2001年5月分


2001.5.31

大臣が持つべき資質について考えてみた。

歴代の大臣を見渡してみても、専門的な知識や経験を持った人が担当していたことは、ほとんどないだろう。「民間からの登用」などといって、何人かの人が大臣になったが、大蔵、通算、建設、外務などの重要なポストはすべて政治家であった。

大臣というポストには、専門性は必要ないのだろうか? 「おいおい勉強して……」などという言葉をよく耳にするが、国の内外を問わず世の中は非常に速いスピードで動いている。そんな悠長なことは言っていられないはずなのだ。各省庁が官僚によって動かされており、大臣など実質は「お飾り」なのだ、と言ってしまえばそれまでなのだが。

専門的な知識と経験を持った人がそのポストに就けば、官僚とて気を引き締めるだろうし、大臣自身のチェックも出来る。また、何より就任と同時に流動的な情勢への的確な判断が下せるだろう。このように「即戦力」という条件だけでも、政治家が大臣職の就くことは相応しくない。さらには「専門性と経験」を条件につければ大臣への門はさらに狭くなる。

私は、大臣が持つべき資質の中でも「経験」について特に重要視したい。知識だけを持つ学者が実務を担当することは危険だと思う。「机上の空論」というと失礼になるかもしれないが、現場を体験したことのない理論というのは、やはり怖い。何といっても一国のある分野を任せるのだから。

かつて、ケネディ政権時代の国防大臣はマクナマラ長官であった。彼は自動車会社からの任命という、変り種であったのだが、ベトナムへの派兵に関して「キル・レイショー」という理論を持ち込んだ。これは、それまでグリン・ベレーを軍事顧問という形で派兵していたベトナムへ通常部隊を投入しようという意見の裏づけとして出された。

グリン・ベレーの兵士一人を訓練するコストと、通常部隊の兵士一人を訓練するコストを比較したのである。当然特殊部隊の兵士を訓練する方が金額的に高いから、通常部隊の兵士を派兵した方がコストは低く抑えることが出来る。マクナマラ長官は、グリン・ベレーの兵士一人を失うことは通常部隊の兵士何人分に当たるという表現をした。経済界出身の人らしい発想である。

また、当時のCIA長官は、CIAの前身からの局員であったアレン・ダレスであった。知識、経験とも抜群である。ちなみに、国務長官は、彼の兄であるジョン・フォスター・ダレスだ。外交のための機関を兄弟で担当することによって、鉄壁の状態を作り出している。

このような例で見ても分かるように、合衆国の政府スタッフは、完全に適材が適所に選抜されていることが分かる。世界でも中心的な存在である国のスタッフであるから、当然と言えば当然なのだが、わが国でもこの考え方が採用されないものだろうか?

外交交渉をすべて英語で行えたところで、それは自慢にもならない。言葉がしゃべれても、語るべき内容を持たなければ意味がないのだ。


2001.5.30

Textに「Extra」というページを追加してみた。

いわゆる「別冊」というヤツだ。ある事柄をちょっと深く掘り下げようとか、他のコンテンツの範疇に入らない文章を収納しておくことにした。このページに新しい文章を追加したときは、日付にリンクを貼ることによって、お知らせしようと思う。

愚痴になるか? 悪口になるか? なるべくさっぱりしたものにしたいと思っているが、さてどうなることやら……。

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皮蛋(ピータン)を食べた。

その正体は、アヒルの卵を特別な調味液に漬けた後、泥と籾殻に漬けて醗酵させたもので、黒いゼラチン状の卵白、黒い卵黄と不気味な腐敗臭(硫化水素臭)が特徴だ。アヒルの卵ということもあって、鶏の卵と比べると若干大きめだ。また、殻も硬い。この不気味な腐敗臭のために、ピータンが嫌いだ! という人も少なくないだろう。

確かに、これをこのまま食べるのは結構きついかもしれない。しかし、臭いのは主に卵黄部分だから、二つに割ってベランダにでも(部屋に置いておくと臭いが充満する)しばらく放置しておけば、腐敗臭が弱まる。卵黄部分のドロドロ感も多少固まる。

このピータンを美味しく頂くために、私は「ゴーヤ・ピータン」というものを開発した。

縦に二つに割って中身を取ったゴーヤを麻雀のサイコロ大に切る。ピータンも同様の大きさに切る。ゴーヤを軽く茹でる。緑が鮮やかになるくらいが目安だ。これで具は出来上がりだ。酒、醤油、トウバンジャン、胡麻油、五香粉(ウーフェンシャン。山椒、八角、桂皮、丁子、小茴香、陳皮を合わせた混合香辛料)でタレを作り、具を混ぜ合わせれば出来上がりだ。

味の方は抜群だ。ご飯に乗せて良し、冷奴に乗せてこれまた良し、酒のつまみに良しと言うことなしだ。五香粉がピータンの臭みを消し、ゴーヤの苦さがさわやかだ。茹でたての暖かいものも美味いが、冷やしたものも酒のつまみに非常にマッチする。泡盛のオンザロックか紹興酒(これもオンザロックが望ましい)で飲りたいところだ。

ゴーヤが手に入らなかったり、苦手な人は、胡瓜を代用品として使ってもいいだろう。また、トマトを刻んだものを加えてもサラダ感覚で美味い。トウバンジャンの替わりに沖縄の練り唐辛子やコーレーグースー(泡盛に唐辛子を漬け込んだもの)を使ってもいい。コレーグースーは、さわやかな辛さなので、夏に使いたい。

五香粉は、インドのガラムマサラのような位置付けだろう。香りが非常に複雑だ。やや苦味のある味も上品で良い。中国では、肉の臭みを取るために使われたり、煮込みのタレ(まさにガラムマサラと同じ使われ方だ)に使われる。手軽に風味を出すことのできる香辛料として、ガラムマサラと共に抑えておきたい。

オードブルとか、付け合せ的感覚の料理だが、割りと濃い目の味付けだから、おかずとしても十分に独立できる。

日本的な物を望むならば「雑魚山椒」がいい。縮緬雑魚と山椒の実を油で炒め、酒と醤油で味付けをしたものだ。水分を十分に飛ばすことがポイントで、ふりかけ感覚でいただける。これに水を切ったしらたきを加えれば立派なおかずになる。この応用編としては「雑魚ピーマン」がある。上記のレシピにピーマンを加えるのだ。そして炒める際の油を胡麻油にして、胡椒をたっぷりと利かせれば、抜群のおかずになる。

シンプルなものは、様々なものとの親和性が高い、というお話であった。


2001.5.28

「量り売り」ということについて考えてみた。

日本において、量り売りの典型といえば、かつては米であった。米だけではなく、さまざまなものが量り売りされていた。しかし、量り売りは減少の一途をたどっているように感じる。現在では、一定量をパックして売る、という形式が定着してしまっている。スーパーマーケットやコンビニエンス・ストアなどが購買先の主流になってしまったためであろう。

現在でも量り売りされているものといえば、コーヒー、肉などが挙げられる。これらも、スーパーマーケットなどでは決まった量をパッキングされてしまっているが……。確かに、パッキングして売ることは、売る側から見れば非常に合理的だ。一つの商品を売る、という行為にかかる人的コストは量り売りと比べれば遥かに低いだろう。

