2002年1月
2002.1.29
やっと徳島から帰ったと思ったら、今日の午後からは神戸へ出張だ。
徳島同様、今回も肉体労働付き出張だ。帰りは土曜日になるから、今週の更新は今日で終わりとなる。同時に今月最後の更新ともなるから、次の更新は2月4日になる。出張は、当然のことながらお仕事がらみとなる。したがって、観光や美味しいもの、美味しい酒とは無縁だ。よく出張に行ったら○○が食べられていいね〜……などと言われるが、実態は仕事場とホテルの往復である。
知らない土地で、知っている人もおらず、寂しい夜を過ごすことが多いのだ。
2002.1.28
久しぶりに、海へ行かない週末を過ごした。
土曜日は仕事、昨日は悪天候のために断念したのだ。悪天候。雨だけならば大したことはないのだが、風や波の状況が悪いと、折角海へ行っても入れないという状況になってしまう。昨日の場合、サイズ自体はオーヴァーヘッドという、ワクワクするようなものであったのだが、コンディションは最悪であった。風などの影響で、遥か沖から波が崩れてしまい、スープで一面海が真っ白であったという。
海から吹く風、いわゆるオンショアの状況では、波のコンディションはよくない。風が強すぎれば波は崩されてしまい、最悪の場合フラットという状況になる。昨日のように「結構強い」という場合、うねりは分断され、切れ切れの状況となって崩される。こうなると本来なら横一線にやってくるうねりが、いくつもの三角の山のようになってしまう。これでは、テイクオフできたとしてもあとはスロープを下るのみで、波の斜面に沿って横へ進みながらのロングライドができない。
明けて本日。低気圧が去り快晴。岸からの風やや強く、理想的なツルツルの波の面であるという、絶好のサーフィン・コンディションである。皮肉なものだ。
というわけで、日曜日は久しぶりに映画を観に行った。
遅ればせながら「ハリー・ポッター」である。非常に良く出来た映画である。セットなのだが、建物や小道具の感じが抜群だ。最近の映画はCGを組み合わせることによって、非常にリアリティのある映像が特徴的だ。ご多分に漏れず「ハリー・ポッター」もその点ではスキがない。主役の男の子だけでなく、脇役の子役や俳優陣のキャラクターも立っていて、退屈しない。
しかし、非常に目が疲れる作品でもある。パンパンと頻繁に場面展開されること、背景が暗いことなどがその理由であろうと思う。ある意味、非常に忙しない展開なのだ。その分退屈しないで済むのだが、眼への負担は高い。
平均サイズ(1時間半〜2時間以内)と比べると、幾分長めなのだが、それでも内容的には駆け足&説明不足だと思う。原作のように文字によってじっくりと世界観を伝えることができないあたり、映像表現と文字表現の隔たりを痛感するところだ。原作を読んだ上で映画を観る方が、楽しめるのだと思う。
この「ハリー・ポッター」シリーズの原作は、なかなか面白いらしい。非常に売れているから、なかなか文庫本にならないのが珠に瑕なのだが、やはり買わなければならない! と思わせる。この本、アメリカやヨーロッパなどでは、ベストセラー部門でも上位に着けているが、発禁にしてほしい本という部門でもかなりの上位に位置しているという。キリスト教が強い国々では、魔術などが取り上げられるものについては、まだまだ根強いアゲインストが吹くようだ。
何はさておき、子供よりも大人が楽しめる映画だと思う。
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「電話」とは、ある種の暴力だ。
「かける側」と「受ける側」の関係を見ると、かける側の一方的な主導権の下に成り立っている。かける側は、受ける側の都合に関係なく、極端な話24時間いつでもかけることができる。これに対して、受ける側は、あらゆる状況で電話に応対することを強いられる。いわゆる「マズイ状況」のときに電話が鳴る、という経験は誰にでもあるだろう。
電話によるセールス行為などは、電話による暴力の最たるものであろう。どこかから漏れた電話番号を頼りに、仕事中や自宅へ直接電話をかけてくる。煩わしくてつい契約をしてしまい、とんでもない高額な料金を請求される、などという被害が多発している。そういうセールスに一度でも引っかかると、その名簿が回覧され、様々な業者から嵐のように電話がかかってくるという。
