2001年6月分


2001.6.29

奥さんの「盲腸」その後。

今朝、彼女は病院へ行った。その報告がお昼過ぎにあったのだ。先週の今ごろが丁度発病? だったのだが、その際に盲腸と膀胱炎を併発している疑いがあった。元々彼女は疲れが溜まってくると膀胱炎が出る体質だったのだ。今回は盲腸に引っ張られての発病だったらしい。

さて、全快病院に行ったときには、尿検査、血液検査、抗生物質投与という流れで進んでいた。今朝も尿検査、血液検査を行ったという。その結果、尿はキレイになり、膀胱炎は完治。血液中の白血球の数値も正常に戻り、盲腸も完治。という次第であった。今週末まで様子をみて、変化がなければ、もう通院の必要もないそうだ。

しかし、彼女が飲んでいた抗生物質は、相当効くようだ。何せ一回に一錠しか飲まないのに約一週間で二つも病気を片付けるのだから大した物である。私など怪我には強いが、病気系はほとんど経験がないから、この「薬を飲めば直る」という感覚がとうにも信じられない。盲腸→手術というイメージしかないから、いわゆる「薬で散らす」というのが、本当に効くのかどうかが疑わしいのだ。

事実、どこかで聞いた話だが、盲腸を薬で散らした場合、次に再発したときは盲腸が大きくなってしうのだという。必ず再発するかどうかは分からないから、その場しのぎ? 的感覚で薬を選ぶのだろう。奥さんとしては、手術してしまうと痕が残ることを恐れているのだ。「水着が着れなくなってしまう」というセリフが何度となく彼女の口から発せられた。彼女は、海外では相当にセクシー系の水着をご着用あそばされるから、傷物になるのを恐れているのだ。

まぁ、とりあえず良かった良かった、である。しかし、この抗生物質投与中は、プールはおろかセックスまで禁じられるという、私にとっては甚だ遺憾な一週間であった。息せき切って「セックスは?」ときいたのだが、週末はダメだという。来週までお預けを喰らった。

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昨日の「似非モヒカン」。

実は、イングランド・プレミアリーグのスター・プレイヤーである、ベッカムがしているのをサッカー雑誌で見かけたことがキッカケだ。金髪の長髪、というイメージの強かった彼が、坊主頭からモヒカンという突然のドラスティックなスタイル変更したことは、私にたいそうなインパクトを与えた。彼のスタイルを参考に今回の週末だけのスタイルを実行する予定だ。

私的には既にイメージが出来上がっている。バリカンの刃は、9mmにセットする。中心線部分を幅5cm残すことにしている。前頭部から頂上付近までは自分でできるが、後頭部は奥さんの助力が必要だ。見事な仕上がりがイメージされて、今から密かに興奮状態である。

しかし、よくよく考えてみると、短い部分は本当に短く(剃る勢いが必要)しないと、単なる「段違い」になってしまうことに今気づいた。ちょっと心配になってきた。

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Chuteのグリップを交換した。

ペダルと共にグリップは、身体とバイクが直接接する数少ないポイントだ。太さや形、色、材質、手触りなどなど、驚くほどの種類が市場に出回っている。私が選ぶポイントは、太さと「鍔」だ。長くBMXに乗っていた関係で、グリップに鍔がついていないと不安なのだ。太さは、グローヴをはめた状態で握りやすい太さを目安としている。好みは、一般的な太さから言うと「結構細め」だ。握ったときに力が入るし、左右ともブレーキやシフト操作があるから、なるべく細い方が良いのだ。

現在使用中のグリップは、BMXレース用のものだ。BMXレースのグリップは全体的に細めで、私の好みのものが多い。本来Speed Series用に購入した物をChuteにつけてしまったのだ。したがって、KONAのバイクにGTのグリップという、マッチングに難がある。まぁ、握ってしまえば分からないのだが。

グリップの取り外しはかなりの重労働だ。新品のグリップの穴は、当然ながらハンドルよりも細い。しかもゴム系の素材だから、当然ながら滑りも良くない。これを引っこ抜くために「パーツ・クリーナー」という揮発性の高い油落しを、グリップとハンドルの間に吹き込んで、一気に(ほとんど一発で成功しない)引き抜くのだ。装着するときも、予めパーツ・クリーナーをグリップの内側に吹き込んでおいて、一気に突っ込む。

普通ならこれで作業は終わりなのだが、鍔付きの場合は、ブレーキやシフト操作の邪魔になる部分をカッターで切り取る作業がある。私のChuteは、シフトが右側しかないから、この作業も右だけしか行わない。邪魔になる部分を切り取ると、鍔は半分ぐらいになってしまう。これならないほうがましか? とも考えるのだが、あるのとないのとでは、気分的にも(多分)ライディングにも大きな影響が出る。

交換作業に約15分。早速試乗してみると、抜群の感触だ。これだけもかなり乗りやすくなったような気がする。スポーツはやはりメンタルな部分が重要なようだ。


2001.6.28

この週末の挑戦課題「似非モヒカン」。

ここ3週間ばかり、週末も含めて色々忙しく、バリカンを使っていなかった。大分髪の毛も伸びてきて、指で挟むと、間から僅かに髪の毛が見える程度になってきたのだ。この機会を利用して、頭部の中心線部分を残して、側頭部を五分刈りにした「似非モヒカン」を楽しもうと思う。さすがに、そのカッコのまま職場へ出てくれば、周囲に人々をビビらせるだけでは済まないだろうから、日曜日の夜には中心線にもバリカンを入れる予定だ。

土曜日は倉庫へ先日のレセプションの荷物を整理しに行かねばならない。外出の際のスタイルを少し考えてみよう。足元は、レッドウィングのワークブーツで決まりだ。肉体労働ということもあるが、ハードなイメージを与えることができる。ボトムはキレイに色落ちしたエヴィス。スリー・サイズぐらい大き目で、やや怠惰な印象を重視。トップは軍隊緑(オリーヴ・グリーン)のタンクトップだ。鍛えられた肉体を誇示する。そしてスパイのサングラス(ショーン・パーマー愛用)で「ワル」のイメージを強調する。

完璧なスタイルだ。これに着替えとタオル、サイフや本を詰めたマウンテンスミスのランバーパックで出来上がりだ。

しかし。キャップを被ってしまいそうな自分が見えている。

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京都議定書(地球温暖化防止京都会議)の問題について考えてみた。

アメリカが批准しないことに焦点が当たっているが、それ以前に、日本が批准するか否かに問題がある。この教徒議定書は、発展途上国を除く先進国の排出二酸化炭素の目標値を定めているが、その目標値が全体の55%を超えなければ効力を発揮できないのだ。ヨーロッパの国々や賛成している国々だけでは55%を超えないのだ。日本の割当量である8%がこの議定書の成否を決定付ける。

アメリカは割当量で全体の40%近くを占めるが、その分削減の際の国内での摩擦は相当な物がある。また、アメリカの主張には、発展途上国に割り当てがないのは「不公平」である、というくだりがある。これまでの歴史的背景や自国の状態を全く無視した、極めて「無責任」な発言である。

アメリカは、発展途上国を植民地として、また冷戦時代には資本主義の防波堤として位置付けてきた。また、石油の戦略的地域として中東諸国を力で支配しようとした時代もあった。このために中東諸国のナショナリズムを活性化させ、石油の禁輸などの力技を行使させ、オイルショックを招いた。こういった責任の所在は、すべてアメリカが力で抑えつける政策を貫いた結果である。

現在石油の最大輸入国はアメリカである。アラスカに大油田を抱え、微少ながらメインランドにも油田を持っているのにである。これは、戦略物資である自国の石油を極力使わず、本当に枯渇したときの武器として使う目的だからだ。それでいて、動力燃料となるガソリンや軽油の生産量は他国を圧倒し、その価格もはるかに低く抑えられている。数年前のことだが、リッター当たりのガソリンは40円代だったと記憶している。

無尽蔵に排気ガスを産出する体勢にあるといっていいだろう。輸送の主体は巨大なトレーラー・トラック、きちんとした車検制度もなく、排気ガス規制などお構いなしの自家用車。こうした状態を野放ししておきながら「不公平」もあったものではないと思うのだが……。

ヨーロッパでは、EUがまとまってアメリカ抜きで批准することが確実だ。アメリカとしては、日本の切り崩しが最も楽だし、確実な形で議定書の効力を潰すことができると判断しているのだろう。自国が主導権を取れない状態で、この議定書が効力を発揮することは何が何でもストップさせたいに違いない。

ブッシュ政権としても、国内の圧力団体からのプレッシャーは想像を絶するものがあるだろう。自動車業界をはじめとする「ロビー活動」は熾烈を極めるに違いない。しかし、前述のごとくアメリカの状態は先進国の中でも、最も二酸化炭素を排出しやすい。これを改めない限りは、世界に向けてどんなことも主張する資格はないと思う。

川口環境大臣は、議定書の批准については明確なコメントを避けているが、このままではズルズルとアメリカ側へ引きずられてしまうだろう。小泉首相の訪米及び首脳会談が迫っている。それまでに、日本としての明確な意思表示が必要だ。

アメリカ抜きの批准を、私は支持する。


2001.6.27

我が家の自転車たちの改造について考えている。

そろそろボーナスの時期だからだ。いじるときには、まとめていじらないとならない。自分で加増できるところならば良いのだが、ショップなどに頼む場合は、改造個所を小出しにしていると工賃ばかりが嵩んでしまう。Bicycleのページにアップ後、GT Zaskerはシートが真っ赤な「セラ・イタリア」に変更された。これは奥さんたっての希望で、彼女がはじめて自ら出費した、記念すべきパーツだ。

もう、大掛かりな改造個所はほとんどないのだが、いじりたい、と密かに考えていることを少し書いておこうと思う。

Chute:リア・ディレイラーのショート・ケージ化。コーナリングで、バイクを倒しこんだ際や、シングルトラック(幅15〜20cm程度の非常に細いコース)でディレイラーが地面に接触しないため。スラローム、ダウンヒルでは常識の改造。シート及びシートポスト交換。単純に奥さんのシートがカッコ良かったから。ペダル交換。Shimano DXの靴への食い込みがイマイチなため。チェーンリングの小径化。スタート時の加速を稼ぐため。というのは建前で、本当は寄る年波からパワー不足を感じつつあるから。

Zasker:パーツに関しては完璧。そろそろフレーム交換か?