ヨーロッパでは、ワインや様々な蒸留酒、油(オリーブ・オイルやナッツ・オイルなど)、酢(ワイン・ヴィネガー、バルサミコなど)も量り売りの対象となっている。自分の家からボトルを持っていき、中身だけを売ってもらうのだ。また、ボトルの販売も併せてされているから、手ぶらで行ってももちろん買える。

余談になるが、ヨーロッパでは毎日飲むワインと、お客に出すワインとは違うものを飲んでいる。普段は20リッターなどという、タンクで買う安いワインを飲む。これは、水の事情が良くないヨーロッパでは、水の変わりにワインを飲むためだ。最近では日本でも2リッターぐらいのボトルで売られているワインを目にするが、大人から子供まで家族全員が毎日飲むヨーロッパとは、やはり飲む量が違う。

なぜ、こういう話になったかというと、昨日、量り売りの店でカルヴァドス(りんごから作られるブランデー)を買ったのであった。こういった量り売りの店では、はじめに試飲することができる。その上で気に入ったものを好きな量、買うことが出来るのだ。ボトルを選ぶ楽しさも加わって、なかなか楽しい買い物になった。

こうした試飲や選択の過程では、店員とのコミュニケーションが生まれる。スーパーマーケットなどのようなところでは、どんどん希薄になっていきつつあるから、ある意味では買い物を楽しくしてくれる要素となるだろう。これを煩わしいと感じるか? 楽しいと感じるか? は、人それぞれであるが、煩わしいと感じるようになったら、それは少し哀しい気がする。

しかし、こうしたヨーロッパ風の量り売りでは、多少の不満もある。取り扱う商品が高級品ばかりで、日常生活に密着していないのだ。「お洒落さ」を気取りすぎている。本場のように、もっと生活に密着した、日常的に飲んだり食べたりするグレードの商品を扱えば、もっと身近な存在になると思うのだが……。

現在、量り売りのメッカといえば「アメ横」だろう。センター・ビル地下の食料品売り場はもとより、メイン・ストリートの路面店まで、ほとんどが現物をその場で量って売ってくれる。コーヒー、穀類、乾物、肉などなど。店員とのコミュニケーションも活発で、値引き交渉は茶飯事だ。また、この交渉にほぼ100%応じてくれるのも嬉しい。

この値引き交渉は、何も食料品関係のお店だけではない。アクセサリーの店でも、まとめて買うから安くしてくれ! と言えば、大抵は値引いてくれる。高価な物から安価な物まで、コミュニケーションからお得な結果を導き出せる。これは、スーパーマーケットなどでは体験できない面白さだ。

紀伊国屋や明治屋といった高級食料品店でも、肉や魚、加工肉製品(ハムやソーセージなど)は、基本的に量り売りだ。これは、客が「自分で選ぶ」という行為を率先してするからである。こういう料理に使いたい、と言えば、相談に乗ってくれるし、その料理に合った大きさに切ってくれる。まぁ、街の肉屋や魚屋と変わりないと言えばその通りなのだが……。

私は量り売りの店が好きだ。もっと巷に増えてほしいと思う。


2001.5.25

昨日、歯を削られたときに、焦げ臭い不気味な匂いをかいだ。その恐怖がまだ尾を引いている。

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これまでに、大事にしてきたものを色々手放してきた。

中学時代からずっと使い続けてきたベースは、途中で稚拙な改造をしたために(Music Text参照)壊れてしまった。電気系統はこまめに手を入れていたので、そこそこのコンディションだったのだが……。今考えると、ネックを取り替えれば十分に使えたのだが、工賃をケチったために廃棄処分となってしまった。購入当時流行っていたヴィンテイジ・モデルのコピーであったのだが、いわゆる「当たり」の楽器であった。とにかくいい音を出していたので残念。

車についても苦い思い出がある。CD-5Aランサーという、現行ランサー・シリーズの前のモデルだ。これには相当な手を加えて足回りなどを自分好みに変更した。過去、様々なラリー・カーを乗り継いできたが、この車ほどの一体感を持った車は初めてであった。経済的な理由から手放さざるを得なかったが、改造費だけで200万円以上かけた愛機が、僅か30万円の下取りだったときはショックだった。

自転車でも哀しい思い出がある。私にとっては通算2台目のBMXだ。GTのレース用フレーム(アルミ製ではなく、クローム・モリブデン鋼製)を中古で手に入れ、パーツから組み上げた、ほぼオリジナル・バイクだった。しなやかなクロモリ・フレームに、ダートジャンプ系の頑丈なパーツを組み合わせて、抜群にクールで乗りやすい仕様だった。哀しいのは、このバイク、盗まれてしまったのだ!

買い物をしていた、僅か2時間くらいの間にやられてしまった。頑丈なワイヤー錠を掛けていたのにである。帰ってきて、切られたワイヤー錠だけが残っていたときには、言葉もなかった。オリジナル仕様だから、そこらへんを走っていれば一発で分かる。しかし、発見することは出来なかった。パーツだけでもかなり高価な物ばかりだから、きっとバラバラに解体されてしまって、パーツだけで使われてしまったのだろう。悔やんでも悔やみきれない、一台だ。

人間関係ででも、失ってしまったものは多い。喧嘩別れしてしまった人、自然消滅フェードアウト型で何時の間にか消息が分からなくなってしまった人、かつて恋人と呼んだ人、事故や病気で死んでしまった人……。私は基本的に人間関係が希薄で、友達が少ないから「断腸の思いで」という別れは少ないのだが。

思い返してみると、失ったものが戻ってきたことはほとんど皆無といって良いと思う。人生のプラス・マイナスで考えれば、大赤字だ。「覆水盆に帰らず」 愚痴愚痴になってしまった。しかし、得ることの喜びは、大きい。新たに得ることの喜びによって、失うことの哀しさは、希薄になる。加えて、あっさりした性格だから、いつまでも失ったものへ執着しないことも哀しさを希薄にする原動力になっている。

出会いもあれば、別れもあるさ! などと書きつつ、単なる愚痴の発言であった。


2001.5.24

突然だが、水に慣れていることと、泳ぎの上手下手は別物である。

最近、スポーツクラブでの観察で気づいたことだ。もちろん、選手として水泳を選択した人はこの両方を兼ね備えていることは言うまでもない。フォームの良し悪しというのは、タイムに大きく影響してくる。キレイなフォームというのは、それだけ身体への負担も水の抵抗も最小限に抑えた、理論的にも現実的にも完成されたものだ。

別のスポーツにおいても、それは同じことが言える。フォームがキレイということは、カッコいいということばかりではないのだ。当たり前の話であるが……。

スポーツクラブのプールというのは、ほとんど「常連さん」で占められている。泳げない人はこないから、当たり前なのだが、プールにいる顔ぶれというのはいつも変わらない。そんな人々のフォームをチェックしてみると、結構ヒドイ格好で泳いでいるひとが多い。しかし、推進力や距離は十分なものを持っていて、水に慣れているなと感じることが出来る人が多い