このような状況は、携帯電話が普及した昨今、益々悪い方向へ向かいつつある。以前は、一度表に出てしまえば、公衆電話でこちらから連絡をしなければ誰ともコンタクトを取れなかった。留守番電話などというものがなかった時代であれば、かける側は、相手が出るまで書け続けるしか方法はなかった。「ポケット・ベル」の登場は、受ける側がかける側から「一方的に呼び出される」状況を作った。それでもまだ、受ける側は自分の都合の良いタイミングで連絡を取ることが出来た。
携帯電話の登場は、確かに画期的であったことは言うまでもない。電話としての機能よりは、むしろ情報端末としての機能の方が画期的であると言えるだろう。しかし、電話としての機能、本来の役目としてはどうであろうか? これは受ける側を益々切迫した立場へ追い込んでいると言えるだろう。
例えば、営業マン。仕事をサボって、映画を観ている。こんなときに会社や取引先から呼び出しがあったら、折角の映画も台無しだ。例えば、カップル(夫婦も含む)。デートのとき、甘い囁き(表現が古い!)を交し合っている瞬間の電話……。折角の雰囲気も台無しである。ましてや、もっと本格的に愛を交し合う行為に及んでいるときの電話など、憎しみの対象にしかならない。スポーツクラブでは、ベルト式のランニング・マシーンで走りながら携帯電話で話している、という器用な人もいるが、こういうのはどうかと思う。
逆の見方をしてみると、携帯電話の普及で、かけたい相手をいつでも呼び出せるようになったことは、たいそう便利である。会社などでは、社員の行動を逐一管理できることを意味している。個人同士でも、待ち合わせなどの時には、特に威力を発揮する。車同士で移動しているときなども、非常に便利だ。サーフィンなどで、地元の人が波の状況を仲間内に知らせるときの、連絡網の異常な速さには眼を見張るものがある。
かける側としては、瞬間的な思い付きを忘れる前に相手に伝えることができるから、これほど便利なものはない。伝えたいことを伝えたいときに伝える、という身勝手だが最も欲求を満たせる状況が出来上がったことになる。
こういう状況は、いわゆる「電話魔」的性格を有する人を知人、職場関係で持っている人にとっては地獄の苦しみとなる。電話魔は、1日に5回も6回も電話してきて、大したこともないことをしゃべっていく。受ける側が少しでも不快そうな応対をすると気分を害する、という非常に独り善がりな性格の持ち主だ。さらには、居留守を使っても執拗に電話をかけてくる、という驚くほどの粘りを持っている。こういった人は、携帯電話が普及してくると「私の携帯に電話して!」というセリフを使う。自分の携帯電話使用料金はキッチリ節約することを忘れないのだ。
携帯電話の普及は、そういった意味で公私の混同を激しくする要因も含んでいる。電話魔に携帯番号を掴まれれば、休日も関係なく電話攻勢を受けることになる。職場関係の人間から、休日や深夜に電話を受ける確率が抜群に高くなったと感じているのは、私だけではないだろう。電話をかけることも受けることも嫌いな私は、やむを得ず電話をかけるときに「今、大丈夫ですか?」ということばを必ず使ってしまう。これは、奥さんなどの身内にかけるときも変わらない。親しい友人にも、本当に大事な話があるとき以外は、殆ど電話をしない。
こうして、私の友人関係はどんどん希薄になっていく。
2002.1.25
日曜日から徳島へ仕事で行っていた。
初の四国上陸であった。四国というと、南国というイメージなのだが、私が滞在中は東京よりも寒かった。23日など、朝カーテンを開けると雪が降っていたのには驚いた。4日も出張先でアクティヴに動いていると、職場に帰ってきてのデスクワークが辛い。元来が動いていないとダメな気質の人間であるから、静止していると退屈なのだ。
日曜日の飛行機というのは、意外と面白い。平日のビジネスタイムの前後(早朝と夕方)の飛行機というのは、出張のビジネスマンが多いのは当たり前だ。それと比較すると、日曜の飛行機というのは、遊びに行く人帰る人が大半を占める。現在の旬はやはりディズニー・シーのようだ。乗客の大半がお土産を入れたディズニーの袋を持っていることでも分かる。