Speed Series:タイヤ交換。かなり磨耗が激しくなってきているため。ブレーキ交換。現在、ダイアテック製のVブレーキだが、精度や効きが気に入らないため。Shimanoへの交換がベスト。元々パーツが少ないBMXだから、交換すべきパーツはほとんどないのだ。フレームの交換もやろうかな???

フレーム交換に関しては、Zaskerはそろそろ本気で考えたいところだ。スラローム系は、Dualというよりカゲキな分野へ移行しつつある。今までのようにハードテイルでカヴァーし切れないコースも増えてきているようだ。ここは一発、フルサス・フレームへの変更も視野に入れつつ、後はそう奥さんを説得するかにかかっている。

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現在、我が家の最大のテーマとなっているのが「収納」だ。

食器を中心とした食事に関するものは、今のままで十分だろう。本に関しても「買ったら捨てる(これがなかなか出来ない)」を徹底すれば、溢れることはない。靴に関しても、急激に増やさない限り、何とかなりそうだ。問題は洋服とカバンだ。こればかりは、なかなか上手な収納方法がない。それは既存の収納道具(ワイヤー・ラックやブティック・ハンガーなど)を使うことを前提にしている。

それ以前に、着る人間に対して持っている服やカバンが多すぎる、というのが根本原因だろう。しかし、こればっかりは容易に止められるものではない。これまでの増加と廃棄のペースを保ちつつ、これまで以上に効果的な収納方法を考えなければならない。我が家では幅2.5mと1.5mの二つのブティック・ハンガーを使っているが、これがもう限界にきている。このあたりからどうにかする必要があるだろう。

先ず「畳んで重ねる」という方法は、限界が低い。下の方の物は、取り出すのも難しいし、発見することすら出来ない可能性がある。また、重ね方が乱雑だと「雪崩」の危険性もある。シワになる物については、この方法は論外だ。

「丸めて並べる&重ねる」という方法は、一見良さそうだ。確かに、旅行などでパッキングする際には、私も活用している。畳んで重ねるよりも、はるかにたくさんの衣服を収納できる。しかし、この方法は重ねることに対して、安定性を欠くという弱さがある。引出しの中やカバンの中のように、支えとなる壁が必要なのだ。しかも、重ねると発見がより困難になるという弱点もあるのだ。

そこに登場したのが「衣装ダンス4つ分を畳二畳分のスペースに!」というキャッチで登場した、回転式のタンスだ。これは奥さんが「通販生活」という雑誌から発見したのだが、見てみると相当良さそうだ。しかし、サイズを測ってみると、僅か1.5cmで我が家の壁面に収まらない(高さが)事がわかった。これの小型版、しかもラックのみという物もあって、現在検討中だ。

これが手に入れば、二つのブティック・ハンガーに掛かっている物は、すべて一つに収納されることになる。こうなれば、もう一つワイヤー・ラックを購入して、畳み系の服も楽々収納できる。さらにはカバンたちも、収納するスペースができるだろう。

しかし、この脅威のタンス、回転部分に工業用ベアリングなどを使用し、強度もスムーズさも抜群なのだが、何分高価なのだ。この構造をもとに私が自作することも考えてはいるが、強度を稼ぐことが難しいだろう。ボーナス時期ということもあり、本物の購入の線が濃厚なのだが……。

私の自転車改造計画は、机上の空論となってしまう可能性が高い。


2001.6.26

「アブスライド」という物を買った。

以前にも書いているが、我々夫婦はテレビの通販番組が好きだ。その商品自慢の効果が発揮されるたびに、テレビからはサクラの声が上がる。我々も「お〜!」とか「スゴイ!」などと声を出したり、アゴが胸に付くほど頷いたりしている。それでも私は比較的クールで、見たものを速攻で買おう! という気にはなかなかならない。しかし、奥さんは衝動的に電話に手を伸ばしてしまうタイプだ。

以前にもこの系統の番組を見て、何でも落ちるスポンジについては、その驚異的な効果をお伝えしたが、これは類似品が近所のスーパーマーケットに売っていた。「東急ハンズ」には、この手の番組で扱っている商品がほとんど売っている、という事実も発見した。何も送料を払って買うことはないのだ。

先日(といっても、もう3週間ほど前になる)、この通販番組を見ていたときの商品が「アブスライド」である。30cm×25cm程度の子供の自動車のおもちゃみたいなカッコをした、腹筋を中心とする上半身を鍛えるマシン(というにはおこがましい)だ。車の両脇に取っ手が付いており、膝を起点にして前へ伸びていくのだ。車の中にはバネが入っており、そのバネの反動を利用して帰ってくるときの不可を軽減する仕組みになっている。

よくよく考えてみると、この構造は「チョロQ」と同じではないか! それに、バネで負荷を軽減してしまったら、効果が薄れてしまうではないか! とはいえ、番組での宣伝効果は、我々バカ夫婦を騙してすっかりその気にさせるだけのものがあった。筋骨逞しい外人モデル、キレイで色っぽくスタイル抜群の金髪女性……。「私たちはこれでこんな身体になりました!」おまけにミスター・アメリカを何年も連続で獲得した選手の秘密兵器という触れ込みだ。

私が気づいたときには、奥さんは受話器を耳に当てて発注体勢に入っていた。実はこの機械、以前に発表されたマシンの改良版なのだ。改良前はバネもなく、一枚の円盤の両側に取っ手が付いていただけのいたってシンプルな形だった。私は、これを購入したことがあったのだ! しかも、我がジムにはいまだにこのマシンがあり、選手たちの補強練習に使われている。

この改良前のモデルは、バネが付いていないために非常に高負荷なのである。しかも、いわば「一輪車」を押しているのと変わらないから、安定性にかける。素人では、伸びきったところで転倒する可能性が高いのだ。これに対して「アブスライド」は、4輪で安定性も高く、負荷も軽減されているから、奥さんには丁度良いだろう。

ということで効果のほどは分かっているし、何より本人がやる気になっているから、発注を止めなかったのだ。非常に人気商品ということで、デリヴァリーに3週間かかるという返事であった。その待ちに待ったマシンがようやく到着したというわけだ。

早速使ってみよう!

安定性が増したとはいえ、膝とマシンだけで身体を支えつつ伸びる(このときに上半身の様々な筋肉が緊張し、効果を上げる)ことはツライようだ。奥さんがやると腰が引けてしまう。もっと伸ばさなければ効果が無い、と指摘するが、伸びきるだけの力がないようだ。1日10〜20回程度、2週間も続ければ身体も伸びるようになるだろう。

変わって私がやってみる。このマシンは経験済みだから、いっぱいまで身体を伸ばすことができる。戻ってくるときに、バネによって負荷が軽減されているのがありありと分かる。「こうやってやるんだよ!」とばかりに、調子に乗って50回も続けてしまった。このマシンを効果的に使うコツはゆっくりとやることである。スピードや勢いをつけると、効果が薄れるのだ。最後の方では、さすがに背中に薄っすらと汗をかいてしまった。

今朝、起きてみると、僅かに腹筋が「筋肉痛」になっているではないか! この私の腹筋を疲れさせるのだから、アブスライドも捨てた物ではない。恥ずかしいので、筋肉痛の件は奥さんに黙っておくことにする。


2001.6.25

週末の報告はない。

この週末、職場主催のレセプションがあり、土曜は接客、昨日は撤収と働いていたのだ。レセプションというと、華やかだとかキレイだとかいうイメージがあるが、なかなかどうして、そこで働く側から見れば、たいそう疲れる。ほぼ12時間、立ちっぱなしで下半身は血行不良で浮腫み、腰は痛み、しまいには眩暈すらしてくる。

搬入や撤収も重労働だ。今回、スケジュールの都合で搬入及び設置は免れたが、運び込んだ商品を設置する作業は、それは気が遠くなるような作業だ。撤収も、疲れた身体と精神状態で行うから、集中力は鈍り、ダレダレで行われる。大きな商品などの運搬では、怪我の危険性も出てくる。昨日は、比較的早く終わったので、夕方は少しゆっくり出来たが、今週の土曜日は、この運び出した荷物が倉庫へ帰ってくる。この倉庫整理を考えると憂鬱になる。

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奥さんが「盲腸」になった。

いい歳して盲腸もないと思ったが、驚いたのは、最近では薬が発達したからなのかどうかは定かではないが、盲腸程度ではほとんど手術しないのだという。発病に気づくのが遅れ、腹膜炎を併発しない限りは、いわゆる「薬で散らす」作戦なのだ。確かに、完治まで約2週間かかる手術よりは、1週間薬を飲んで直してしまった方が、普段の生活への影響は少ないだろう。切れば、消毒や抜糸、検査、入院と時間も金ももったいない。

身近なところでこういう病気が発生すると、いつも考えることがある。私は人一倍身体が頑丈だ。これは病気しない、ということだけではなく、怪我や病気に伴う「痛みに対する耐性」にも強いことを示している。かなり酷い痛みでも「痛いだけでは、人間は死なん!」とか「痛いうちは、生きている証拠だ!」と考えて耐え切ってしまうところがあるのだ。

この頑丈さは、良く考えてみれば「諸刃の刃」的危険性を孕んでいる。一度薬(主に痛み止め)に頼ってしまうと、些細な痛みでも薬を必要とする「弱さ」を精神と肉体に植え付けてしまう。また「このまま死んでしまったら……」などというネガティヴな発想によって、「病気に押し潰されてしまう」ことにもなりかねない。これでは、良くなるものも良くならない。「病は気から」という言葉の通り、人間の肉体の回復には、精神面が強く関わっていると思う。