以前にも書いたが、サーファーくんがこのスポーツクラブでトレーニングしていた。彼は当然水には一般人の想像以上に慣れている。しかし、本格的に水泳をやっているわけでもなく、おそらく習ったこともないから、そのフォームはかなりヒドイ。しかし、それはプールでの話であって、彼の泳ぎ方(クロールにもかかわらず、顔はほぼ正面を向き、ほとんど頭を沈めない)は海、しかも高い波の出ているときの海で泳ぐことを考えれば理に叶っている。

海はプールなどと違い、波や風の影響で水面が平らではない。ということは、プール泳法のように水の抵抗を軽減する泳ぎでは、呼吸が困難になる場合がある。それだけではなく、周囲の状況を素早く読み取ることも出来ないだろう。天井やプールの底で進む方向や現在位置を確認するプール泳法とは一線を画しているのだ。

水球というスポーツの選手の泳ぎも、非常に独特なスタイルを持っている。水に慣れている、ということで最先端をいくのは、シンクロナイズド・スイミングの選手ではないだろうか? 彼らはほとんどイルカやアシカに近い。プールの泳法に近いのは、トライアスロンぐらいのものだろう。

私は、小学生の頃スイミング・スクールに通っていた経験から、完全なプール泳法スタイルだ。それに海での経験を加えて、海では古式泳法を取り入れている。

結論が導き出せなくなってしまった。

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これから再び、歯を削らなければならないというプレッシャーが、思考回路を麻痺させているのかもしれない。


2001.5.23

一昨日の晩から、突然歯痛に襲われた。

何が嫌いかといって、歯医者ほど嫌いなものはない。おそらく医学の中でも、もっとも進歩のない分野ではないだろうか。口の中というもっともデリケートな部分を扱うのだから、もっとソフトに、もっと優しく、もっと痛くなく……などと思っている人は私だけではあるまい。しかし、もっともデリケートな部分だからこそ、何をやっても響くのだ、という考え方も出来る。

そんな理由もあって、少々の痛みは我慢してなかなか歯医者に行くことをしなかった。その結果は、奥歯のほとんどが虫歯に侵されるという状態になってしまった。歯痛というのは、デリケートな部分プラス頭部という場所柄、普段の生活に直接響いてくる。イライラするし、集中力はゼロ、夜は眠れない。

あまりにも酷い痛みに、私もとうとう昨日は重い腰を上げて歯医者へ行った。

テレビなどでも放映されているが、最近の歯医者は小奇麗だ。明るい待合室にキレイなお姉ちゃんの受け付け、低く癒し系のBGMが流れ、治療台はパーテーションで区切られ、うがい用のコップは昔の金属製から紙コップに変わっていた。衛生面を考えた配慮だろう。

先ずは待合室でアンケートのような問診表に記入する。今日は何をしに来たか(歯垢を取るとか、歯が痛いとか)から始まり、病気をしているか? 何か薬を飲んでいるか? 過去歯を抜いたことがあるか? といった専門的な質問、その他治療の範囲を聞いてくる。保険の範囲でとか、とにかく全部などという選択肢まで用意されている。

次はレントゲン撮影だ。この結果を患者に見せつつ、口の中の状態を説明し、どのように治療するかを説明してから実際の治療に入るのだ。もうかれこれ5年以上歯医者にかかったことがなかったので、この執拗なまでに丁寧な説明には、いささか驚いた。これなら安心して任せられる! という信頼感を獲得できるだろう。

ただ、痛い方としては「そんなことどうでもいいから、早く直せ!!!」というのが本当のところだろう。イライラに加えて集中力も途切れがちなところで説明されても、大して頭に入るとは思えない。それでも、実際にレントゲン写真を見ながらの説明には、説得力がある。どの部分がどんな状態になっているかが、素人が見ても一目でわかるのだ。私は、この際だから全部直してほしいと言うと、しばらく通ってもらうと言われた。

麻酔の注射を打たれるときの痛みや、歯を削るときの不気味な音に関しては、やはり進歩はない。これを克明に描写しても、痛みを思い出すだけだからここでは省くことにする。

最近は歯医者に限らず、病院と薬局が完全に分業体制にあるようだ。昔は医者へ行けばその場で薬を出してもらえたのだが、今では近所の薬局へ処方箋をもって薬を買いに行かねばならない。面倒なことこの上ない。大きな病院のように、院内に薬局があるところも同じようなものだ。やはり、個人病院のようなところで、その場で薬を出してもらう方が安心だ。

晴れて今朝は痛みも去り、心地よい目覚めを迎えたが、昨日の歯医者の恐怖は残っている。

これからしばらくこの恐怖と闘っていかねばならないと思うと、今日の天気のようにドンヨリしてしまうのであった。


2001.5.21

ピザの台を自作してみた。

既製品を使うのが当たり前と考えられているピザの台だが、実は非常に簡単に作ることができる。材料といっても強力粉(200g)とドライ・イースト(小匙2)、塩少々、ぬるま湯(150cc弱)だけなのだ。オリーブ・オイルを加える方法もあるようだが、なくてもまったく問題ない。これで直径25cmの台が二枚作ることができる。

イタリアンといえば、デュラム小麦から作るセモリナ粉が有名だ。パスタの黄色っぽい色は、このセモリナ粉の色だと思う。非常に硬質な小麦といわれており、普通の小麦粉と比べると粒子がかなり粗い。軽い仕上がり、煮ても崩れないという特徴があるらしい。

昨日は、強力粉とこのセモリナ粉を半々にして作ってみた。混合の粉と塩をドーナツ状にして中心にドライ・イーストを置く。中心に少しずつぬるま湯を垂らしながら粉に馴染ませていく。ドロドロ、ネバネバと指に絡みつくが、それらをこそぎ落としながら捏ねる。表面が滑らかになったら、ボウルにいれてラップし、一時間ほど放置しておくと、生地が倍ぐらいに膨らむのだ。

本来、ピザやパスタは大理石の板の上で捏ねるらしい。滑らかだからくっつかないし、石の持つ冷たさが大切なのだそうだ。そんな物は我が家にないから、私は餃子の皮と同じようにまな板の上で捏ねた。食材が滑るのを防止するためのザラザラが付いたプラスチックのまな板だから、こびり付いた生地をこそげ落とすのが少々面倒だが、何の問題もない。

十分醗酵したら、生地を二つに分けて棒で伸ばせば出来上がりだ。厚さを好みにする関係で、台の大きさ(直径)が多少変わってくる。私は薄くて、焼き上がりがパリッとした方が好きなので、多少大きめの台だ。予断だが、丸い台が常識となっているこの台。本場イタリアの家庭では、オーヴンのバットの形に合せるため、四角く伸ばすことが多いようだ。ちなみに昨日の我が家の台は、歪な楕円形だった。

ここまで出来れば、あとは普段どおりのトッピングを施すだけだ。自作のトマトソースをピザソースの代わりに使い、アンチョビーやオリーヴなどの具、バジルの葉やモッツァレラなどの数種類のチーズを散らせば、あとはオーヴンで五分ほど焼けば出来上がりだ。

