でも分かる通り、水に溶いて混ぜるとネバる特質を有している。

本来は、出来上がった生地を一晩冷蔵庫で寝かせるのだが、せっかちな我々夫婦は、15分ほど放置(しかも室温)しただけで調理に突入した。

さて、次はトッピングに使う具だ。これはもう好き好きで、魚でも肉でも野菜でも何でもOKだ。今回は、卵とハム、チーズを使った。焼いている途中のクレープにトッピングするから、火の通りやすい厚さがポイントだ。そうでなければ、事前に調理しておく必要がある。

温めたフライパン(熱くなりすぎないこと)に、ごく少量の油を引き、生地を薄く伸ばしていく。テフロン加工のフライパンならば、油は必要ないだろう。表面が乾き、裏面に焦げ目がついてきたら中心部を空けてチーズとハムを配置する。空けた真中に生卵を落とす。卵の白身があまり広がらないように、チーズとハムで「土手」を作ることがポイントだ。さらに丸くなったフチを中に向かって折り込み、四角く体裁を整える。

生地が薄いから、弱火でしばらく放置すれば具にも火が通る。心配な場合は、四角くした後にフライ返しで裏返してしまう。これでしばらく置けば出来上がりだ。

蕎麦粉の生地が実に美味い。チーズを使うと少々しつこいかな? とも思えるほど、生地自体に主張がないから、チーズ無しで作っても良いだろう。アツアツのうちに食べるのがもちろん、美味い。お供の酒は……ワイン良し、ヴェルモット良し、ウィスキー良し、ジン良しと、何にでも合うだろう。

これほど癖のない生地だから、別の食べ方を考えてみた。

薄く焼いたクレープを、何枚も重ねておいて、具は別の皿に何点も用意する。これを「手巻き寿司」のように銘々好きな具を好き煮ミックスして食べる、というものだ。洋風、中華風、和風、エスニック風と、ヴァリエーションはいくらでも考えられる。ちょっとしたパーティの脇役にも充分使えるだろう。

クレープも、ちょっとした工夫と発想の転換で、別の食べ物に姿を変える。


2002.3.5

最も原始的な移動手段である「歩く」ということについて考えた。

ウォーキングという言葉が知られるようになって久しいが、確かに歩くという行為は、非常に原始的だが確実な移動手段であると同時に、たいそう健康的だ。最近はちょっとした移動にも車を使いたがる人(何を隠そう、我が奥方もその一人なのだが……)が増えた。僅か15分足らず歩くことにも、文明の利器を使う。文明の利器は、速さという意味では人力(走ることも含む)を凌駕する。その分、人間の力が遠く及ばない力が働くから、事故が起きたときは大怪我あるいは生命の危険に曝されることになる。

さて、歩くという行為である。普通に歩くことというのは、どれだけ歩いても実は大して運動にはならない。それどころか、身体のあちこちに妙な? 負担をかけることにもなる。これが、たまに長距離を歩いたときの身体の痛みや疲れなどに出てくるのだ。

以前、ウォーキングについて研究したことがある。持病持ちの我が父の運動について色々アドヴァイスするためであったのだが、自分で試してみて非常に優れていることが分かった。ウォーキングには、やはり「正しいフォーム」というのがあり、このフォームをマスターすれば少なく無理のない力で驚くほど長く歩け、全身の筋肉を適度に使うことによって非常に大きな運動の効果を上げることができる。一粒で何度も美味しい、非常に効果的なフォームだ。

このフォームについて書き留めておこうと思う。

最大のコツは、骨盤にある。一般的な歩行では、背骨を軸として回転するイメージで脚を運んでいるハズである。ウォーキングでは、骨盤を左右に跳ね上げるようにして歩くのだ。前に出した脚に体重がかかるときに、クイッと骨盤を横に突き出す感じで歩く。ちょっと離れたところから見ると、身体が左右に「くの字」に曲がる感じだ。