反面、なまじっか耐性があるために、本当に大きな危険な病気を早期発見できない可能性や、怪我の悪化を招く可能性がある。こうなると、気づいたときには「手遅れ」になっていることになりかねない。若い人や身体が頑丈な人が、癌が発見されたときには手遅れの状態になっている、という現象の理由は、ここにあるのだと思う。

身体の順応性を考えると、それはすごい物がある。一定期間、同じ環境に置かれると、それを「当たり前の状況」として受け入れてしまうのだ。病状の進行には波があるから、痛みが断続的に訪れても、しばらくすると引いてしまう。再び訪れるときは少し痛みが増す。しかし、一度耐えてしまうと、耐久性が徐々に増すから、絶えることを繰り返しているうちに、我慢できないような痛みになったときには、病状は恐ろしく進んでしまっている。

こうして考えてみると、私などは完璧に手遅れになる頃に発見される人間だろう。

毎年一回、定期的に健康診断は受けているが、病気というのはいつ発病するか分からない。健康診断を受けたからといって、100%安全ということではないのだ。ちょっとでも調子が悪ければ医者に行く。そして、飲むべき薬を飲む。そういう意味では、現在の医者は、どれがどの薬かということをきちんと説明してくれる。痛み止めに類する薬は極力飲まなければ良いのだ。


2001.6.22

「ご飯」について考えた。

当然ながら、日本人の主食だ。多い人なら、朝昼晩三食ご飯を食べる人もいるだろう。我が家は比較的少ないと思う。朝は基本的に食べないし、食べるとしてもパンだ。昼はほぼ確実にご飯を食べる。夜は一週間に2〜3回程度だろうか? だからといって、夫婦揃ってご飯が嫌いというわけではない。むしろ「大好き」の部類に入るだろう。

我々のご飯の「食べ方」について少し検証してみた。

まず、我が家のご飯はかなり固めに炊かれる。これは、茶碗に盛られたご飯の上に様々なおかずを乗せて食べるためである。というのは建前で、本当は固めが好きなのだ。どれほど固いか? というと、翌日の弁当に出来ないぐらいだ。ご飯粒どうしがくっつかない程度、インディカ米風の仕上がりだ。

冷奴(中華風が特に美味い)をご飯の上に乗せて崩しながら食べたり、割りと汁気の多いおかずもご飯の上に良く似合う。茶碗に盛りながら「擬似丼物」を楽しむのだ。これがなかなか美味い。オイルサーディンとキャベツを炒めた物(唐辛子とニンニク、胡麻油は欠かせない。味付けは醤油がメイン)など、最高だろう。オイルサーディンがアンチョビーに変わっても美味い。

これは「乗せて混ぜる」というパターンだ。もっと一般的なパターンとして「予め混ぜる」と「混ぜて炊き込む」というのがある。面白いのは、奥さんが前者で私が後者を得意としていることだ。前者は下拵えや調理が必要で、大したことは無いが「手間」がかかる。後者は何でもぶち込んで炊き込むから、非常に簡単で、まさに男の料理といえるだろう。

この「炊き上がった物に混ぜる」方法は、非常にヴァリエーションが豊かだ。前出の「キャベツ&オイルサーディン」もここにカテゴライズされるだろう。とにかく美味そうな物を混ぜてしまえばいいのだ。いくつかピックアップしてみよう。

・鮭プラスα:焼いた鮭の切り身(塩辛すぎる物はダメ)を解して、茹でた大根や蕪の葉っぱの刻んだ物と併せる。酒、醤油で味付けする。これを混ぜ込むのだ。最後に七味唐辛子などを振れば、抜群だ。

・ひじきプラスα:戻したひじきと挽肉を炒め、酒、醤油などで味付けすればOKだ。肉の脂を中心とするコクが何ともたまらない。多少ヘヴィではあるが、おかずを作るのが面倒なときなど、もってこいだろう。

これに対して「ぶち込んで炊き込む物」は、もっと乱暴だ。味も風味も出来上がった物を食べてみないと加減がわからない、というスリリングな楽しみがある。ということは、実は前者よりも料理人の腕や匙加減が如実に現れる、難しい料理ということになる(自慢)。私の必殺メニューを列挙してみよう(以前のTextとの重複あり)。

・ツナとミックスベジタブルのピラフ風:オイルド・タイプのツナ缶とミックスベジタブルを磨いだ米と一緒にお釜にぶち込む。大量の胡椒と固形スープの素を投入して炊けばOKだ。ヴェリー簡単、美味さは抜群。ミックスベジタブルは大抵冷凍してあるから、水加減は少なめがポイント。

・コーンドビーフご飯:コーンドビーフの缶詰めを磨いだ米の真中にセットして、大量の胡椒を投入して炊けば出来上がりだ。色彩的見てくれはあまり良くないが、コーンドビーフのダシが良く出て最高のご飯だろう。ヴァリエーションとして、生玉ねぎのスライスを投入して炊き込むと、美味さが増す。

この他にも、パエリアだとかリゾットといったご飯ベース、というよりは米ベースの料理があるが、手間も時間もかかるから、私の方針からは外れる。奥さんのテリトリーとなろう。料理の合間に酒を飲んだり、本を読んだり、音楽を聴いたり出来ないと、男の料理はダメなのだ。要はインターバルが長くないといけない。

裏を返せば、面倒であってはならない。ズボラな料理ということである。


2001.6.21

坊主頭について考えた。

このTextの中でも、あちこちに書いているが、私は坊主頭だ。この坊主頭、本人にとっては非常にメリットだらけのスタイルだ。ドライヤーなど必要ないほど水切りが良いし、整髪量など関係ないほどメインテナンス・フリーだし、体温が上昇した場合の方熱効果も抜群だ。しかし、デメリットもないわけではない。先日も酸性雨のところで話題にしたが、髪の毛が持つ本来の役割であるところの外的衝撃へのクッション効果がなくなってしまうのだ。

まぁ、これは帽子を被るとか、自ら注意するとか、頭そのものを鍛えるとか自衛の手段はある。

しかし、社会的な立場? で考えてみると、スキンヘッドやモヒカンほどではないが、このヘアスタイルはかなり異質な部類に入るようだ。私がこのスタイルにはじめてしたとき、友人・知人・会社関係の人々は、一様に「何かあったのか?」という質問を浴びせてきた。私としては、どうもしないのだが、一般的な坊主頭のイメージは、かなりネガティヴなものなのだ。

「頭を丸める」という言葉は、仏門に入るというのが本来の意味だと思う。しかし、何か失敗をして、それに対して詫びるためにする、という意味も持っている。ヤクザが「指を詰めて」侘びを入れる、という感じだろうか? 世の中のイメージとしてはこれが先行しているようだ。刑に服す際に、やはり受刑者は頭を丸める。このイメージも強いだろう。子供であれば、スポーツ(主に野球)や校則などの理由で……という発想になるのだが、大人がするというのには、やはり特別な理由があると思われてしまう。

確かに「天然」とか「自然」という理由で髪の毛が少ないことを除けば、人は頭に髪の毛がある程度乗っていることが当たり前だという固定観念みたいなものがあるだろう。当然あるべきものが無い場合、驚きとか奇異という言葉が頭に浮かんで当然だ。

髪の毛は、長い・短い、真っ直ぐ・うねり、分け方、まとめ方など、服装と比べてもはるかにヴァリエーションがある。しかも周囲に与えるインパクトは非常に強い。ちょっと手を加えるだけで、印象はガラリと変わる。ヘアスタイルは、洋服やアクセサリー以上に自己表現する手段として自由度が高いのだ。坊主頭は、こうした自由度とは対極の位置にあるといえる。

刑に服する、侘びを入れる、という考え方は、こうした自由を奪うことだ。入信するということは、このような自由を拒絶し、神に仕えることを意味する。そういう意味では、このような理由が無く坊主頭にするということは、「反社会的」という意味も含めて究極の自己表現だろう。

以前、アメリカでバスケットボールのスーパースター、マイケル・ジョーダンがスキンヘッドにしたところ、黒人の間でスキンヘッドのブームが起こった。ジョーダン本人は、ただハゲてきてしまったため、スキンヘッドにしただけなのだが、影響力を持つ人がやると違う。そのブームは、他のスポーツ選手も含めて、黒人社会のステータスとなっている。

アメリカにおけるスキンヘッドの捉えられ方が、日本における坊主頭やスキンヘッドとは違うことは確かだ。しかし、あることがキッカケで、それまで「白」いものが突然「黒」いものに変わってしまうことはあると思う。現在、日本でもアイドルと呼ばれる人々が坊主頭にすることによって、徐々にではあるが認知されそうな方向へ傾いている。

まだまだ業界によっては、坊主頭はマイナス・イメージなのだが、私は「ワル」と「清潔感」という相反するイメージを堅持していこうと決意している。


2001.6.20

奥さんの誕生日を祝った。

ケーキなど買って帰った事がなかったのだが、昨日はどうしたわけか、突然ケーキを買う気になった。二子玉川の高島屋の地下をグルグル回って良さげなケーキを物色。一つ3000円もするデコレーション・ケーキを奮発して帰った。それにしても、ケーキというのは高い! 甘い物があまり好きではないから、なかなか自分でケーキを買い機会がなかったのだが、買ってみてビックリだ。

確かに、デコレーション・ケーキは、その「デコレーション」の部分にたいそう手間がかかっているだろう。機会でやるわけではないだろうから、当然のことながら手作業だ。それを考えれば価格に返ってくるのも頷ける。帰ってから奥さんにこのことを話すと、高い物はもっと高いのだという。手間だけでなく、スポンジやクリーム、フルーツなど素材に拘っていけば、それだけお高い物になるのだろう。上野毛駅近くに発見したケーキ屋でも、ほんの4〜5切れ買うだけで2000円近くするのだ。

私としては同じ金額で買えるだけ板チョコ(私が好きな、唯一の甘い物)でも買った方が、ずっと充実するのだが。

家に帰り着くと、シャワーを浴びた。その後、お洒落をしてお食事だ。なかなかお気に入りの店が出来ない我々夫婦を雰囲気、味で十分満足させてくれるお店がある。Roy's Bali Haiだ。この店は、ロイ・ヤマグチさんのお店なので、ご存知の人も多いと思う。本来はRoy'sといえばフランス料理系なのだが、ここはBali Haiという名前の通り、バリを中心とした東南アジアの料理が主体だ。