さて、問題のお味の方はどうであったか? これはもう、私が作ったのだから美味くないわけがない。伸ばしが足りず、やや厚めの台であったが、ふっくらした非常に良い出来栄えだった。厚めの台は、パンのような感じに仕上がるので、「パリッと感」には欠けるが、味自体は非常に良い。やはり、出来たてと既製品(冷凍や冷蔵保存されている物)の差は大きい。

生地の醗酵に時間がかかるが、それを除けば非常に簡単な料理だ。

セモリナ粉に卵をくわえて捏ねれば、パスタになる。パスタマシンがあれば、簡単に生パスタができるが、これも薄く延ばして包丁で切れば代用はきく。平たく切って「フェットチーネ」だ! と言い張ればいいのだ。手打ち蕎麦の感覚でいいのだ。

既製品が溢れているが、何でも自分で作ろうと思えば出来る、というお話であった。


2001.5.18

酔っ払い易い酒について考えてみた。

このテキストを前々から読んで頂いている方にはもう、お分かりになってしまうオチが待っている。私が何を飲むと翌日二日酔いになるか? という角度から推理すれば、すぐに分かってしまうだろう。傾向としては、醸造酒であることだ。ワイン、スパークリング・ワイン、日本酒などなど、食事の際にちょっと嗜む、といった程度に頂くことが良しとされている類いの酒だ。

普段からバーボン、ラム、テキーラといった強い酒を飲み慣れていると、この醸造酒は、かなりパンチに欠けるのだ。したがって、クイクイ飲んでしまって、気が付いたら一升、一瓶……という単位で胃袋に収めてしまっている。それでも、大して酔っ払ったという感覚はないのだが、翌日にはたっぷりと二日酔いの苦しみを味わうことになる。

対して蒸留酒は、翌日に残ることがほとんどない。先に登場した酒の他にも、キャナディアン・ウィスキー(キャナディアン・クラブなど)やブランデー(甘いのでほとんど飲まない)等、様々な蒸留酒をかなりたくさん飲んでも、二日酔いにはならないのだ。

しかし、ここ数年の飲酒状況を分析してみると、蒸留酒でもたった一つ、翌日に残る物があったのだ。泡盛である。沖縄ファンとしては恥ずかしい限りなのだが、泡盛を一晩で一瓶(一升瓶ではない)空ける勢いで飲むと、かなり激烈な二日酔いになることが判明した。つい先日(5月4日)も経験したばかりだ。

こうして分析してみると、私のウィーク・ポイントは米ベースの酒にあるようだ。確かに米ベースの物は、独特の匂いや味があって、一発で米! ということが分かる。さらに突き詰めていくと、概して米ベースの酒はアルコール度数が低い物が多い。20度から35度ぐらいが平均であろうか? 要はウイスキー系の蒸留酒と比べると、混ざり物? が多いのだ。

泡盛には、60度などという高い度数のものもあるのだが、これは東京ではなかなか入手できない。以前、63度のバーボンや70度近いヴォッカなどを飲んだが、こういった高い度数の酒は、飲んだ瞬間は強烈な衝撃を受けるが、その割りには悪酔いしないという共通の特徴がある。サッと気持ちよくなって、すんなり醒めるのだ。

しかし、米ベースとはいえ、泡盛は基本的に長粒種のインディカ米系をベースにしているということなので、日本酒や焼酎とは一線を画すはずなのだが……。

一瓶、一升の単位で飲んでいれば、二日酔いは確実だ! という声が聞こえてきそうだ。


2001.5.17

簡単だが美味い料理は、考えればキリがない。

我々夫婦は、キックだダンスだスポーツクラブだと夜に活動することが多い。しかし、外で夕飯を済ませることはほとんどない。これは、外で食べるよりも我が家の料理が美味いからなのだが。したがって、帰ってきてからの短い時間に、手早く簡単に、しかも美味く(これが最も重要!)料理しなければならない。調理を始めてから1時間以内に出来上がることが条件だろう。

帰って着替えてサッとシャワーを浴びて、一杯飲りながら20分から30分で2〜3品作る。当然ながら、三つあるガスレンジはほぼフル稼働することになる。ご飯は出かけるときにタイマーでセットすることが多い。パスタなどは、どんなにかかっても20分あれば茹で上がる。

さて、昨日は非常に簡単だが、滅茶苦茶に美味い「韓国風」の料理に挑戦してみた。

その1 ニラと豚バラの炒め物

ニラ一把と豚バラを適当な大きさに切っておく。ニンニクと唐辛子を胡麻油で温め、そこへ豚バラを投入する。肉の色が変わったら、醤油とコチュジャン同量、砂糖、酒少々を混ぜたソースを加える。しばらく炒めて、最後にニラを投入して5〜10回煽ると出来上がりだ。

その2 鱈子の韓国風

生の鱈子を解して、胡麻油とニンニク(摩り下ろし)適量と混ぜる。

これらを軽く茹でたキャベツやレタスの葉にご飯と共に包んでいただくのだ。本来、この手の食べ物が韓国の一般的な家庭料理の定番らしい。葉で包む際は、一口サイズというのがポイント。また、海苔巻のようにするのではなく、シュウマイのように包むのだそうだ。

これらを作るのに要する時間は約30分くらいだろう。味の方は抜群だ。ご飯との相性は120%だ。特に鱈子は、鱈子特有の臭みも消え、まるで別の食べ物を食べているような錯覚に陥る。ご飯に乗せて良し、葉にこれだけ包んで良し、酒のつまみに良しと言うことなしだ。ただ、たくさん食べるときは、翌日が休みの日がいいだろう。生のニンニクを使うため、匂いは結構強烈だ。カップルで食べるときは、両方が食べなければならない。

韓国料理は、おそらくどこの料理と比べても野菜を多く食べられる、非常にヘルシーな料理だ。しかも、温野菜や漬物が多いから、嵩張るだけで大した量は食べられない「生野菜」と比べて、圧倒的に効率がよい。

胡麻油の「すごさ」は、それだけで調味料以上の風味や味わいを持っていることだろう。生野菜を食べる際にも、胡麻油と塩を混ぜた物だけで十分にドレッシングと同等の美味さを発揮する。冷奴にかけても大変に美味いのだ。刻みネギと胡麻油だけで十分に食べられるから、塩分を控えなければならない人にはうってつけだろう。


2001.5.16

昨日は休んだ。

というのも、一昨日の夜から猛烈に腰が痛くなったのだ。これまでの経験から、まず風邪に違いない! という感触であった。翌朝(昨日の朝)になると、腰の痛みはさらに増していたのだが、熱やその他風邪の症状は出ていない。しかし、猛烈に腰の痛みとダルさが会社へ行こうという気力を奪ってしまった。奥さんもダルい、かったるいということで、便乗欠勤。

というわけで、昨日は一日夫婦揃って家でゴロゴロしていた。私は普段と変わらぬ時間に起きたので、それからの長い一日、ほとんど読書をして過ごした。おかげで、4冊の本を読破、5冊目は半分ぐらいまで読むことが出来た。外出といえば、午前中に手紙を出しにポストまで、時間にして15分ぐらいのものだった。