腕の振り方も、このフォームでは自ずと決まってくる。一般的には前後に腕を振っているが、ウォーキングでは斜め前に振り上げ、斜め後ろに振り下ろす。要は横方向へ腕を振るのである。こうすることによって、骨盤の動きを助けることができるのだ。

脚の運びは、少しコツを要する。カクカク・クネクネ動く上体の動きに合わせる必要があるのだ。感覚としては、一直線上に踏み出すということになる。つまり、道に引かれた線を踏みながら歩く感覚だ。これは、くの字になった頂点(大腿骨の外側の付け根)に体重を預ける、という歩き方だから、足首から先の部分は、正確に頭の真下を通ることになる。かかとの外側から着地し、最後は親指で地面を蹴る。さらに持ち上げた脚は、膝から下の力を抜き、足首から先を投げ出すような感覚で前に運ぶ。こうすることによって、無駄な力を抜く(長距離を歩いても疲れ難い)と共に、歩幅を伸ばす効果を出すのだ。

このフォームをマスターすると、歩くことが非常に楽になる。スピードも上がる。長距離を歩いても疲れない、などの効果がある。その上、腰周りを頻繁に動かすから、最も気になる部分の贅肉を落とす効果もあるのだ。腕を振ることによって腕回りにも効果を発揮することは言うまでもない。効果的な腰周りの動きは、腹筋と背筋を同時に鍛え、腰痛防止の運動にもなる。

このウォーキングのフォームは、人類がまだ人力以外の力を知らなかった時代、原始人の歩き方なのだという。こと人力に関する限りは、人は退化する方が効率的なのだ。このフォームの究極の発展型が「競歩」であることは、誰でも推察できるだろう。競歩はこのフォームを突き詰めていった結果なのだ。映像を観れば一目瞭然だが、競歩のフォームはまるでサイドワインダーがクネッているかのごとく、鮮やかに身体をクネらせている。脚の運びも一直線上を歩いている。

ファッションモデルの歩き方も、このフォームに似ていないこともないが、分析していくとかなり違ったものになる。彼女たちのフォームは、両肩のラインを地面と並行に保つことから始まる。そのまま上体を動かさず、腰から下だけで歩く感じだ。このため、一直線上を歩くということと腰が左右に振れるという共通点はあるのだが、膝を殆ど曲げずにドスンドスンという感じの着地になる。

衣紋掛け(古い言い回し!)が歩いているようなイメージは、彼女たちが自分を見せるためではなく、着ている物を見せるために歩いているのであるから、仕方のないことではあるのだが。あれでは、足腰の関節へかなりのダメージになるのではないか? と他人事ながら心配してしまう。私はキレイな女性には優しいのだ。

話しは逸れて行ってしまったが。

このフォームをマスターした私は、普段の歩き方にも自然と使えるようになった。スポーツクラブのランニング・マシンなどで歩いているときのフォームをチェックすると、手足の脱力感タップリの動きが、かなりの速さで歩いているにもかかわらず、カッタルそうな印象を与える。また、クネクネしているので、ややもすると「オカマチック」である。女性がこの歩き方をすれば、セクシー&キュートなのだが、男の私ではちょっと……という感じである。

それはさておき、人間は永い歴史の中で様々な「進化」を遂げてきた。しかし、こと陸上での身体の動きを考えた場合、数万年も前(これは言い過ぎか?)から進化はストップしているように思えてならない。はじめは人の非力さを補うために作られた利器に、人は何時しか頼り過ぎ、本来誰でも当たり前に持ち得た「能力(ちから)」を失ってしまうことになった。一度失ってしまった能力は、半端な努力では戻らない。

せめて歩くことぐらいは、本来の力を失いたくないものだ。


2002.3.4

ウラビデオの話しをしようと思う。

アンダーグラウンドな世界の商品であるから、もちろん取引をすること自体が違法行為である。しかし、巡り巡って手元に届く場合もあるし、誰かからもらったとか、拾ったとか、まぁ、入手の方法は色々あるだろう。「ウラ」とつくからには、一般には出回っていない、流通量が非常に少ない貴重品というイメージがある。したがって、入手するための価格は、それなりに高価である。