子供が殆ど乗っていなかったことを考えると、ディズニーランドにしろディズニー・シーにしろ、大人を惹きつける何かがあるのだろう。
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徳島県人は「すだち」が好きだ。
ありとあらゆる料理にすだちの実が付属している。味噌汁、刺身、フライ、そしてもちろん酒……。フライなどは、レモンの替わりに使うという解釈が成り立つが、味噌汁や刺身はちょっと……と思う。ところが、絞ってみるとこれが意外にイケるのだ。新しい発見と言っても過言ではない。かなり美味い。上品な酸味と香りが、かなりイケる味を出すのだ。
5〜6月が本来のすだちの季節だというから、この時期に行ったら是非購入すべきだろう。焼酎や泡盛に絞ると、たいそう美味い。
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安いビジネスホテルのベッドは、決して寝心地の良いものではない。
マットの固さやベッドの巾はともかく、身長のある私にとって何よりダメなのは、長さだ。ビジネスホテルに限らず、ホテルのベッドは掛け布団がキッチリとマットの下にたくし込まれている。ビジネスホテルのシングルベッドの場合、これだと私の足先は掛け布団とマットの、最も狭い場所に収まることになる。つま先を上に向けることが出来ないのだ。仕方がないから、たくし込まれた掛け布団をすべて剥ぎ取り、フワリとマットの上に乗っているだけにして寝る。
はじめはこの方法で良いのだ。しかし、過去のTextにも書いてあるが、私はたいそう寝相が悪い。寒さに気づいたとき(大抵は明け方だ)には、掛け布団はキレイに床の上に移動している。したがって、ビジネスホテルで私は深い眠りに就けたためしがないのだ。どんなに深酒をしても、必ずといって良いほど明け方に目覚めてしまう。
寝心地だけでなく、狭い部屋には充分すぎるエアコンが原因となって、深い睡眠の妨げになっている。部屋の空気が乾きすぎて、喉の痛みや渇きを覚えるのだ。前の晩に風呂で使った手ぬぐいタオルが、翌朝にはキレイに乾いていることを考えれば、どれだけ部屋が乾いているかが分かるだろう。
春や秋ならばともかく、この時期にエアコンを止めて寝れば、私の寝相から考えて風邪を引くことは間違いない。部屋の温度を30℃に設定していることも、エアコンが稼動しつづける原因の一つだ。バスタブに湯を張ったまま寝るとか、ぬれたタオルを掛けておくとか、部屋を乾燥させない作戦は色々あるが、いままでビジネスホテルで快適な目覚めをした経験はない。
猛烈な喉の渇きで不快に目覚める……これがほとんどである。
2002.1.15
街の姿は、ちょっと見ないうちにあっという間に変わる。
例えば、私の実家のある街。もう、数年電車で訪れることはなかったのだ。いつも車で訪れていたから、実家の周辺の変化ぐらいしか分からなかったのだ。それでも、頻繁に訪れているわけではないのだが、実家の周辺には新たにマンションが建ち、保育園も新設され、以前にも増して垢抜けた感じが漂っている。周辺が垢抜けていくのと同じペースで、古ぼけていく我が実家。一抹の寂しさを味わう。
昨日は、奥さんが仕事に出たため、その隙を突いて実家へ電車で帰った。実家の最寄駅の駅前は、新しい建物、店などができ、様相が一変していた。それでも街そのものが持つ「雰囲気」のようなものは変わるこがないから、全く別の場所へ来てしまった、というような錯覚はない。「知っているところなのに、知らないところ」という、ちょっと変わった感覚を味わう。
実家では、沖縄の土産を渡し、調理や保存に関する注意を細々と行った。
その後、本当に久しぶりに「アメ横」パトロール。ここは、何時来ても変わらぬ活気と熱気がある。行きつけの店も相変わらずだ。しかし、良く注意しながら歩いていると、いくつかの店は新しいものに入れ替わっている。ある一時期、良く通ったカバン屋は、なくなり、若者向けの銀製アクセサリの店に変わっていた。独身時代にお世話になった風俗店も、何時の間にか姿を消し、なんと焼肉屋になっていた。