奥さんは、ほとんどお眠りあそばしていた。日曜日のツーリングの疲れがここにきて出たのか? 昼過ぎまで起きず、午後もずっとソファで寝ていた。夕方まで寝ていた割りには、夜もグッスリだったようだ。

私はといえば、夕方過ぎになってやっと腰の痛みも和らぎ、今朝はダルさだけが残っている。今日、スポーツクラブで泳げば、おそらく全快するのではないか、と思っている。身体の不調は、身体を動かしながら直す、というのがポリシーだ。

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不調や疲れを一掃しよう! ということで、昨日はスペア・リブを焼いた。

豚の肋骨の部分の肉だが、これは非常に美味いのだ。美味いのに安いという、お得な部分でもある。おそらく、骨付きの大型肉ということで調理が面倒だったりするのだろう。確かに大きな物では長さが30cm近くあるから、鍋やフライパンに入りきる大きさではない。本格的なオーヴンがなければ、家庭での調理は難しいかもしれない。そうすると、野外でのバーベキューぐらいしか登場する機会がなくなってしまう。

鶏を除けば、骨付きの肉というのは、量と値段を考えるとお得な場合が多い。スペア・リブに限らず、オックス・テイルにしても、豚足にしてもその値段はかなりお得だ。先日の丸鶏にしても、重さや肉の量を考えると非常に安い。また、内臓系も他の部分から比べれば確実にお得だ。

これは、第一に「捌く手間」がかからないということが挙げられるだろう。ほとんどの部分が皮をむいて切り離しただけで商品となっているのだから、塊をエイジングして切り分けたりする手間はまったくといっていいほどないだろう。豚足など、皮さえむいていないのだ。

第二に「見た目の醜さ」がある。要は非常にグロテスクである場合が多いのだ。オックス・テイルなど、肉がなくなった後の骨の形は、非常に奇怪だ。内臓系は、色や感触がかなりスプラッタ・ホラーの世界に近いところに位置している。スーパーマーケットなどでは、この手の物が並ぶスペースは大してないのだが、アメ横の肉屋などは、見るからにヤバイ感じの物が無造作に大量に並んでいる。

第三に「調理の問題」だ。先ほども出てきたが、一般家庭では扱えない大きさだったりする場合が多い。また、骨の周囲ということもあって、煮込むなど時間がかかる。さらに、内臓などは下拵えを十分にしないとならない物もあったりして、出来上がりを買ってきた方がよほど便利だったりする。

さて、リブ・ステーキの話であった。

昨日は二つのパターンで試してみた。一つは、ごくシンプルに塩と胡椒、ベイリーフとローズマリーという焼き方。これは出来上がりも味も非常にシンプルで、豚そのものの味わいが素直に出る。あっさりとした仕上がりでもあるから、しつこい味が嫌いな人向けだ。

もう一つは、醤油、酒、ニンニク、チリ・パウダー(輪切りの唐辛子でも良い)、蜂蜜を混ぜたソースに漬け込んでから焼く。こちらの方が遥かに味の深みは出るし、蜂蜜のおかげで焼きあがりに照りも出る。少々味が濃いので、量は食べられないかもしれない。ご飯がほしくなる。たった一つの欠点は、焦げやすい素材ばかりで構成されるソースだから、焼き上がりが醜いことだ。これは、焦げをフォークなどで落とせば問題ない。私はこちらの方が好きだ。

というような一日であった。


2001.5.14

週末は非常に良い天気で気分がいい。

土曜、日曜とティシャツ&短パンという完全夏スタイルで過ごした。通勤にもそろそろ夏物のスーツにしようか? と考えているのだが、そのためには洗濯が必要だ。何を隠そう、去年の夏シーズンが終了してから、クリーニングに出していなかったのだ。我ながら「汚ね〜なぁ」と思うのだが、なぜかクリーニングに出しそびれてしまっていたのだ。

一応、チェックしてみたが、異臭なし。虫食いなし。一安心である。

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土曜日は、鶏を一羽丸焼きにした。

ケツの穴から香草を詰め込み、表面にはオリーブ・オイルをかけてオーヴンで約45分だ。大きく切ったジャガイモと玉ねぎも一緒に焼いた。これは非常に美味い。皮がカリッとしていて、しかもその皮のおかげで中は非常にジューシーな仕上がりとなっている。ローズマリーを中心とした香草の香りも高く、まったくもって満足のいく出来になった。

手足をナイフで外したり、ザクザクと身を削いでいくところは、少々野蛮な雰囲気だが、野生に帰った気分でこれもOK。手掴みで食べる豪快さも加わって、かなりワイルドな感じの食事の風景になる。

量的には丸々一羽というのは、結構な物だ。夫婦二人ではとても一回で食べきれない。手足と胸肉の一部を食べれば、すでにかなりお腹一杯状態だ。しかし、腹持ちはあまりよくないようだ。深夜になると、お腹がすいてくる。というわけで、珍しく深夜に街を徘徊した。

ラーメン屋というのは、深夜、結構な賑わいを見せる。夕方から深夜まで営業する店があるほどで、特に国道246号線や環状八号線沿いにはそのような店が多いようだ。我々は、牛骨ラーメンというシロモノを食べた。これは、豚骨と比べると遥かにあっさりしており、それでいて味わい深い。初めて食べたが、かなり好きな味だ。このスープにラー油(辛い物好きの定番!)と酢を加えることによってさらに美味しくいただける。

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翌日は、午前中から自転車でツーリングに出かけた。コースは、多摩川の河川敷を羽田付近までの、約35kmだ。気温が気温だったから、かなりの汗をかいたが、非常に快適なツーリングであった。多摩川沿いというのは、このような自転車専用の道が整備されていて、すこぶる走りやすい。私のように、色々な意味で自転車に乗り慣れている人間はともかく、奥さんのようにあまり自転車に慣れていない人間にとって、街中を自転車で走ることは結構怖いし、危険だ。

自動車あり、歩行者ありで運転だけに集中できる環境にないのが街中だ。車を運転する立場でもある私から見ても、後ろから車が来たりすると自転車から降りてしまう人(特に年配の女性ライダーに多い)は、非常に邪魔だし危険だ。また、歩道の真中を悠然とゆっくり走るライダー(性別を問わず、年配ライダーに多い)も迷惑だ。こういう人に限って、いくらプレッシャーをかけても全く動じる気配を見せない。

だから、私のようにある程度スピードに乗って走るライダーは、車道を走らざるを得ないのだ。しかし、車道は路上駐車の嵐だ。これを避けるときには、本当に気を遣う。ヒヤリとすることが少なくない(車を運転していても、自転車を運転していても)。

というわけで、河川敷にサイクリング・ロードを整備するなんていうことは、自転車人口が増加傾向にある現在、もっと積極的に増やしてもいいのではないだろうか? 多摩川の河川敷など、昨日のように天気がいい日には人で溢れ返っている。ランニング、サイクリングの割合が非常に多いのだ。ここに川原でバーベキューをしたりする人、サッカーや野球をする人、犬の散歩に来る人などが加われば、一つの道では足りなくなるのは当然だ。