面白いのは、ワイン。昨日は食前のカクテルのあとはワインにしたのだが、リストに載っているワインはほとんどキャリフォルニア産なのだ。さすがにアメリカの店だ。我々夫婦は、フランス産よりもイタリアや南アフリカ、チリ、キャリフォルニア産の方が好きだから、このリストには大満足だ。

料理も、肉、魚、野菜、フルーツと味に煩い人でも満足できるだけのものがある。また、米へのさりげないがアジアへの拘りが、非常に感心するポイントだ。長粒種、いわゆるインディカ米やもち米を使うのだ。インディカ米は、独特の香りと味が、私の大のお気に入りだから、嬉しくなってくる。

ワインを飲みながらアペタイザーからメインディッシュへ進む食事は、高い天井とレンガの壁、適度に薄暗い照明がミックスされて、非常に落ち着いていて、尚且つ雰囲気が抜群だ。ペアできても、大勢できても楽しめる非常に良い「隠れ家」的お店だ。昼間もランチが食べられるのが嬉しい。我々夫婦は昼夜問わず、結構利用している。

余談だが、このBali Haiの隣には、系列でもある青龍門(せいりゅうもん)がある。こちらは中華のお店だが、メチャクチャに騒々しい。夜というよりも明け方までやっているから、こちらも良く利用する。

食事を楽しんだ後は、我が家で私が作ったカクテルを飲みつつデザートだ。部屋を暗くして蝋燭を灯したケーキを演出。ブラック・コンテンポラリー・ソウル・ファンク風にアレンジした私の「Happy birthday」を披露した。私はほんの少ししか食べなかったが、奥さんがダイエット中にもかかわらず、買ってきたケーキを半分も食べたのには驚きだった。女性は、甘い物が好きだというが……。

こうして、昨日の夜は更けていった。

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Faorites A to Zを少し更新。今回はLancia。


2001.6.19

奥さんの泳ぎがたいそう上達した。

3月の半ば頃から通い始めたスポーツクラブ。彼女の本質的な目的は、水泳の上達であった。もちろん、スポーツクラブでは各種の教室とかスクールを行っている。通いだした当初は「初級クロール」にでも出るか? などといっていたのだが、結局「Chuteスイミング・スクール」の生徒となった。生徒は彼女一人であることは言うまでもない。しかし、彼女の上達振りを見ると、私の教え方も満更ではないようだ。

始めた当初は、まさに「溺れているのか泳いでいるのが」分からない状態であったのだが、現在ではプールの半分ぐらい先をクロールで行く男性に追いついてしまうほどのスピードと、素人とは思えないキレイなフォームで泳ぐのだ。

私の教え方は、徹底したイメージ先行型だ。たとえば、クロールの腕の動き。肘から抜いて親指から入水する。入水したら、肩が耳に付くまで伸ばす。水中では、掌は顔の前を通過する。これだけだ。このメッセージの中には、様々な理論が含まれているのだが、人間、理論が選考すると身体は動かないものだ。マニュアルなどの文章を読んで、理論が具体的なイメージで浮かぶほどの才能がある人などなかなかいるものではないのだ。

大体のイメージさえ頭の中で映像化できれば、あとは実地で補正していけばいいのだ。海や川などの自然環境でいきなり試すのは危険だが、プールなどで練習を積んでおけば、不測の事態にも身体が自然に反応できるようになる。人間の身体というのは、自分で考えているよりもずっと順応性が高いのだと私は思う。

キレイなフォームで泳ぐ、ということは適正な筋肉の使い方をするということだ。奥さんは夏前までに3kg〜5kg痩せる、という腹積もりだったようだが、筋肉の発達のスピードが脂肪燃焼のスピードを上回りってしまい、彼女の計画とは裏腹に体重増か現状維持の方向にある。先日タンクトップを着た後姿を見たが、バランスよく筋肉の付いた身体に変化しつつあるようだ。

日本のMissy Gioveに育てることが目標だ。

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今朝のニュースで面白い学校のことを取り上げていた。

「ミュージアム・スクール」というもので、ニューヨークでの試みだ。校舎を持たず、ニューヨーク市内にある美術館、博物館などを教育の現場として使うというものだ。確か中学校だっと思うが、非常に画期的な試みだと思う。先生には各美術館や博物館の学芸員が起用され、生徒たちは興味の対象を深く掘り下げながら学ぶことができる。体育や音楽、その他の教科などは、学校の校舎を借りて行われるらしい。

今年か、来年あたりに第一回の卒業生が出るとのことで、今後が注目されている。

美術品にしろ、遺跡からの出土品にしろ、実物に触れる機会が早いうちに訪れることは非常に重要なことだと思う。本当は何に向いているか? これは、本人にも分からないことだと思う。幼い頃から様々なことに興味や好奇心の対象を広げることは、個人の向き不向きを早い時期に発見できることを意味する。大人になってから気づいて始めるよりもずっと効果的だろう。特に、身体を使って行うことだと、大人になってから自分の才能に気づいても遅すぎる可能性がある。

子供の頃は、頭脳や身体の適応力や吸収力が高い。また、時間も十分にあるから、才能を伸ばす可能性は非常に高いと思う。いわゆる「飛び級」の制度が古くからあり、個人の可能性を伸ばすことに熱心なアメリカならではの試みだ。

好きなことで食べていけるということは、非常に幸せであると思う。このような幸せな人の割合は、決して高くないだろう。しかし、仕事は楽しいことばかりではない。好きなことが嫌いになってしまう可能性もあるのだ。趣味は、趣味の範囲でやっているから楽しめるのだ……という考え方もあると思う。それでも、ある才能に秀でた人々が社会で受け入れられたり認められたりする環境ができれば、状況は変わるだろう。

私のように歳を食った者でも、まだまだ自分の可能性を発見できるチャンスはあるかもしれない。興味や好奇心のアンテナを張って、隠れた才能の発見にチャレンジし続けるべきだろう。


2001.6.18

父の日。

これだけ尊敬して止まない父に対して、誕生日も含めてほとんどプレゼントなどしたことがなかった。色々統計を取ってみると、毎年何かしらプレゼントする人と全くプレゼントしない人の両極端に別れるようだ。我々夫婦はその両極端に別れていたわけで、私が両親にプレゼントなどをするようになったのは、結婚して、逆の極(私にとって)へ引っ張られたからであった。

結婚前までは、親に何もプレゼントしない代わりに親からもらうこともしなかった。といっても、冷え切った親子関係ということはないのだが、何かドライな感じもしないでもなかった。ということは、プレゼントをあげてみてはじめて分かることで、やはりプレゼントすることによって喜ぶ顔を見るのは嬉しいものだ。希望する物をあげるパターンと、いわゆるサプライズ物をあげるパターンがあるが、サプライズ物は、相手の好みなどをしっかり把握しておかなければ、こちらの好みの押し付けとなってしまう。

今回は、父にタイガー・ウッズが使っているパターをプレゼントした。また、母の誕生日がダブッていたこともあり、彼女にはラコステのポロシャツをプレゼントした。どちらも事前に欲しい物を確認した上でのプレゼントであった。実家に持って行くと、早速試打したり試着したりをニコニコしながらされると、やはり何ともいえず暖かい心持になる。

明日は奥さんの誕生日だし、あげて喜ばれるのは嬉しいが、私のサイフの方は「火の車」だ。

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上のプレゼントを買いに、土曜日は久しぶりにアメ横へ行った。

とはいっても、今回は買う物が決まっているので、いつものパトロール・コースはすべてカットした。奥さんが水着を買う、というので、濃いスポーツ用品専門店へ行ったぐらいがいつものコースだった。その分、我が家の食材を充実すべく食料品店を重点攻撃した。いつも安いとは思っているのだが、特筆すべきは缶詰めの類いだ。

オイルサーディン5缶で800円だとか、アンチョビー5缶で1000円だとか……。圧巻はホールトマト缶2缶で60円だろう。同じセットで100円というのはときどき近所のスーパー・マーケットで見かけるが、60円というのは破格だ。当然ながら10缶一気に買ったことは言うまでもない。ほかにクミン・シード200g、パルメジャーノ(塊のまま)500gなどなどで1500円だ。

ファッションや宝石、腕時計などとは違い、生活に密着したアメ横ショッピングというのもまた面白い。

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Favorites A to Zを少し更新。今回は私のアイドル、ショーン・パーマーとミッシー・ジオーヴィだ。


2001.6.15

ようやく、梅雨らしくなってきたのだが……。

今年は、三宅島の噴火に伴うガスの影響で、非常に強い「酸性雨」なのだそうだ。一説によると、我々が普通に使っている「酢」と同じぐらいの酸性濃度であるらしい。植物や動物への直接被害もさることながら、連鎖を含めた生態系への被害も心配される。

それ以上に心配なのが、最も身近な自分自身への被害だろう。髪の薄い人には、抜け毛がさらに加速する、という恐怖感もあろう。女性なら、自慢のお肌への悪影響が心配であろう。以前にも書いたが、私のヘアスタイルは坊主だ。ということは、傘なしで雨の中に立った場合、頭皮を雨滴が直撃する危険性がある。

そろそろ髪の毛の量も気にしなければならない年齢になりつつあるから、私も気をつけねばなるまい。まぁ、ハゲてくれば「スキンヘッド」という飛び道具があるから、そんなに心配しているわけはないのだが。ところが、私の職場では「スキンヘッド禁止」が社則に謳われている。

剃った翌日から「天然ハゲ」を主張しなければならない。

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このホームページも、開始から半年以上が経過した。

どこかの有名なテキスト系のサイトで読んだと思うのだが。「読み物中心のサイトは、読者、筆者双方のテンションを高く保つためにも半年に一つは新しい企画を立てなければならない」のだそうだ。ということは、私もそろそろ新しい企画を立ち上げなければなるまい。