このように、注意して見なければ変化が分からない、という街は、街全体が持つ雰囲気は変わらず、店の入れ替わりだけが行われていることを示している。新た進出してくる店も、街の雰囲気に溶け込んでいたり、その雰囲気に合ったものであったりするのだ。このような街は、上野から秋葉原にかけてが典型的である。また、六本木界隈や銀座、新宿(特に歌舞伎町)もそういった特徴を備えている。
これに対して、かつて持っていた雰囲気が一変してしまい、全く別な顔になってしまった街もある。例えば、赤坂。ここは周囲がオフィス街で、テレビ局もあることから、大人相手の店が中心であった。サラリーマンが酒や料理を楽しむ店や、接待で使われる料亭やクラブなどが固まっていたのである。ところが、あるときを境に(私の分析では、バブル崩壊が転機であった)街の様相は一変してしまう。
子供相手の店が、街を席巻し始めたのだ。それまで一軒もなかった「カラオケボックス」やゲームセンターといった店がメインストリートに並び始め、それにつれて今まで見たこともないような「子供」たちが目立つようになってきた。綺麗に着飾った、明らかにサラリーマンとは違う人種が溢れてきたのだ。そのうち、ライヴ・スポットなどができ、この「異人種」たちはさらに人口を増やしていく。
確かに、訪れ易い雰囲気を赤坂は持つようになったのかもしれないが、昔を知っている私にとっては、何だか近づき難い雰囲気を感じる。新宿も、いわゆる新都心と呼ばれる高層ビル街は、過去と比べればその顔を激しく変化させた場所である。そういう意味では、新宿は変わらぬ雰囲気と、激しく変わる雰囲気の二面性を有していると言えるだろう。
訪れる人々の好みや年齢層で、街は様々にその顔を変化させる。変わって欲しい街、変わって欲しくない街、様々であるが、どちらもそこ暮らし、食べ、生き、遊ぶ人々によって変えられてきたのだ。近年になって、低年齢層の進出がその変化のスピードに拍車をかけていることは確かだ。オジサンとしては、やはり「大人」が遊べる街を残しておきたい。
2002.1.11
例えば、海で。沖へ向かってどんどん、どんどん泳いでいく。気が付くと、波打ち際は見えなくなり、「こんなに遠くまで来てしまったのか!」と驚く。果たして、泳いで戻れるのだろうか? という不安に駆られるが、当然ながら戻ることは出来ない。体力の続く限り泳ごう! などと思っているわけではなく、ただなんとなく、沖へ泳いでいこうと思っている。そして、とんでもなく沖へ出てしまってから、これからどうすれば良いのだろう? と途方に暮れるのだ。
例えば、ランニング。川原でも、道路でも良い。ただ走り続ける。気が付くと、とんでもなく遠くまで来てしまっていて、お金も持っていないし、そうやって帰れば良いだろうか? 喉も渇いた……と途方に暮れる。元来は走るために走ること、というのは嫌いなのだが。
例えば、ギャンブル。惜しいところでやられると、財布の中身が空になるまでつぎ込んでしまう。そして、中身がなくなって初めて、「なんてバカなことをしたんだろう……」と後悔する。ここまでつぎ込もうなどとは、全く考えていなかったのだが。「カモ道」まっしぐら。
ことほど左様に、後先考えず突っ走り、突っ走った先で後悔する、というのが私の性格らしい。
熱中しやすく、なかなか現実に戻れないのだ。「熱し易く冷め易い」鉄とはまったく逆の性格である。こういう性格は、諸刃の剣である。やっている途中は半端ではない集中力を発揮するから、非常に効率や能率は良い。成功すれば、多大な達成感を味わうこともできる。しかし、失敗したときの落胆の度合いは、チンタラやっていて失敗するのとは訳が違う。
人生、そう楽な道ばかりではないから、大抵は失敗することが多い。成功した例のほうが少ないくらいだろう。物事を始めるときに「もう少し上手にやれ」「もっと上手に立ち回れ」という声が聞こえては来るのだが、性格とは恐ろしいもので、そういった心の忠告は、集中すればするほど遠く、聞こえなくなっていく。聞こえなくなった途端、熱中のスピードはぐんぐん加速していき、あとは何も見えなくなる。
こうしてハマりの道をまっしぐらに進んでいくのだ。