そこにトレイル(ジャンプのためのコブや盛り上がりを作ったコース)やBMXのレース・コースなども作ってもらえればなお嬉しいのだが、これはまぁ、無理だろう。河川敷は、このようなトレイルやコースを作るのに適した場所だが、勝手に作ることは許されていない。したがって、何人かの有志を募って「ゲリラ的」に作ることとなる。そうして苦労して作ったコースも、お上の知れるところとなると、あっという間に壊されてしまうのだ。

ゲリラは何人かが手作りでつくるが、お上はブルドーザーで一発だ。

最後はまた訳のわからない話になってしまった。


2001.5.11

クミンというスパイスがある。

アジアから中近東、アフリカまで広く使われている植物の種だ。元々はナイル川流域原産らしいが、熱帯地方での生産に適しているため、広くこのような地域で使われるようになったらしい。独特の香りとやや辛味がかった苦味が、私の好みに良く合う。

一般には、カレーを中心とするインド料理で使われることで知られているが、エスニック系料理(タイ料理など)のほとんどに実は使われている。また、アフリカの「クスクス」などでもなくてはならないスパイスとして重宝されている。

一般家庭で使うとすれば、パウダー状にしたものをカレーにするか、「ガラムマサラ」というクミンをはじめとする数種類のスパイスを混合した物だろう。しかし、このクミン、実は種のまま使う方がずっと香りや味が立つのだ。カレーで使う場合は特にそうだ。ついでだから、簡単なレシピを紹介しよう。

1.準備

ニンニクのスライス適量、生姜の微塵切りかなり多め、トマトソース(イタリアン用)鍋に半分

骨付きラム適量を、フライパンで簡単に焼き色をつける。このときの注意は、油は少なめで火力を強くして、表面だけを焼くようにする。鶏肉(骨付き)を使う場合も、強火で皮だけをカリッとさせる気持ちで焼く。ポークやビーフ(私は滅多に使わない)も同様だ。

玉ねぎ、ズッキーニ、ピーマン、ナスなど好みの野菜を好みの大きさにカット。火が通りやすい大きさを目安にする。

2.調理

弱火にかけた大き目の鍋に油(オリーブ油)を引き、ニンニク、生姜、クミン・シード(種のままのクミン)を投入する。このときの注意点は、この最初の段階だけは、蓋を片手に行うことだ。クミン・シードは、滅茶苦茶に撥ねる。投入と同時に蓋を閉めて鍋を揺するようにするといい。

クミンが静まったら、ピーマンを除く野菜を投入して炒める。火は中火。ざっと炒めたら、肉を投入して水を鍋の半分近くまで入れる。固形スープの素(マギー・ブイヨン)を二個入れる。トマトソースを加えて煮込む。

沸騰してきたら、ガラムマサラ、ターメリック(和名:ウコン)、チリ・パウダーを好みの量入れる。さらに沸騰してきたら、塩を投入して味付けをする。スパイスにしろ塩にしろ、はじめは薄めに投入する。薄味を濃くしていくのは簡単だが、濃くなりすぎたものを薄くすることは出来ないからだ。煮込んでいくことによって、水分が蒸発することも考慮しなければならない。

スパイスの投入する割合は、まったくの好みだ。カレー特有というか、汗が出るような辛さを出すためにはチリ・パウダーを入れる。カレーの色、黄色を出すのがターメリック。ガラムマサラは、上記にあるように数種類のスパイスのミックスだから、カレーの風味を出すために使う。

弱火にして、全体的に火が通るまで煮込む。水分が少なくなってきたら、再び味見をして最終的に味を整える。このころ、ピーマンを投入する。

3.いただく

理想は、いわゆる「インディカ米」という長粒種のものだが、普通の米を固めに炊いたものでOKだ。ナンやチャパティといったインドのパンがあればなお美味い。

私は傍らに牛乳を手放さない。奇異に思われるかもしれないが、私にとって牛乳は酒以上に食事のお供としてベストな存在だ。特にご飯ものには欠かせない。

調理開始からいただくまで約30分あまり、準備段階を入れても1時間以内の実は非常に簡単で短時間にできるのがカレーなのだ。

クミンは、この他にも肉料理のスパイスとして使っても美味い。ラムなどのように一部の好き者(私のこと)を除けば、その匂いが嫌い! という人が多いものなど、これで美味しくいただける。

挽肉と玉ねぎなどを捏ねて棒に巻きつけ、火で炙って食べる中東方面の料理では、チリ・パウダーやクローブなどと共にクミン・シードを表面に擦って焼く。これは抜群に美味いから、是非試してみるといいと思う。

結局、クミンではなく、料理の話になってしまった。


2001.5.10

爽快さの度合い、ということについて考えてみた。

もちろん、私が考えるのだから、それは身体を動かすことによって得られる爽快さだ。子供の頃からスポーツなどで鍛え、社会人になってからも運動を続けていると、ちょっとやそっと身体を動かしたくらいでは疲れないようになる。運動によって得られる爽快さとは、大量の汗とグッタリとした疲れだと思う。この考え方でいくと、かなりの量的質的運動が必要だ。

最近、スポーツクラブなどに行くことになったため、キックボクシングやサッカーなどと比較してしまうのだ。もちろん、スポーツクラブでもエアロビクス系の運動を目一杯やれば、充実した汗と疲労感を得ることができるだろう。水泳にしても、かなりスタミナを使う。しかし、何かが違うのだ。

奥さんが言うには、エアロビクスも上級になるにつれて歩くような運動が走るような運動になるのだそうだ。スピニングのレッスン風景を観察しても、スタンディング(いわゆる立ち漕ぎ)を取り入れたりして、結構きつそうな感じだ。ウェイト・トレーニングにしても、負荷を十分にかければかなりの疲労度になる。

しかし、私の基準から見ると、これらの運動はどうも「激しさ」が足りないような気がするのだ。一つの運動で汗と疲労を同時に得ることは、結構難しいことなのだと、最近思うようになってきた。

エアロビクスは、体脂肪の燃焼や発汗の効果はあるが、これだけではキレイな身体にはならないという。それに加えてウェイト・トレーニングが必要なのだ。これは私の穿った見方かもしれないが、本来エアロビクスは、ランニングがその基となっている。ただ走るだけでは退屈だし、孤独だ。そこでみんなで集まって退屈しないようにアクションをつけて、音楽に合せて動こう、という趣旨だと思う。一箇所で移動なしにできるから、一石二鳥だ。しかし、筋力を必要とするような激しさはほとんどないから、痩せはするが筋肉の付いたバランスのいい身体にはならない。

スピニングにしても、同じだろう。この運動は、本来自転車に乗る人のためのエクササイズだとは思えない。自転車に乗れない人でもこれなら転ぶ心配もないし、交通事故などの怪我の心配もない。しかし、バランスを取ったり登り坂でのモガキ(シャカリキになって漕ぐこと)は、ウェイト・トレーニングと同等の筋力を使う。固定のバイシクル・マシンでは、漕ぐ際にハンドルを引っ張る力がほとんど必要ないから、マシン・トレーニングには限界があると思う。

私の場合、全力〜脱力〜全力〜脱力……という繰り返しが好きだ。瞬間的に筋肉を緊張させることがいいのだ。だらだらとパーマネントに続く運動は嫌いなのだ。飽きっぽい性格だから、運動中でも適度な気分転換が必要になってくる。ランニングのように一定の力で続ける運動をしていると、そのうち注意力が散漫になり、怪我などの危険が出てきてしまうのだ。