確かに、開始当初から設定していたコンテンツも、最近更新が滞りがちだ。「がち」どころではなく、ほとんど更新ストップ状態だ。途中で放り出してあるネタもある。語るべきネタに困っているわけではないのだが、なかなか長い物を書く時間がないのが実情だ。これでは、あまりにも杜撰だろう。というわけで、新しい企画を立ち上げることを決意した次第である。

Favorites A to Z」という企画だ。私のお気に入りをアルファベット順に列記して、それぞれに思い入れやエピソードなどを書いていこうというのが内容だ。いきなりすべてのお気に入りにコメントをつけるだけの余裕はないので、今日はとりあえずお気に入りを列挙するだけに留めた。コメントは書きあがり次第順次アップしていく予定だ。

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学生時代にアラビア語を第二言語で選択していた。

随分と珍しい言語を選択したものだ、と自分でも思うのだが、これにはちょっとした希望が込められていた。高校生の頃から、石油に関する仕事をしたいと考えていた。石油関連といっても、ガソリンスタンドや化学工業関連ではない。石油を掘る仕事の方だ。

この掘る仕事を業界では「アップストリーム」と呼ぶ。採掘された石油を流通させたり製品化したりする仕事を「ダウンストリーム」という。アップストリームの仕事をしたいと考えたのは、落合信彦の「石油戦争」「ただ栄光のためでなく」という本を読んだことがキッカケだった。いわゆるオイルマンと呼ばれる人々の非常にワイルドでロマンティックな世界に憧れたのだ。

しかし、いろいろ調べるうちに、日本にはアップストリームを手がける会社はほとんどない、また産油国が独自に採掘を始め、海外の石油会社が掘った油田も次々に国有化されている、という現実を知るに至り、私の小さな夢は頓挫したのだった。

アラビア語の歴史は古く、右から左へ向かって書き進む、読み進むことでも知られている。ペルシャ語(イラン)、ヘブライ語(イスラエル)などの親戚的言語もある。また、日本語に該当する発音のない文字など(khとかgh。無理に発音しようとすると気持ち悪くなる)も特徴的だ。アラビア語を語源に持つ言葉というのは実はかなり多い。

最も有名なのは数字。「アラビア数字」といわれる通り、我々が普段使っている数字はアラビア語が大元だ。しかし、本物のアラビア数字は一般の人にはほとんど判読不可能だ。シャーベットというのも実はアラビア語が語源。また、言葉の頭にアル(ALの発音)がつくものもアラビア語が語源の物が多い。このALは、英語のTheに相当するのだ。アルコール(宗教上の理由で、アルコールがご法度なのに語源はアラビア語なのが面白い)、アルファベットなどなど。

ナイル川やチグリス・ユーフラテス川流域は文明の発祥地の一つだから、そこで生まれた言葉が世界中で使われていても不思議ではあるまい。

アラビア語は、生活と密着している言語として考えることもできる。Jmal(rだったかもしれない)は「ラクダ」という名詞であり「乗る」という動詞でもある。砂漠での唯一の乗り物であるラクダが乗るという動詞である必然性は誰にでも理解できるだろう。

エジプト(アラビア語ではMithrという似ても似つかない発音)のムバラク大統領は、翻訳すると「正直者」になり、シリアのアサド大統領は「ライオン」となる。苗字は意外に簡単だったりする。

外国の言葉もアプローチを変えると、意外に面白い。


2001.6.14

色々なことをツラツラと。

年末ジャンボから買い溜めていた「宝くじ」が結構なストックになった。奥さんは、宝くじは「冷蔵庫」に入れておくと当たる! とのたまって、ストックはすべて冷蔵庫に収納されている。夫婦二人で別々に購入されたストックたちは、数万円分。結構な分量になる。しかも、買ってきた傍から適当に放り込んでいくから、ストックたちは冷蔵庫の様々な場所へ散らばることになる。

したがって、ストックたちは様々な物の下敷きになっている。鍋、チーズ、ソース、魚、卵……。これではさすがに当たらないだろう、と思うのだが……。先日まとめて銀行へ持っていった。結果は「900円」だった。これからは「宝くじ専用スペース」を設けることを決意した。

外は結構な降りの雨。こういうときは、やはり部屋の中にじっとしていたい。何より傘が嫌いだ。肩幅がカニのように広いから、大き目の傘をさしていても、腕や背中が濡れる。背が高いから、傘と地面の距離が開くので、足元が濡れる。合羽でも着ないことには雨に対抗する手段はないのだ。

濡れるなら濡れるで、頭の先から爪先まで濡れる方が良い。以前、土砂降りの雨の中で釣りをしたことがある。夏の暑い日だったので、合羽の中は、雨に打たれたのと同じくらい汗で濡れた。いっそのこと、合羽なしで行こうか? と思ったほどだった。しかし、こういうときに限って釣れて釣れて仕方のない状態になってしまう。1キャスト(ルアーを投げること)で3〜5バイト(バスがルアーに食いついてくること)してくるのだから、釣り人としては笑いが止まらない。

低気圧が近づいてくると、魚の活性は上がるといわれているが、私の活性は最低レヴェルだ。

雨の日にドライヴするのは、好きだ。フロントグラスにレインXをたっぷり塗って、雨滴が奇妙な動きをするのを眺めるのだ。はっきりいって、あまり運転に集中できないのは確かだ。しかし、この雨滴の動きには絶えがたいほどの魅力がある。走る速度や、カーヴ、加減速にかなり敏感に反応する。ついついキビキビした走りをして、雨滴が大きく動くようにしてしまう。

このレインXに代表される、いわゆる「液体ワイパー」には苦い思い出がある。かなり以前にラリーをやっていた頃のことだ。その日は本番。スタート前から大雨だった。そのため、ついついレインXを怠ってしまったのだ。スタートして少し経つと、雨はほとんど止んだ。ほっと一安心もつかの間、最初のSS(スペシャル・ステージ。速く走った者勝ちのステージ)だ。スタート直後のはじめのコーナーは、入り口のイン側に大きな水溜りがあった。

減速して大きく回りこむか? 水溜りに突っ込んでショートカットするか? これがタイム・セクション(正確に走ることを競う区間。ナヴィゲーターの腕が必要)だったら、回り込んでいただろう。しかし、ここはSSだ。迷わず水溜りに突っ込んだ。面白いもので、高速で水溜りに突っ込むと、車はなぜか上から水を被る。自らはねあげた水が落下する前に、その落下点に入ってしまうのだ。

未舗装道路の水溜りだから、当然のことながら「泥水」だ。レインXを怠ったフロントグラスは、一瞬にして視界を奪われた。あっという間もなく車はコーナーを真っ直ぐ突っ切ってコースアウトだ。車を壊さなかっただけマシだったが、ラリー開始から一時間も経たないうちに、私のラリーは終わった。

液体ワイパーは、このように跳ね上げられた水(自分で跳ね上げたものも、他車が跳ね上げたものにも)にも効果を発揮するのだ。

夫婦揃って顔を洗うのが下手だ。洗い終えると、首から胸にかけてがビショ濡れになっているのだ。自分のことは棚に上げて、奥さんの洗顔フォーム(石鹸の類いではない)を観察してみた。掌に溜めた水を勢い良く顔に叩きつけ過ぎている。そのため、胸方面だけでなく四方八方に水が飛び散っているのだ。これでは顔に付着した石鹸を落とすのにも効率が悪かろう。

……と奥さんに指摘すると、彼女も私の洗顔フォームをチェックした上で「アンタも同じだろうが!」とのたまった。しかし、私の場合は上半身裸で洗顔するという「奥の手」がある! ……と奥さんに指摘すると、ティシャツを脱ぎながら「私だって!」とのたまった。

上半身裸になるよりも、フォームの矯正が必要な我々である。


2001.6.13

オクラホマシティー連邦ビル爆破事件について考えてみた。

ティモシー・マクベイ被告の死刑に際して、被害者や遺族、取材記者代表など350に刑の執行を公開した。執行される部屋には、通常4人の立会いが出来るスペースがあるが、今回はそこに倍の8人を入れた。残りは特別回線を通じたテレビ中継での立会いだった。いわば「公開処刑」である。

一部の国々では現在でも行われるこの「公開処刑」、当然ながら「見せしめ」の意味合いが強い。非常に重い罪を犯した人間や、センセーショナルな事件を犯した人間に対して行われるようだ。第三次中東戦争の頃だから、もう随分前の話になってしまうが、シリアではイスラエルのスパイの公開処刑が行われている。このスパイは、モサド(イスラエルの諜報機関)史上最も優秀な一人として知られる人であった。イスラエルはアメリカ、ローマ法王その他を動かして命を救おうとしたが、叶わなかった。イスラエルでも、ナチの戦犯アドルフ・アイヒマンを逮捕したときは、公開処刑に近い形で執行された。

アメリカは、道の穴に躓いて転んだだけで訴訟沙汰になるほどの訴訟社会だ。この背景には「民主主義」だとか「平等」だとか「権利」などという言葉があるだろう。こうした国で、原始的ともいえる「公開処刑」が行われる、という二面性が面白い。

これは、一つには様々な民族や習慣や宗教を持つ人々が集まった多民族国家であることが原因だと思う。国としてのまとまりがないため、我々日本人のように単一民族国家では想像も付かないほど「遵法精神」が強い。国を国たらしめる、州を州たらしめるための拠り所なのだ。したがって、法に背いた者への罰は非常に厳しい。死刑にしても、日本のように法務大臣がハンコを押すのを恐れて(言い換えれば、自分が死刑の執行を許可したくなくて)執行が先送りされていくこともない。

アメリカ人の開けっぴろげで明るい性格は、法律にガッチリと守られた上での安心感から来るのかもしれない。守られているからこその安心感なのだが、それを逆手にとって過剰に権利を主張することを商売にする輩が出現したことが、訴訟社会への始まりだったのだろう。