仕事も趣味も、この調子でやってきた。それでも偉くもならなければ、趣味が高じて成功したというわけでもない。そう考えれば、まったくもって「労多くして功少ない」人生を歩んでいるということが言えるだろう。かといって悲観的になっているわけではないのだが。そこそこ楽しんでいるし、適度に熱中できる対象もあるから、自分で言うのも何だが、結構充実している人生だろう。
これまでの人生で、最も成功した例はなんだろうか? 考えてみると、奥さんと出逢い、結婚したことだろう。完璧なオノロケになってしまうが、様々な意味で私の人生は豊かになったことは確かだ。はたして彼女が同じように考えてくれているかどうかは定かではないが、まさに広大な砂漠の中からダイヤモンドを拾った気分にさせてくれたことは確かである。
今年も、仕事に趣味に突っ走ろう、という豊富をくどくど回りくどく書いてみた。
2002.1.10
一時期、一世を風靡した「モツ煮込み」を作ってみた。
レシピ自体は非常に簡単だ。殆ど手間もかからないから、こんなに簡単な料理がなぜ一般家庭に普及しないのか? という疑問が湧くほどだ。
普及しない理由の一つに「内臓」というある種の不気味さを伴った素材が使われていつことが挙げられる。いわゆる臓物系は、食べると美味いのだが、調理前の姿がやはりグロテスクだ。特に「生(なま)」の状態は、近づき難いものがある。しかし、現在では下茹でされたものがスーパーマーケットなどでも売られているから、こうしたものを購入すれば調理しやすいだろう。
さらには「酒の肴」というイメージが強い。飲み屋の定番メニュー的なところもあり、焼酎と共に……などと考えられがちだ。しかしである。この料理は、汁にご飯をブチ込んで食べると、何とも言えない旨味があり、一度食べると止まらなくなるほどのパワーを持っている。
さて、早速作ってみよう。
先ずは材料を用意する。大根、牛蒡、ニンジン、シイタケ(モツの臭いが嫌いな人には、特にお勧め)を適度な大きさに切る。モツは刻まれていることが殆どだから、さらに手を加える必要はないだろう。とにかくモツの臭いがダメな人は「臭い消し」的要素の強いものを用意する。例えば、酒。これを入れて煮込むことによって、かなり臭いは和らぐ。しかも、焼酎のようにアルコール度の高いものが良いだろう。
また、臭いを和らげる方法として、下茹でされたものをさらに茹でるのだ。このとき、生姜を加えると、効果はさらに増す。2〜3回ほど茹でこぼすと、殆ど臭いは気にならなくなるだろう。また、野菜などとともに本格的に煮込む際に、胡麻油を少し垂らしてやることも効果的だ。
面倒な人や、臭いが平気な人は切った野菜と共にモツを鍋に投入し、タップリの水と共にレンジにかける。野菜やモツ(下茹でしてあるので、殆ど出ないが)アクを取りながら、野菜が柔らかくなるまで煮込む。途中で味噌を投入して、味をつける。このときの注意点は、煮詰まってくるために味が濃くなることを見込んで味噌の量を調節するということだ。
これで出来上がりなのだから、簡単だ。多少時間がかかることを除けば、殆ど手間いらずの簡単料理だ。大量に作れば、何日も食卓を賑わしてくれる、一人暮らしに心強いおかずとなるだろう。酒に良し、ご飯に良しと言うこと無しだ。食べるときにはネギの微塵切りと唐辛子は必須。
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先日、衝動買いしてしまった「丼物の具を作る鍋(正式名称不明)」を使って親子丼を作ってみた。
この鍋、非常に平たい外観で、柄が垂直に上を向いているものだ。カツ丼や天丼など、やや汁気があって最後に卵でとじるタイプの具を作る鍋である。説明が悪いが、見れば誰でも知っている物である。
親子丼などいたって簡単。玉葱のスライスと生の鶏肉(親子丼用としてスーパーなどで売っている)、そばつゆがあればできる。先ずは鍋にそばつゆを薄く張り、その上に玉葱と鶏肉を適度に並べて火にかける。あっという間に沸騰してくるから、火加減はかなり弱火で良いだろう。肉を中心によく火が通るように動かしながら、その間隙を突いて卵を溶いておく。全体に火が通ったところで卵を流し込む。