要は、過激な運動でないと満足できない、詰まらない……というお話であった。


2001.5.9

ゴールデン・ウィーク前半に蒔いた種が発芽した。

実は二日前から発芽は始まっていたのだが、三種類の種を同時に蒔いたというのに、発芽のタイミングは各々違う。先ず最初に芽を出したのは、ミントであった。これは、タイムとプランターを半分に分けて蒔いたからすぐに分かった。次に芽が出たのがバジルだ。プランター一面に緑のモヤモヤがかかったような雰囲気である。タイムだけがまだ何の音沙汰もない。

地面というか、土の温度が25℃以上にならないと発芽しない、と種の袋には書いてあった。連休の後半の後半、やっと天気がよくなったことで25℃を超えたのだろう。毎日水をやりながら、密かに芽が出るのを心待ちにしていたのだ。出るまではまったく変化がなかったというのに、一旦目が出始めるとあっという間に、次から次へと目が出てくる。

日曜日の夜に見たときは、何の変化もなかったが、月曜日の朝には芽が出ていた。それからは土の表面がどんどん緑色になっていくのだ。

種の大きさからある程度の想像はしていたが、芽が出たときの感じは、道端の雑草が芽吹いたときと似ている。奥さんには、雑草ではないから抜いてしまわないように、という注意をしたことは言うまでもない。彼女は、割り箸を持ってきて、抜いていいか? と言いはじめたからだ。このような行いが、植物をあっという間に枯らせてしまう原因だろう。

彼女が持っていた割り箸は、ゴーヤの苗の隣に突き刺して、最初の蔓の取っ掛かりにした。天気が良くなったこともあって、種だけではなく、苗たちも活発に成長を始めている。ゴーヤの蔓も、一晩で割り箸に巻きつき、もう少し成長したら本格的に蔓を伸ばすために細工する必要があるだろう。

パセリは既に食べられる状態になってきた。これから秋口までは、葉を取れば後から生えてくる、という状態が続くのだ。バジルやタイムも生長すれば同じように食べることができる。ミントは多年草だから、今後ずっと同じ株と付き合っていくことになる。

ローズマリーは、既に木と呼べるくらいに成長した物を購入したから、枝をはらって日当たりと風通しを良くしてやることをしなければならない。このローズマリーの鉢の角には、食べ残した別のロースマリーを水のコップに入れて、根を出させた物も植えてある。この小さな株の成長も楽しみだ。

こうして植物を育てていると、農業をするのもいいなぁ……などと考えてしまう。


2001.5.8

久しぶりに料理の話を書こうと思う。

以前にも料理の本質は素材の良し悪しで決まる、と書いた。その典型的な例の一つが「とんかつ」だろう。我が家の近くには、小さいが非常に良い肉を扱う肉屋さんがある。構え自体は非常に小さいのだが、肉を捌いたり、貯蔵したり、調理したり(コロッケやメンチカツなどのフライ。肉屋の定番)するスペースは店の面積から比べれば広大と言っていいほど大きい。

冷蔵装置を備えた、前面がガラス張りになったお決まりの商品陳列棚にある肉のほかに、こういう肉がほしいといえば、後ろの巨大な冷蔵庫から塊を出して切ってくれる。以前にここでステーキ用に切ってもらった肉は、明治屋などの高級店と同等の美味さながら、三割近くお得なお値段だった。きちんと晒しの布で包みエイジングされた見事な肉だった。

話が逸れていってしまったが、とんかつであった。

ここの肉を使ったとんかつを揚げた。普段、外で食べるとんかつでは、脂身の部分を大抵残すことにしている。胸焼けや吐き気を起こすことが多いからだ。これは、揚げ油の良し悪しにも関係があるのだが、それ以上に肉の品質に関係がある。

良い肉の場合、揚げることによって脂身の脂肪分が溶けて甘味を出し、何とも言えない旨みとなる。ベーコンを弱火で炙ったときに出る脂と同じだ。こういう感じで揚がるなら、脂身まで食べられるのだが、なかなか美味い肉のとんかつに当たらない。

もう一つのポイントにパン粉がある。我が家では、古くなったパンをジューサーで粉砕して自家製のパン粉を作っている。大量に作って冷凍しておくから、いつでも使えるというメリットがある。さらには、凍ったまま使えるとというのもいいところだ。市販の物や店で食べるフライのパン粉との決定的な違いは、その細かさにある。

干して、やや硬くなったところをジューサーにかけるから、こういった自家製のパン粉は粉のように細かくなるのだ。これを揚げると、細かいから口当たりが非常に良い。もう一つ、パン粉が吸う油が少なくなるから、脂っこい! という感じにもならないのだ。いわゆる「衣が厚い」という状態にもならないから、メリットだらけという感じだ。

業務用ということで仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、揚げ油の品質も重要だ。我が家では、一回フライをするとその油は捨ててしまう。一度フライで使ってしまうと、油は驚くほど酸化してしまう。茶色っぽく色がついてしまった油は、もう使えないのだ。

こうして素材を選べば、美味くなるのが当たり前だ。しかし、原価は、店で食べるよりずっと安いのも確かだ。簡単で美味いのが男の料理の本質だが、ちょっとした手間(手間ともいえないような手間だと思う)をかければ、さらに美味くなるのだ。食い物が美味ければ、共に飲む酒もうまいというものだ。


2001.5.7

五月の連休に、旅行や遠出をしたという記憶があまりない。

六、七年前に海外旅行へ行って以来だと思う。どこへ行っても混雑&連休料金という状況では、どこかへ行こうという気にもならない。夏のお盆の時期のように、東京が閑散とするようなこともない。連休中に首都高速を走る機会があったが、普段見かけないような他府県ナンバーの車がたくさん走っていた。

首都圏に住む人々は、他府県へ、地方に住む人々は、東京へ、連休を利用して移動するのだろう。三日は、朝八時に目覚めたが、ニュースでは既に高速道路の渋滞が数十キロメートルに及んでいた。このような情報を見てしまうと、完全にどこかへ行こうという気力がうせてしまう。

おまけに、今年の連休は気温が低く天気も悪いという、行動力を完全に奪うのに十分なパンチ力をもっていた。

というわけで、三日は終日家で寝ていた。四日は奥さんの実家へ。買い物と大工仕事を手伝った。五日は夏物と冬物の入れ替え作業だ。黙っていても一シーズンで増えていく洋服たち。今回も45リットルのゴミ袋二袋分の衣類を廃棄処分とした。これが大変な労力を使う。粗方片付いたときには、ヘトヘトな状態だった。

六日になって、やっと出かけよう! という陽気になったので、昨日はチャリで出かけた。駒沢公園へ出かけ、Chuteの慣らしの最終段階を一応終えた。これで、前後ブレーキのオイル交換をすれば、ほぼ完璧な仕上がりになるだろう。