この手のビデオで、真っ先にイメージされるのがいわゆるエッチ系ビデオだろう。20年以上前に一世を風靡した「洗濯屋ケンちゃん」は、この手の物の先駆的存在だろう。当時からその方面の情報収集には怠りなかった私は、中学生のときに既に見学に及んでいた。その後もこの手のビデオについては、アンダーグラウンドの世界でかなりの流通量があると思われる。

エッチ系ウラビデオは、第一にいわゆる表ビデオの編集前(ボカシやモザイクを入れる前ということ)が主流で、これは流出物と呼ばれている。余談になるが、私の友人がこの編集の仕事をしたことがあるのだが、この作業は非常に難しいという。ボカシを女優の動きに合わせること、ボカシを大きくしないことというのが大層技術を要するのだそうだ。大抵の流出物は、この時点でダビングされて流れるらしい。流出物の画面には、編集用の時間表示が画面の隅につけられているのは、これが原因なのだ。

第二が海外物だ。いわゆる洋ピンと呼ばれるものや、逆輸入物もこのカテゴリに入る。これは、現在インターネットとそれに伴うネット販売が発達したことによって、個人で入手することが容易になった。希少性は低くなったといわれる所以である。

第三が企画物だ。ウラ専用に企画された作品(そう呼んでもいいのか?)で、ウワサでは主に関西方面で作られることが多いという。ある事情通によると、このウワサは本当らしく、こういった企画物のマスター・テープは、ほとんど関西方面から仕入れられているという。

第四が、お宝映像といわれるものだ。芸能人やそれに類する人々の映像というヤツだ。アイドルがテレビ局のディレクターや広告代理店の人間、スポンサーなどに「ヤラれて」しまっているところを隠し撮りされ、それが流出してしまうというパターンらしい。しかし、これについては、ウワサの域を出ないというのが本当のところのようだ。私も実際に観たことはないし、前出の事情通も観たことはないという。

私の情報源を明らかにすることは出来ないが、この手のビデオの流通に関わる商売をしていたから、かなり事情には詳しく、現物もよく回してもらった。現在は摘発直前に足を洗って、カタギの商売をしている。

さて、今回何故このようなことを書こうと思ったのかというと、私のたった1本のコレクション(というよりは所有物。単に前出の事情通に返却を忘れたというだけだ)をつまらぬことから無くしてしまったからである。忘れもしない、先日の冬季オリンピック最終日。早朝というよりは深夜、大好きなアイスホッケーの決勝戦(米国VSカナダ)の試合を録画しようと思っていたのだ。わざわざ深夜に目覚ましをかけて起きたのだが、朦朧とした頭で作業をしたものだから、間違って貴重なウラビデオに録画してしまったのだ。

日本音楽界の重鎮坂本龍一のイトコが出演しているというビデオであった。

ウラビデオは、十数台から数十台の高速ダビング装置を使って、マスター・テープから大量のコピーを作る。このため、録画禁止のためのツメが折れていない場合が多い。私の所有していた物も、例外に漏れず録画可能な状態であったのだ。

話しをお宝映像に戻そう。

これまでの説明の通り、エッチ系のお宝は存在しないか、非常に狭い範囲で回覧されるに留まり、一般人が目にすることは殆ど不可能である。このような類のビデオは、何もエッチ系に限ったことではない。音楽の世界ではかなり頻繁に行われていることである。

少し前までは、これは「違法録音」という行為で有名であった。現在では、荷物チェックが厳しかったり、ライヴ・ハウスなどでは手荷物はクロークに預けることが規則となったりして、違法録音はなかなか難しい状況になっている。しかしである。これはお客として音楽を聴きに行く立場の人間の話しであって、会場やライヴ・ハウスのスタッフたちに当て嵌まる事柄ではない。