今回のマクベイ被告にも「弁護団」がついていたという。彼らが死刑執行の延期を主張していたそうだ。これは司法省によって却下されたが。有罪者を無罪にすることを「売り」にする弁護士がたくさんいるのだから、このような社会は病んでいるとしか言いようがない。また、州によっては死刑のないところもある。連続犯罪では、この死刑のない州で捕まって裁判を受けることを計算するような考え方もある(推理小説やドラマ、映画でお馴染み)。

このような考え方ややり方が、模倣性の強い日本にも入ってきている。2001.6.8のTextにも書いたが、少年犯罪の増加には、このアメリカ的発想が根底にあると思う。少年であることを主張すれば、大人のような罪を負うことはないと考えているのだ。さらにはそれを助けてくれる弁護士の存在もあるだろう。悪いことをしても「裁判」で主張すれば、罪は軽くなるか免れることが出来る、という甘い考えがあるのだ。

悪いことは悪い、と認識できることは当然だ。しかし、悪いことと知っていて悪いことをする。その前後に自らへの罰が軽減されるあるいは放免になることを計算できる社会や制度は既にかなり進行した病に冒されているとしか言いようがない。

最終的には「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典的な直接的制裁方法しか犯罪抑止力がないのかもしれない。

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これからの季節に向け、素麺の食べ方も研究してみた。

冷奴に肩を並べるぐらい、素麺や冷麦が好きだ。暑い時期ではなくても食べている。これからの時期、その消費量は飛躍的に伸びるから、事前にヴァリエーションを増やしておく必要があるだろう。というわけで、いくつか考えてみた。

・コリアン冷麺風。「キムチの素」という瓶入りの液体を麺つゆとして使う。私の最も好きな「すっぱ辛い」味がたいそう美味だ。少々味が濃いきらいはあるが、その場合はだし汁などで薄めれば良い。トッピングは様々で、牛細切れとチンゲンサイなどをコチュジャンで炒めた物やキムチそのものでも良い。

・味噌汁。最も美味いのは「赤ダシ」の味噌汁を冷蔵庫で冷やしたものを麺つゆにすることだ。これは、通常の麺つゆを使うよりもはるかに美味い。この「冷たい赤ダシ」は、生のモズク(酢に漬かっていないもの)を具にしても美味い。刻みネギは必須。また、麺とつゆの温度を逆にしても美味い。残ってしまった素麺や冷麦をラップして冷蔵庫に保存しておく。アツアツの味噌汁にこの冷えた麺を投入して食べるのだ。天麩羅などをトッピングするとなお良い。

・洋風。ちょっと気持ち悪いと思われがちだが、素麺や冷麦もパスタだ! と割り切れば、様々な「ソース」と合わせることが出来る。トマトソース、カレー、チリ・ビーンズ……。どれも試したが、非常に美味い。

・サラダ。短く切った麺をサラダの具の一つとして考える。ドレッシングは和風が望ましいが、中華風やマヨネーズもマッチングは完璧に近い。

・チャンプルー。野菜や肉と素麺を炒めた沖縄料理。味付けに醤油を使わず塩胡椒で仕上げることがポイント。もともとは台風などのときの非常食であるらしいが、本場で食べる「ソーミン・チャンプルー」はたいそう美味。

全体的に濃い目の味付けが今一つのような感じだ。今後の課題は、あっさり風味だろう。


2001.6.11

チリ・ビーンズを作った。

辛いものへの飽くなき挑戦は続く。今回はアジアを離れてメキシコへ飛んだ。「チリ・ビーンズ」の缶詰めが好きだ。何ともいえない独特の味付けがされていて、メキシコ! を感じさせてくれる。そのまま食べても美味いが、いつものトマトソースを加えて、にんじんや茄子、ジャガイモなどを加えても非常に美味い。

このチリ・ビーンズ。本来は「金時豆」を使うのが正しいらしい。しかし、今回は白インゲンの水煮の缶詰めを使った。要は金時豆が手に入らなかったからなのだが……。この金時豆。水に戻して茹でて、という作業が本来は入る。しかし、そのまま茹でても何の問題もない。多少、茹でる時間が長くなる程度だ。また、茹でた物を茹で汁とともに冷凍しておけば、次に使うときに時間の短縮になる。現在、我が家にはタッパー・ウェアに2つ、冷凍庫に保存されている。

メキシコのイメージが強いこの料理、実はアメリカの郷土料理らしい。私は「ベイクド・ビーンズ」がそうなのかと思っていたのだが、チリ・ビーンズもアメリカなのだそうだ。

それはそれとして。作り方はいたって簡単だ。

ニンニクとクミン・シード、唐辛子を油で炒める(弱火がポイント)。唐辛子から辛さが十分出た頃、玉ねぎの微塵切りを投入。透明になるまで炒める。次に牛挽肉を投入。色が変わった頃を見計らって、ホールトマトの缶詰めを入れる。このとき、トマトは潰して入れる。しばらくグツグツと煮込む。トマトが全体的に馴染んできたら、豆を投入する。隠し味として「ハラペーニョ(唐辛子のピクルス。檄辛!)」を刻んだ物を投入。あとは塩と胡椒で味を調え、水気がなくなれば出来上がりだ。

今回は、クミン・シードの使用がポイントだと思う。あの缶詰めの独特な味わいにかなり近い味が出せる。ハラペーニョの辛さと酸味もアクセントとして非常に良い仕上がりになっている。時間にして約30分。非常に簡単で美味い、という私の料理の条件を満たす、優れものだ。唐辛子は、我が家の場合は5〜6本投入するが、辛さに弱い人は2本ぐらいがいいかもしれない。チリ・パウダーを使えば、はじめに弱火で炒める必要もないし、辛さの加減も楽だ。

できたチリ・ビーンズは、もちろんそのまま食べても美味い。しかし、それでは芸がないので、トルティーヤ(コーン・パンダーで作った、春巻きの皮のような物)に包んでいただくと、気分は完璧にメキシコへ飛べる。もちろん酒はテキーラのストレート! だろう。私はこのために、そろそろ入手困難が噂される、マリアッチ・シルヴァーを用意した。冷凍庫で冷やしてトロトロの状態で飲むのがベストだ。辛さに弱い人には、マルガリータやメキシコ・ビールが良い。

ヴァリエーションのもう一つの例は、パスタとマッチアップさせることだ。今回はペンネと絡めてみたが、非常に美味かった。「ペンネ・アラビアータ」も真っ青な檄辛で、頭から湯気が出るのではないか? と思わせる美味さだ。

さらに広げて、ピザソースの替わりに使うというのも面白い。チリ・ビーンズとチーズのマッチングは抜群だ。このピザソースへの応用は、ニンニクと唐辛子、アンチョビーを炒めたところへ、トマトソースと黒オリーヴ、ケッパーを合わせた「プッタネスカ・ソース」を試したところからきている。どちらも抜群のマッチングだから、我が家のピザは、自作の台とともに益々美味いものへと進化している。

トルティーヤが出てきたので、ついでに「サルサ・ソース」の作り方も書いておこう。これでメキシコへ一直線だ。

作り方はメチャクチャに簡単。トマト、玉ねぎ、ハラペーニョを細かく刻んで混ぜるだけだ。塩を少々振って、冷蔵庫で冷やしておくと、野菜から出てきた水分で立派なサルサ・ソースとなる。非常にクールで爽やかだが、飛びっきり辛い味わいは、まさに「チレ(チリのこと)」の国メキシコだ。

これからの季節、ジメジメした湿気払いや暑気払いにもってこいの料理だ。


2001.6.8

大阪で大変な事件が起きた。

これを書いている時点で、既に8人の命が失われている。小学校のしかも低学年を狙った無差別殺人だ。昼食を食べながらこのニュースの第一報を聞いたのだが、はじめに考えたことは「警察は犯人を取り押さえるのではなく、撃ち殺してしまえばよかったのに!」という強い憤りだ。

犯人にも人権があるだとか、罪を償わせなければならないといった考え方があるかもしれない。しかしそれは、事件とは無関係の、いわゆる外野の人間がもっともらしいことを言っているに過ぎない。殺された家族にしてみれば、犯人を八つ裂きにしても飽き足らないほどの気持ちであろう。以前に最愛の妻と幼子を殺された夫が、犯人が出所してきたら、どんなことをしても探し出して殺してやる、と公言しているのを聞いたが、私が当事者であっても同じことを考えるだろう。

少年だとか、精神に異常をきたしていたとか、ドラッグのためだとか様々な理由で罪を逃れたり軽減されたりする犯罪者がいる。どのような状況にあろうとも、罪を犯したことには変わりない。罪を免れたり軽減された人間が、その後同じことを繰り返さないという保証は全くないのだ。

今回の犯人は、99年3月、校務員として勤めていた兵庫県伊丹市内の小学校で、自分が服用していた精神安定剤をお茶に混入し、教諭4人に飲ませた傷害容疑で逮捕された。しかし、刑事責任能力が問えないとして起訴されず処分保留、措置入院となった。という、立派な前科があるのだ。加えて「きょう、精神安定剤を10回分まとめて飲んだ」などと供述しているという。(毎日新聞より)

精神安定剤を大量に飲んで犯罪を犯せば、罪が軽減されることを知っていたとしか考えられない供述だ。

増加する少年による重犯罪、今回のような「サイコ野郎」による犯罪。少年だからだとか、精神鑑定などによって逃さない方法が必要だろう。少年法の改定が話題に上っている昨今だが、これは政府としても急務である。このような「犯罪の先進国」であるアメリカに倣って……ということが考えられがちだが、突き詰めていけば、日本もアメリカ的な歪んだ社会的成熟をしている、ということになる。

ヨーロッパの国々のように、過去戦場となって国家存亡の危機を味わっていれば、もっと正常な成熟過程を辿ることが出来たのでは? と考えるが、これについてはまた、別のところで掘り下げてみたい。

今日は、感じたことを素直に書いて終わり。


2001.6.7

最近、水中眼鏡(ゴーグルとも呼ぶ)を替えた。

今まで使っていたものは、昨年ハワイへ行った際に「ABCストア」で2ドルだか3ドルで購入した、ほとんどインチキな物だ。ハワイで使っているときはあまり気にならなかったのだが、スポーツクラブで使用してみると、色々不都合が生じてきていたのだ。通い始めてから既に三ヶ月が経とうとしている今になって、やっと買い替えたというわけだ。