世田谷というところは、非常に不思議なところで、面積も広い。畑があったかと思うと、政治家や芸能人などの自宅がある高級住宅街があったり、広大な面積の公園があったりする。東京二十三区では、緑が多い街だろう。昨日も、幅1.5メートルほどの流れを持つ緑地帯を持つ通りを走った。閑静な住宅街の中を走るこの流れ、鴨が休み、鯉が泳ぐ。良く良く眺めていると、甲羅の直径30cm近い石亀が甲羅干をしていたりもする。おそらく、ザリガニなども棲んでいることだろう。

このようなところがあまり目立つことなくある、ということが意味もなく嬉しかった。この発見だけでも、今年の連休の価値があったと思う。昆虫取りやザリガニ取りをしなくなって久しいが、久しぶりに血が騒いだ瞬間だった。


2001.5.2

連休の谷間。

私の知人はここも休みにして、連続9日間のロング・ヴァケイションだ。行き先は……おフランス。夫婦で二年間、500円玉貯金で資金作りに励んだという。「宵越しの金は持たね〜!」主義の私からすると、まったく見上げた者である。

私の場合、溜まっていくのは一円玉と五円玉ばかりだ。

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最近「ボクササイズ」という名前で、ボクシングがエアロビクス系の運動に取り入れられているらしい。

我々夫婦が行くスポーツクラブでは、このエクササイズは行われていないが。確かに、この手の運動は肉体的にも精神的にも効果的だろうと思う。有酸素運動と無酸素運動が適度に組み合わされているし、腰の回転運動によってウェストを引き締めるのにも効果が高い。さらには「殴る」という、普段なかなか出来ない行為によって、心の中に溜まった鬱憤を晴らすことで精神的なカタストロフィを得ることもできる。

私の場合は、さらに足技も組み合わせたキックボクシングだから、運動量はさらに高くなる。

暴力は非文化的な行為の最たるものだが、動物としての人間、あるいは狩猟を生活の糧としてきたころの遠い記憶を持つ、という考え方をすれば、それは人間が本質的潜在的に持っている衝動だろう。そういった衝動は、突き詰めて考えていけば「キラー・インスティンクト」いわゆる殺しの本能に行き着く。

生きていくために必要な獲物は殺さなければ食べることは出来ないのだ。その殺す部分を残酷だ可哀相だという理由で、他者に委ねたことによって、肉は動物ではなく肉として存在するという錯覚を我々は刷り込まれてしまった。

肉体は、叩けば痛いし切れば血が出る。簡単に破壊することができるのだ。この単純で誰でも分かりきっていることが、本当の意味で理解されていないのだと思う。それが暴力的な犯罪が起きる原因だと思う。現在では、野生動物が狩をするシーンや、獲物を喰らうシーンは放映されるが、人間が動物を殺すシーンは放映されることがほとんどない。

文化的に高い水準を持つ国々ほど、面白がって人を殺す犯罪が多発する。暴力を極度に抑制する文化的背景がそうさせるのだろう。映画「ファイト・クラブ」のような集団が密かに受け入れられるのも、こうした背景の中で抑圧された暴力衝動が爆発するからだ。

というわけで、暴力衝動は適度に発散しましょう、というお話であった。

大分、血生臭い話になってしまった。


2001.5.1

月末、連休前という状況に、さすがに職場での更新はできなかった。

土曜日は、我が家のリフォーム最終日。じっくりと職人技を見学させてもらった。根太や柱の間を渡す横木などは、伝統的に「釘」を使用していた。現在は「木ネジ」を使用する。この利点は、しっかりと締まって緩まないことだそうだ。釘の場合は、床など常に力が加えられる場所では次第に緩み、床鳴りしたりするのだ。これが木ネジを使えば、ガッチリと食いついて緩みが少ないのだ。しかも、インパクト・レンチのような機械で締めるから、その止まり具合は確実だ。

トイレの便器交換。交換する作業自体には別段変わったところはない。ウォシュレットのために枝分かれした水道栓のジョイントを使うくらいだ。すごいのは交換された古い便器だ。運び出したと思ったら、その場で破壊し始める。陶器で出来ているから、重いし場所を取る。だからといって、その場でガシャン! という騒音を立てながらの破壊には??? な感じだ。

作業は順調に進み、三時過ぎには終了した。かなり暗く、古ぼけた感じであった廊下とトイレは、見違えるようにキレイで明るい空間になった。その後、埃などでを掃除機→雑巾がけの順番で清掃し、作業のために外された玄関のレンガを敷き直す、板とレンガを組み合わせた靴の棚の再生……といった作業を終えるともう夕方だ。さすがに疲れて、キックの練習をサボった。

翌日は買い物だ。当初、リヴィングに溢れ返った本を収納するために本棚を買う予定であった。しかし、成城にあるホームセンターで、突如ハーブの種(バジル、ミント、タイム)と苗(パセリ、月桂樹、ゴーヤ)、プランター、土などを買い込む。ローズマリーだけは、大きく育ったものを購入した。帰り道で酒の安売り屋でバーボン、泡盛、テキーラ、ラムなどを買う。これで、連休中のアルコールは確保できた。

帰ると、早速種蒔き&植え替えだ。プランターには種を。クリスマス時期に買って、あっという間に枯らせてしまったシクラメンの鉢三つにはパセリと月桂樹を植え替えた。大きく育っているローズマリーには、大きな鉢を用意した。二つのプランターは、一方にタイムとミントを、もう一方にはバジルの種を蒔いた。

この種。私の想像では、朝顔や向日葵のような種をイメージしていたのが、実際はまったく別物だった。滅茶苦茶に小さいのである。直径一ミリメートル以下で、袋の底の方に僅かに溜まっている。ゴミか何かと勘違いしそうだ。したがって、プランターに蒔いても、どれくらいの間隔で蒔けたかが判然としない。説明を見ても、間引きしろと書いてある。今後の世話が大変である。

奥さんは、植物を枯らすことにかけては天才的だ。今後のハーブ育成に関して、私が全責任を奪取したことは言うまでもない。

月曜日は、かねてから懸案となっていた部屋の模様替えだ。リヴィングの最も広い壁面は、チェストやテレビ、本棚などが並んでいる、その対面は、床から天井へ突っ張り棒式に設置したバイシクル・ハンガーがある。このハンガーには、BMXとChuteがぶら下がっている。Zaskerは、床に直置きだ。その自転車スペースの前にソファを置いていたのだが、部屋を狭めている形になってしまう。

そこで、二つあるベランダへの出入り口の一つを潰して、そこへソファを移すという作戦を考えた。Chuteのすぐ脇に直角にソファが来ることになる。床面の掃除をしつつソファを移動する。やってみると、かなり良さそうだ。部屋の中央にキリムを敷き、その上にアンティークの木製臼を使ったテーブルを配置すれば、リヴィングは広々とした空間に変わった。

さらには、本棚の中を整理し、読まなくなった本をダンボールの箱へ。さらに映画やラリー、自転車のビデオを整理した。この不要となった物を「Book Off」へ。二束三文だろうと高を括っていたが、意外にも五千円を越す金額になった。

このようにして、我が家は居心地良く生まれ変ったのだが、最後に難関「夏物と冬物の入れ替え」が残っている。連休後半のはじめはここから始まる。まだまだ私の肉体労働は続く。


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