ある有名なライヴ・ハウスでは、ビデオ録画と違法録音は常識で、そこで演奏されるライヴは、すべて記録に残されているという。こうして記録された媒体は、ごく少数ダビングされ、仲間内やミュージシャン関係のコネクションへ流されていくという。こうした違法録音や録画が「海賊版(かなり古い表現だが)」となってマーケットに流れる場合もあるが、それは非常に稀なケースらしい。

まだ違法録音がそれほど煩く取り締まられなかった頃は、パラボラ型の集音マイクを使って、お手製のPA装置を持ち込み、ステレオ録音しているといったツワモノもいたぐらいだ。これほどの技術で録音されていれば、海賊版として世に出しても鑑賞に堪えるだろうが、ポケットの中で録音できるような装置では個人で楽しむに留まる。

このように考えていけば、前出のエッチ系お宝映像も、まんざらウワサだけでは内容に思えてくるのだが……。

私が所有するお宝は、10年以上前に行われたマイケル・ブレッカー・バンドのライヴ映像だ。これは、前出のライヴ・ハウスのスタッフ(学校の先輩だ)から入手したという、ウラ事情を暴露するような話しだ。すでに故人となってしまったミュージシャンも参加しているから、非常に貴重な記録ではある。しかし、ビデオという媒体のため、何度も観てしまうと「劣化」してしまう。というわけで、既に2年以上ライブラリに仕舞ったままの状態であるが……。

もう一つは10年ぐらい前のマイク・スターン&ボブ・バーグ・バンドのライヴ録音(ニューヨークでの録音と日本での録音の2つ)だ。こちらは稚拙な技術(私と友人が各々違法録音したものを編集した)での録音のため、個人的に楽しむ程度のものだ。マイクとボブのユニットは、ライヴでの記録は公式には出ていないから、その意味でも貴重だ。

禁止されれば、大枚をはたいてでも欲しくなる。それを供給するのがアンダーグラウンドの世界だ。したがって、禁止しても摘発しても、これらアンダーグラウンドからの供給は絶えることがない。需要と供給の単純な経済効果である。すべてコネを使って、タダで入手している私には、この仕組みに貢献しているとは言い難いのだが……。

今晩は久しぶりにブレッカー・バンドのライヴを観よう。


2002.3.1

昨日の排水管の高圧洗浄は、結局午後までかかり、会社に出ることが出来なかった。

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先日のLARKの広告を撮っているカメラマンが判明した。

Denjiro Satoという、世界的に名の通ったサーフ・カメラマンであった。このサーフ・カメラマンという職業は、肉体的にかなりハードである。カメラを持ち、脚ヒレやゴーグル、シュノーケル(時にはアクアラングの装備を用意するときもある)を装着して海に入り、大波にもまれながらサーファーの決定的な瞬間を捉えるのだ。海の知識はもちろん、サーフィンの知識も豊富でなければならない。

ハワイのノースショアには、有名な「パイプライン」というポイントがある。ここは、伝説のサーファー、ジェリー・ロペス(現在はスノーボードに熱中しているらしい)のホームとして名が通っている。ジェリーの有名なショット(チューブを巻いた波を背景に、彼が見事なボトム・ターンをキメている。現像後明らかになったのだが、この写真の背景にある波が崩れているところには、人の顔のような波紋が描かれていた)を撮影したカメラマンは日本人であった。

この撮影の模様をカメラマン自らが語った文章によると、そのときの海は想像を絶する激しさで波立ち、流れていたようだ。撮影のためにボディボーダーとカメラマンが組んで沖に出たのだが、二人を捕まらせたボードは、あっという間に隣のビーチまで流されてしまったという。

また、サーフィンのビデオなどを観ていると、波の壁の中からカメラと腕だけが突き出ている光景が頻繁に写っている。この腕こそ、サーフ・カメラマンである。サーファーに近い写真を撮ろうと思えば、ボードに轢かれる覚悟でサーファーに接近しなければならないのだ。このときのタイミングや距離感は、カメラマン自身が相当な実力のサーファーでなければ感じることは出来ないだろう。

事ほど左様に、サーフ・カメラマンのお仕事は勇気と気力と体力と技術力を兼ね備えた人でなければ務まらない。


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