インチキの方は、レンズの周囲がビニール製で、泳いでいるとガンガン水が入ってくる。ハワイのホテルのプールは、塩素がほとんど混入されていなかったため、この水漏れがあまり問題とはならなかった。しかし、スポーツクラブのプールは塩素濃度が非常に高い。眼鏡なしで泳ぐことが不可能なほどだ。怪我をしているときに入れば、消毒作用があるのでは? と思わせてくれる。

さらにインチキのインチキさが発揮されるのが、飛び出し。泳ぎ出しに壁を蹴って飛び出すと、眼鏡はクルリと裏返り、眼鏡未装着と同じ状態になってしまうのだ。ゴムの締め方が甘いのか、と思ったのだが、目の周りに痕がつくほどきつくしてもクルリとなってしまう。これはもう、構造上の欠陥だろう。

というわけで、スポーツクラブで販売されている1700円也の水中眼鏡を購入した。

レンズ周囲の材質はウレタン状のものに変わった。これは非常に優れていて、水漏れはほとんど皆無といって良い。ゴムも後頭部付近が二つに割れている、水泳選手がつけている眼鏡と同様の仕様だ。幅もインチキと比べると倍以上あり、ホールド性も抜群だ。装着しただけで「これは違う」と思わせるのだ。

それより何より、最も優れていると感じさせてくれるのが、レンズのクリアーさだ。クリスタル・グラスを思わせる透明感で水中を見渡すことが出来るのだ。今までいかにインチキに騙されていたかが分かる。私のように地上では2.0以上の視力を持つ者にとっては、極端な話、25メートル先、プールの端から端まで見えるような感じなのだ。

しかし、このクリスタル・クリアーな視界を得たことによって、見えなくても良い物まで見えるようになってしまった。プールの底付近に漂う様々なゴミの類いだ。スポーツクラブのような常時水を張った状態では、掃除もこまめには出来ないだろう。多少のゴミは仕方がないのかもしれない。しかし、端から端まで泳ぐと、かなりのゴミが浮遊しているのだ。これは決して気持ちの良いものではない。

このゴミ。薄く、ヌルヌルしている感じの物で、風呂の水垢に似ている。その他、何かのパッケージであろうセロファン状の物、ティッシュの破片のような物、眼鏡のゴムの破片、耳栓などなど、様々な浮遊物を目にすることが出来る。「東京湾探検」ではないが、そのうちとんでもない発見をするかもしれない、という微かな危惧を抱きつつ泳いでいる。

このようなゴミに加えて、老若男女入り乱れて朝から晩までひっきりなしに人々が泳ぐのだから、月一回程度のメインテナンスでは、衛生状態を良好に保つことは到底無理だろう。それをカヴァーするために過剰な塩素の投入があるのだと思う。泳ぎ終わると、体中から塩素の臭いがするほどだから、肉眼で泳ぐことなどもってのほかである。

こうして突き詰めていくと、自分が潔癖症でなくて良かったと思う。泳ぐという行為は、想像以上に汗をかく。その汗はすべて水の中に溶けているのだ。また、生理中の人が泳いでいたらとか、口を開けて泳いでいるのだから唾液だって……考え出したらキリがない。そう考えれば、過剰な塩素投入もそれほど悪いことではないのだ。

様々な恐怖を抱きつつ、それをなるべく考えないようにして、私は今日も泳ぐ。


2001.6.6

湖での遊魚船のエンジン禁止について考えてみた。

もう、一年も前の話になってしまうのだが、私が長年親しんできた茨城県牛久沼において、エンジン搭載のボートの使用が自粛(実質的には全面禁止)になった。これは、竜ヶ崎市、牛久沼土地改良区、牛久沼漁協(牛久沼連絡協議会)による漁業組合の理事会(2000年7月度)で決定されたものである。このような決定が下された背景には、ブラックバス・フィッシングがある。

バス・フィッシング人口は、十年以上も前から少しずつ増えだし、昨今の芸能人がバスを釣っているということに端を発するブームによって爆発的に増加した。こうした急激に増加した部類に入る人々は、釣り場環境の保全や船での釣りに関する安全、釣り全般に渡るマナーにおいて最低なレヴェルにある。また、以前から釣りをしていた人々よりも勢いがあるため、それまで慎ましく保たれてきた釣り人のマナーは、この新興勢力に圧倒されてしまった。

結果として、釣り場には平気でゴミが捨てられるようになり、平気でをラインをクロスして投げ、人のラインの上をボートで通過する輩が現れた。それだけでも重犯罪(釣り人にとっては)なのに、釣りをしているボートの脇をエンジン全開で通過する、湖上暴走族のような輩まで現れる始末だ。持ち帰られずに捨てられたラインやルアーによって、湖周辺の生態系にも深刻なダメージを与えるようにもなってきた。

こうした心無い、マナー無視の行いは、湖で生計を立てている人々へも深刻な打撃を与えることとなる。エンジンのスクリューで網を切ったり、仕掛けた網の近くで釣るために漁獲量が減少したり、仕掛けに針やラインを絡ませ、仕掛け自体を破壊してしまったりと、その被害は計り知れない。また、休日ともなれば、湖周辺は大変な混雑となり、違法駐車など、周辺住民への迷惑も相当なものになっている。

いわゆるギャング放流も大きな問題とっている。釣った魚を持ち帰り、別の湖に放流するのだ。これによって、本来存在するはずのない湖にバスが生息するようになってしまうのだ。日光の中禅寺湖では、ブラックバスの一種であるスモールマウスバスが違法に放流され、マスの生存を危うくしている。

日本にはNBC(日本バス・クラブ)というバス・フィッシングの団体があり、釣り場環境の保全やマナーなどの指導も行ってきた。しかし、NBCの本質はプロの大会の運営にある。様々な宣伝媒体で、人気の芸能人などを使ってマナーの改善に努めてはいるが、バスを釣る人間イコール悪者というイメージは、いまや完全に出来上がってしまっている。

過疎化が進む地区にある湖などは、このバス・フィッシング・ブームに乗って積極的に釣り人を集める方向にある。宿泊施設やボート・ランプなどを市町村や漁協の出資でつくったりしているのだ。このような湖では、バスの釣り人が落としていくお金が、貴重な収入となるのだ。しかし、琵琶湖や霞ヶ浦など、漁業が現在でも盛んに行われている湖では、漁業関係者にとっては死活問題となってくる。

関東近県の湖では、千葉県の養老渓谷近辺のダム湖については、はじめからエンジンが禁止されているところが多い。小櫃川にある亀山ダムは、入り組んだ地形から移動距離は相当なものになるが、エンジンは禁止だ。その分、貸しボート店を様々な場所に配置することで移動距離をカヴァーするとともに、地元の収益増加の作戦をとっている。

牛久沼の現状を見てみよう。

牛久沼は、本湖と呼ばれる牛久沼本体に三本の川が流れ込む形になっている。そのうち、中央を流れる東矢田川に二軒のボート店があるだけだ。最も細い流れの稲荷川に私設のボートランプがあり、当初からマイ・ボートのメッカであった。

仕掛け網や「うなぎオダ(指くらいの太さの竹にうなぎ用のワナを付けたもの)」、投網、鯉や淡水真珠の養殖など漁業が活発な湖である。仕掛け網は、水中に打ち込んだ杭に網を広げて仕掛けるが、その杭はほとんど水没しているから、発見は困難だ。うなぎオダは、かなりの高さがあるが、何分細いから、やはり遠くから、あるいは高速で移動しているときは発見がやや困難だ。また、大規模な蓮畑もあり、農業も行われている。

牛久沼他、茨城県内の湖で問題になっている第一の事柄は、遊魚料の未払いが非常に多いということだ。漁業権が生きているから、そこで釣りをする場合は当然支払うべき料金だ。牛久沼では、東矢田川のボート店で購入できる。ボートを借りる人は自動的に支払うが、マイ・ボートの人が支払うことはほとんどない。

そして、前述の漁業施設への被害が加わる。さらに、貸しボート(普通の手漕ぎボート)の脇を全開で通過したりする危険行為が加わる。このエンジン・ボートの全開走行には、引き波というやっかいなオマケが付いてくる。貸しボートがこの引き波をまともに食らうと、転覆の危険があるのだ。私も何度か危険な目に合っているから、この引き波の恐ろしさは身をもって体験済みだ。普通、他のボートの近くを通過するときには、スローあるいはデッド・スローでの通過がルールだ。それでも引き波は出来てしまうが……。

牛久沼における漁協とブラックバスの関係は、決して悪いというわけではなかった。というのも東矢田川下流の方のボート店は、漁協のメンバーである。バス・フィッシングについては理解のある漁協で、琵琶湖のように一方的に排他的ではなかった。このような漁協がエンジン・ボートの自粛を決定するということは、よほどボート所有者の行為が目に余るものだったのだろう。

古くから牛久沼へ通う釣り人達の間では、来るべきものが来たか……という反応が強い。最近参入してきた人々の反応は、折角家も牛久沼の近くに買い、ボートも買ったのに、これじゃ借金だけが残る、許せない!!! というヒステリックなものもあった。

賛否両論、真っ二つに分かれる決定だが、私の独断では、静かに落ち着いて釣りが出来るというメリットの方が、移動距離を稼げないというデメリットを上回ると思う。ましてや牛久沼の漁業関係者のことを考えれば、当然の決定だと思う。移動距離への不満は、今後ボート店が増えることを期待するしかない。

琵琶湖や霞ヶ浦のように面積のある湖ならともかく、牛久沼程度の大きさで考えれば、確かにボートの数は飽和状態であろう。本湖限定などの条件付でエンジン・ボートが解禁になる可能性は残されていると思うが、流れ込む三本の川への侵入は今後も無理だろう。