あとは卵が好みの固さになれば出来上がりだ。ご飯は汁を吸うから、固めに炊くことがポイントだ。大き目の茶碗、あるいは丼にご飯を持って上に具を滑り落とせば出来上がりだ。所要時間15分以内という、超スピード料理だ。
甘い味付けが好みの人は、そばつゆに砂糖や味醂を投入すると良い。
2002.1.9
沖縄の建物といえば。
鮮やかなオレンジの瓦に真っ白な漆喰が施された屋根が思い浮かぶ。100年以上前に立てられた「重要文化財」などだけでなく、現在の建物にも踏襲されている例もある。このオレンジと白のコントラストは、南国の青い空に非常にマッチしており、沖縄の象徴のような感じがする。私個人としては、屋根もさることながらその下の部分の方が感心する部分が多かった。
重要文化財級の歴史的・伝統的な建物は、当然ながら完璧な木造建築である。先ず家の周囲は、珊瑚や石灰岩などを主体とした石垣で囲まれている。この石垣、単に「塀」と呼ぶには頑丈すぎる。まさに「城壁」の如くガッチリとしたものだ。高さは2m前後と大した高さではないが、厚さは最大では5m以上あるだろう。何せ石垣の上が回廊式の「庭」になっているぐらいだ。
家の正面の部分で石垣は切られている。言うまでもなく門である。門を入ると、衝立のようにもう1枚の石垣が立っている。ラブホの玄関の前に立つ、目隠し用の衝立のようだ。この衝立式の石垣を回り込むと、中庭があり母屋の正面となる。これほどガッチリと家の周囲を護るのは、何と言っても「台風」の通過を前提としている。
台風による暴風雨から家を護る工夫は、まだある。屋根の縁の高さは、石垣の頂上とピッタリと合わせられ、木造部分への被害を最小限に留める。さらに瓦を漆喰で固めることによって、風で瓦が飛ばされることを防ぎ、加えて瓦の間から雨が侵入することも防いでいる。まだある。建物の軒下部分は、石垣と同素材の平らな石を建物をぐるりと取り囲むよう)敷き詰めてあり、水捌けの向上やドロなどで足元が汚れることも防いでいる。
建物自体は南国のものらしく、風通しを重視した簡素なものだ。豪農の家といえども、それは変わらない。全ての部屋に大きく開口部が確保され、ガラスや障子などが排除されている。つまり、開口部と外界を遮断するのは、雨戸しかないのだ。
現在では、このような建物はすっかり減ってしまい、重要文化財として保存されているものの他は、都市部を離れたところに僅かに残っている程度だ。那覇市内の観光地、国際通りの近くにも数件、このような歴史を有した家屋が残っているが、裏道のようなところを抜けなければ対面できない。現在の主流は、東南アジアなどのリゾートで見かける、コンクリート製の四角い、ルーフ・テラス付きの家屋だ。台風にも強く、涼しく、日陰を作る構造だ。これはこれでまた、南国の雰囲気があって良いのだが、どっしりとした風格のある伝統的な家屋の方が趣がある。
サーフィンが出来なかった沖縄での最大の収穫が、この伝統的沖縄建築である。
2002.1.7
今年最初の更新。
このTextを読んで下さった方々。昨年はありがとうございました。今年もご愛顧のほどを、よろしくお願いします。
沖縄でヌクヌクと過ごしている間に、本州では寒波の襲来で、中部地方の太平洋側まで雪が降った。と書くと、いかにも嫌みったらしいが、実は沖縄も寒かったのだ。最高気温は19℃、などと表示されているのだが、何しろ大層風が強かった。時には10m以上の強風が吹き荒れ、体感温度は10℃以下の日が殆どであった。したがって、車の中にいるときは、本州では考えられないほど強い太陽光線のおかげで、半そで短パンでOKなのだが、一歩車を出ると……そこは本土と変わらぬ寒さが待っている、という状況だった。
このような状況であるから、サーフィン三昧を狙った我々バカ夫婦の目論見は、見事に打ち砕かれた結果となった。31日は腰〜胸のファン・ウェイヴ。しかし寝坊して海に入れず。1日、2日は超強風(10m以上)が吹き荒れノーサーフ。3日は多少風は残ったものの、良い波が入ったのだが、前日までのノーサーフ状態の鬱憤を晴らすが如く、なんと1つのポイントに200人以上が詰め掛けるという状態で、パス。結局、沖縄でのサーフィンは出来ずじまいだったのだ。
31日は入れる状況だったのだが、寝坊にはわけがある。
以前、コフィン・バッグと名付けられたボード・ケースを購入したことは書いた。このバッグが激重たいことも書いた。先ず出発に際して、これを我が家の車に積むところから我々バカ夫婦の疲労の旅は始まった。ランドクルーザーという、車高の高い車の屋根に35kg近い重量物、しかも3m近い長さと50cm近い厚さの物体を持ち上げることは想像を絶する過酷さを伴う。
コフィン・バッグの中には、ボードの他にウェット・スーツやリーシュ・コード、ブーツ、グローヴ、フィンなどのサーフィン用品を詰め込んである。これが35kgという重量の原因であるのだが、手荷物を増やすことが出来ないから、仕方がない。
この重量物、一度車に積んでしまえばあとは文明の利器の力で楽々なのだ。しかし、今度は羽田空港で苦しみを味わう。30日は冬休みに入ったばかりで、各地への出発ラッシュだ。大勢の人々でごった返す出発ロビーに、この重量物が登場したのである。我々の周囲はクジラを見るような好奇の目と顰蹙の嵐が吹き荒れた。とにかく、我々以外の人々にとっては「邪魔」でしかないのだ。
やっとのことでチェックインを始めた頃には、既にかなりの疲労が我々に蓄積していたことは言うまでもない。手荷物を預ける際のX線検査では、係りの人から「物凄く長いです。物凄く重いです」という言葉が飛び交い、かなり恥ずかしい思いをした。しかし、心配していた「持ち込み拒否」や「超過料金徴収」がなかったことは幸いだ。当然超過料金は取られるものと覚悟していたのだが、係りのお姉さんは「サーフボードですね?」と言ったきり、後は何も言わない。ラッキーであった。
しかし、さらに過酷な状況は続く。
沖縄へは最終便で出発。当然、到着は10時を過ぎていた。荷物の受け取りなどを済ませると、既に11時近い。この重量物は、カサがでかいために私が持ち運ぶことでしか移動できない。カートに乗せると、ズリ落ちたり方向転換がうまくいかないのだ。ボードケースを担いで歩くと、さすがの私もヨタヨタであった。
次の難関はレンタカーであった。レンタカー会社までは、空港からマイクロバスで行く。当然、このボード・ケースの出し入れには大変な労力と同乗者への多大なメイワクが付随する。皆さんに謝りながら、座席の間の通路部分に「棺」を安置する。その後レンタカー会社へ到着すると、再び労力とメイワクをかけながら下ろす。さらには借りた車に積み上げる。やっとのことで手続きと積み込みを終えて出発したのは、日付が変わる直前であった。
やっと一安心……ではない。更なる試練が我々バカ夫婦には待ち構えていた。
ホテルは11時を過ぎるとフロントから人がいなくなる。あとはオートロック・システムになるのだ。これは、事前に連絡して、フロントに人を残してもらって、ホテルに入れない! という状況は回避できた。奥さんにチェックインを任せ、私は荷物を下ろす。コフィン・バッグを担いで、苦労してエントランスに入ると、愕然とする事実に突き当たった。何とエレヴェーターにバッグが入らないのだ!!!
仕方がないので、ボード・ケースを除く荷物を部屋へ入れ、夫婦力を合わせて「非常階段」を使って「人力」で運び上げることとなった。この非常階段が狭く、ヘアピン・カーヴの連続という、過酷この上ない状況だ。30分以上かけて運び上げ、部屋へ安置すると、我々は無言のうちに着ていた衣服を脱ぎ始めた。全身汗に塗れていたのである。
それから一杯やりに出かける気力もなく、近くのコンビニへ買出しに出かけ、泡盛を食らって眠りについたのは2時30分を大きく過ぎていた。翌日、起きられなかったことは言うまでもない。
こうして、唯一のサーフのチャンス逃した我々は、毎日非常階段からボードを下ろし(このときはボードだけだから、かなり楽であった)てはポイントまで行き、ノーサーフを確認してはホテルに帰り、またまた非常階段からボードを上げるということを繰り返した。
この鬱憤を晴らさずに「仕事始め」は迎えられない。沖縄から帰った翌日の5日、我々は千葉の「冷たい海」に入ったことは言うまでもない。
労多くして功少ない沖縄旅行であった。
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