私は漁協の決定を支持する。


2001.6.5

日記を書く、ということについて考えてみた。

私は、過去日記をつけたことがなかった。このページを開くに当たり、書き始めたのが生涯初の日記だ。小学校や幼稚園で夏休みなどに絵日記の宿題が出たが、ほとんど1週間と続かなかった。したがって、この日記が今月を含めると10ヶ月も続いているというのは、自分でも驚きだ。

しかし、曲がりなりにも人様に読んでいただくように公開するわけだから、朝起きて何をして、何を食べて飲んで、風呂に入って寝た……などという日記では芸がない。だからといって、毎日読んでくださる方を笑わせるような面白おかしい生活を送っているとも思えない。かといって、読まれることを意識した奇をてらった表現や、脚色したり捏造したネタはダメだ。そんなこともあって、はじめのころは、活動報告的なものでもいいや! などというヤケっぱちなところもあったのは確かだが……。

というわけで、いわゆる日記という形式にはとらわれずに、何かしら考えたことや思ったことを書いてみようと思った。ただし、政治経済ネタはともかく、日常系のネタでは、なるべく人様をネタにするのはやめようというのを基本に据えた。こんなムカつくヤツがいたとか、こういうホームページにこういうことを書くヤツがいる……なんていうのは、イヤらしいし、実は日々のネタとして最も「手近か」で、楽をしているような気がしたのだ。本当は、いわゆる「日記読み日記」というのは、非常な労力と時間を使う重労働なのだが……。とか書いておきながら、人様の日記をたくさん読むのが面倒なだけだったりする。

この10ヶ月、書きつづけてきたが、実は過去の文章を読み返したことがない。今回こういうことを書くに当たってざっとではあるが読み返してみた。目が疲れた。思ったこと考えたことなどと書いたが、割りと日記的なものが多い。自分でも驚いたのだが、料理や食べ物に関するネタがかなり多いのだ。自分で作ってみて美味い! と思ったものを忘れないようにメモっていたわけだが、読み返していないのでは、意味がない。面白いことに、この料理・食べ物系のネタは、読んでくださっている方々から結構良い評価を頂いているようだ。

さらに気づいたことを続けると、結論まで導き出せてない思考が多い。要は「垂れ流し」なのだ。これは、完璧な言い訳になってしまうが、職場でコソコソ更新するといことは、思考を中断されることが当たり前となる。別のことをしたり考えつつ、その日のテーマも考え、書く……これは結構大変だ。しかも、私の場合は、考えながら同時に打ち込むという方法でやっているから、緊急の仕事が入ったりすると、1時間も2時間も中断することになってしまうのだ。

ネタに困るときもある。前の日をボ〜ッと過ごしたり、あたふたと過ごしたりして、思索的な時間が持てなかったときなどは、何を書こうか思いつかないのだ。そういうときに料理・食べ物系のネタに逃げる傾向があるようだ。これは、読み返してみると良く分かる。したがって、この手のネタが続いたときは「コイツ、ネタに困ってるな」と思っていただくと面白いかもしれない。

場当たり的、垂れ流し的、備忘録的ではあるのだが、書いているうちに楽しくなるし、習慣性を帯びてくる。こうなると日記を続けていくことも楽になるのだろう。私の場合、日記を書くことが日常の一部になるまでに、約1ヶ月半かかった。特に書く準備をしない、というのがいいのだと思う。これがネタを探して下書きして推敲してという形式を取れば、週に2〜3回くらいの更新になるだろう。日記も私の場合は、Jazz的にアドリヴの世界なのだ。


2001.6.4

冷奴の食べ方について、色々考えている。

先ずは、私は豆腐が好きだ。これが大前提にある。豆腐と言えば、木綿漉しだ。水分は少なければ少ない方が良い。要は、固めの豆腐が好きなのだ。様々な木綿豆腐を食べたが、最も固くて水分も少ない、私好みの豆腐は、いわゆる「島豆腐」と呼ばれる沖縄の豆腐であった。ゴーヤ・チャンプルーに入っている、あれだ。

豆腐は、低カロリー高蛋白の健康食品として広く知られている。私も減量の際の定番メニューにしている。しかし、高蛋白とはいえ、植物蛋白であるから、筋肉を増強しつつ減量したいという場合には、あまり推奨できない。植物蛋白は、動物蛋白と比べると肉になり難いらしい。あまり筋肉を付けたくない人、特に女性向けの減量食といえるだろう。筋肉を付けたいなら、やはりガッツリ肉を食べなければならない。

独身時代に減量したときは、刻みネギをたっぷりかけた冷奴に醤油と胡麻油をタレにして、魚肉ソーセージ(20cmくらいの)一本、トマト1個、胡瓜2本という食事で、週三回トレーニングすれば、一週間でほぼ2kg近く減量が可能だった。ただしこれは、減量し始めの頃のことで、最終段階では数百グラムの単位でしか減らない。

さて、冷奴。やはりネギの存在は欠かすことの出来ないアイテムだろう。刻んだネギをタップリというのは、外せない。この基本形にヴァリエーションを加えるのだ。

1.ジャコ乗せ。胡麻油と唐辛子2本、ジャコを炒める。ジャコがカリカリになったら、基本形の豆腐の上に乗せて醤油をかける。好みに応じてトウバンジャンなどと合わせても美味い。

2.雑魚山椒乗せ。上にほとんど同じだが、既に作ってあった雑魚山椒を乗せた後、煙が出るほど熱くした胡麻油を、ジュッと豆腐の上にかけるのだ。これはかなり美味い。応用編として、既成のワンタンを美味しく頂く方法に使える。お湯で茹でたワンタンを皿に並べ、上に白髭ネギを塗す。ここに熱した胡麻油とサラダ油の混合をジュッとかけるのだ。これを醤油で頂くと、抜群に美味い。

3.トウバンジャン味の挽肉炒め乗せ。これは結構濃厚な味だ。夏バテ気味のときなどに有効。生姜、ネギ、ニンニクの微塵切りを胡麻油で炒め、ここに挽肉を投入。よく炒めたら、トウバンジャンで味付けをする。

4.サラダ的食べ方。豆腐サラダなどとして広く知られている。ポイントは、よくよく水を切って、水っぽくならないようにすることだろう。

こうして見てみると、乗せる物とかける物を変化させることによってヴァリエーションを出していることが分かる。まぁ、ベースがシンプル極まりない素材だから仕方がないが。豆腐に味付けせず、ご飯のおかずと共に、ご飯代わりに豆腐を食べる……なんていう食べ方もある。

これからの時期、豆腐は主役に近い存在(冬は鍋物で使うから、季節限定ではないが)となる。まだまだ研究の余地は残されている。


2001.6.1

物を持つべき「資格」について考えてみた。

物には、持つべき「時と場所とスタイル」というのがあると思う。所有者の水準がどれだけの高さにあるか? ということがポイントとなる。分不相応という言葉のとおり、持つべき資格がなければ、「猫に小判」とか「豚に真珠」となってしまうだろう。「資格」は「ステイタス」という言葉に置き換えられる。

例えばフェラーリ。高性能なスポーツ車ということはもとより、その優雅さは他の追随を許さない。また、現在でもほとんどの工程を手作業で進める、職人入魂の「作品」だ。いかにも工業製品という感じのポルシェなどとは対照的だ。車の中では、このフェラーリだけは特別な存在だ。お金があることが第一の条件だが、高い運転技術とそれを楽しむことができれば、誰でも所有できるというものではないと思う。

純白のシャツにアスコット、麻のパンツにサマー・ウールのジャケット、足元はモカシン・タイプのドライヴィング・シューズ……といったスタイルがフェラーリ・ドライヴァーだろうか? 年齢的には50歳以上という感じだ。しかし、スタイル的には思い浮かべることは出来るが、時と場所についてはイメージできない。私にフェラーリを所有する資格は、まだないのだろう。

例えばパテック・フィリップの腕時計。見た目は、シンプルな文字盤に長針・短針・秒針で構成される。側にゴールドを使ったりしているが、普通の人がしていれば、間違いなく1980円のいわゆる「バッタ物」にしか見えないだろう。

しかしこの時計、手巻き・自動巻きなど機械式時計の精度を示す「クロノメーター」という規格よりもさらに厳しい「ジュネーヴ・ルール」を生産した段階で自動的に取得できるほどの精度を誇っている。加えて日常生活防水すらほどこされていない。要は、日常生活で汗すらかかないような人が使うことしか念頭にないのだ。

ヨーロッパの一流ホテルでは、フリで入ってもパテックをしていればデポジットも取られないし、数週間滞在していても何も言われない、というくらいのステイタス・シンボルなのだ。半分肉体労働者の私には、パテックを所有する資格はない。

ステイタスは、その人の存在そのものから滲み出てくるものであると思う。ということは、日常生活そのものが豊かでなければならない。家、家具、食事、酒……物質的な面ばかりでなく音楽、文学、芸術、芸能といった情操面での豊かさも必要とされる。さらには、常にベスト・コンディションを保つべく、鍛え込まれた身体もあれば、いうことはない。こういった様々な面での豊かさが渾然一体となって醸し出す雰囲気(オーラといった方が的確か?)が、ステイタスだと思う。

こうして考えると、ステイタスを高めるためには、若い頃から継続的な努力をしなければならない。一朝一夕で身につくものではないからだ。少しずつ積み重ねてきたものが、開花するのが30代後半から40代にかけてであろう。そして円熟期を迎えるのが50代だと思う。「酸いも甘いもかみ分けた」余裕や貫禄が出てこなければ、本物とは言えまい。

ヨーロッパ・スタイルのいわゆる「社交界」というところへデヴューするには、このような総合的な教養の高さ、ここでいうところのステイタスの高さが要求される。会話の中に登場する「比喩」には、聖書、様々な文学や芸能の場面が用いられる。非常に広範囲にわたる知識が必要なのだ。このような下地があってはじめて「金」なのである。「にわか成金」は、社交界へ近づくことは出来ない。

私自身のことを考えてみると、知識と教養はそこそこ、頑強な肉体は平均以上。足りないのはお金と貫禄か? まだまだ修行が足りないようだ。


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