2001年4月分
2001.4.27
本日は多忙につき、お休みします。次回更新は5月1日です。
2001.4.26
水泳について考えてみた。
私が経験した、サッカーをはじめとする様々なスポーツと比較してみると、水泳は、最も身体に無理がかからないスポーツだと言えるだろう。数値的に出したのもではないから正確ではないが、同じカロリーを消費した場合の身体の疲れ具合は、水泳が最も少ないと思う。30分走りつづけることは結構な重労働だが、30分泳ぎつづけることは、それほど苦痛とは感じないことからもそれが分かる。
なぜ、無理がかからないのか?
第一は、重力の影響が少ないということだろう。我々が地球上にいる限り、重力の影響は必ず受ける。しかし、水の中にいる限りは「身体が水に浮く」という現象のために重力の呪縛から解放されるのだ。このため、同じ運動量でも重力に抵抗するための力を使わずに済むだけ身体に無理がかからないのだと思う。さらには、身体の動きと重力の衝突や摩擦から生まれる怪我の心配もしなくて済むのも、大きなメリットだ。
第二は、瞬間的な動きが少ない、ということだろう。ランニングなどのように一定の力をパーマネントに使う運動は別として、一般的なスポーツは、静と動の差、緩急の差が激しい。こういった瞬発力を要する動きには、大きな筋肉を使わなければならないし、大きな筋肉を瞬間的に緊張させるためには大きな力が必要となる。緩急の緩の部分を少なくしていくこと(インターバルを減らす)によって、体にかかる無理は大きくなっていく。
第三は、水の中にいるということだろう。運動すれば当然のことだが、体温が上昇する。しかし、水の中にいることによって、適度に身体が冷やされ、身体がオーヴァー・ヒートすることを防いでくれる。それどころか、体温よりも低い水温の中にいれば、体温の低下を防ぐために身体を温めようとする体内メカニズムが働き、新陳代謝が活発になる。水中でも、もちろん発汗はあるのだが、水の中にいれば気にならない。発汗の不快さ、という精神的なストレスもないだろう。
第四は、呼吸だろう。水の中では呼吸が出来ない。しかし、身体は動きつづけている。これで無酸素運動が出来る。顔が水に出たときに大きく呼吸することによって有酸素運動にもなる。要は、有酸素運動と無酸素運動を適度にミックスして行うことが出来るのだ。
こういったメリットの恩恵にあずかって、泳いだ後は他のスポーツとは違い、心地よい疲れとポカポカとした体の温まり具合を得ることが出来る。
しかし、メリットだらけとはいえ、ゆったりのったり泳いでいたのでは意味がない。ある程度力をいれて泳がなければ、筋力の強化や心配機能の強化にはならない。クロールなら25mを30秒以内で泳ぐ必要があるだろう。水をかくときとグッと伸びることに注意していることが重要だ。そうすれば、自ずとキレイなフォームで泳げるようになる。
何はともあれ、泳いだ後は気持ちがいい、酒も美味いということが言いたかったのだ。
2001.4.25
今日から我が家は工事に入った。
先ほど、現場から電話が入ったのだが、玄関に施した私の装飾が問題になっているという。以前に書いたが、我が家の玄関の壁には、タイル状の薄いレンガを貼り付けてある。これは、床に近いところから上へ向かって疎らになるように貼ってあるのだが、上部の疎らなところは剥がすことが出来たが、下部の隙間なく貼ったところは剥がせないというのだ。
また、「石敢當(いしがんとう)」という、家々の角などにはめ込まれたり、置かれた石に刻まれている、魔除けやおまじないの意味がある石版を貼り付けてある。これは、沖縄の文化なのだが、非常に大切なものだ。これも頑丈に貼り付けてしまったため、無理に剥がすと割れる危険性があるのだ。
結局、これらの部分は、壁紙を切ってそのまま残し、この部分に関しては貼り換えないということにした。私の想定では、タイルを壁紙ごと剥がして、後から壁紙を剥がすというものであった。しかし、本職の方々が出来ないと言うのだから、出来ないのだろう。
こういった職人仕事が大好きな私にとって、工事を見物できないのは非常に残念だ。
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石敢當が出たので、ついでに書こうと思う。
沖縄には「シーサー」と呼ばれる有名なものがある。見てくれは神社などにある「狛犬」に似ている。それを置く考え方なども狛犬と変わらないようだ。魔除けやおまじないの意味があるらしい。ただ、沖縄特有なのは、一般家庭や商店、企業の玄関先や門柱の上にも置かれている、ということだろう。
沖縄特有の宗教的習慣から、このようなことになっているのだと思う。その他にも「面シーサー」という、シーサーの顔をお面状にしたものもある。これは、玄関の上、屋根のすぐ下あたりに貼り付けるようにしたものだ。鬼瓦のようなものか?
どちらも陶器や素焼きの焼き物で、有名な陶芸家が作ったものは何十万円もする高価なものだ。確かに、自分の家を守るために置くのだから、安い物よりは高い物の方が効果がありそうだ。大きさも、狛犬のように大きなものから、掌に乗るような小さなものまで様々だ。
我が家には、このシーサー、面シーサー、石敢當の沖縄魔除け三点セットがある。シーサーは、子猫サイズで、そこそこ高価(万円単位)なものだ。面シーサーは直系が15cmほどの素焼きだ。非常に恐ろしい顔つきをしている。石敢當は、15×20cmほどの石版で、白い石灰岩様の石に黒く太い文字で彫り付けられている。シーサーと石敢當は玄関で、面シーサーはリヴィングの壁でそれぞれ魔除けにがんばってもらっている。もっとも、面シーサーは、インテリアとしての役割も兼ねているが……。
これだけ魔除けやおまじないの類が家に溢れているというのに、しかも沖縄物で統一しているというのに、水漏れが起こるとはどういうことか? という疑問が生じるが、窓やベランダの鍵を開けっ放しで一日外出しても泥棒に入られなかったりしているので、我が家の沖縄三点セットはきちんと活躍してくれているのだろう。
守ってもらっている安心感よりも、自分たちの不注意の方を戒めるべき話であった。
2001.4.24
サボではなく、昨日は倉庫へ朝から行ってきたのである。
これは、結構危ない展開だった。日曜日の夜、晩飯を食べながら、いい気になって酒を飲んでいた。「そういえば、明日は早いんじゃないの?」という奥さんの一言。いつもより一時間早く起きて、群馬県の倉庫へ作業に行くことになっていたのだ。完全に忘れていて、スーツを着て会社へ行くつもりになっていた。やや二日酔い気味で倉庫へ出かけたことは言うまでもない。
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これまでの過ごしやすい天候が嘘のように寒くなった週末。
土曜日は、午前中にリフォームの相談をリフォーム屋とした。この間の水漏れ事件で示談となって、結構まとまった現金が入ることになったのだ。水が出た問題の台所は、今回のリフォームでは工事しないという、保険会社に対しては半ば詐欺のような展開となる。
今回のリフォームでは、トイレ(便器をウォシュレットに交換、床と壁の張替え)、廊下〜玄関(床、壁張替え)、風呂場前(床張り替え)を行う。見積段階から、マンションの理事会会長という立場をフルに活用し、大幅な値引きをさせ、さらにはゴールデン・ウィーク前に工事を完了させることを条件にするという、非常に極悪なお客となった。
明日から工事が開始されるが、夫婦共に働く労働夫婦である我が家は、本来規則で禁止されているにもかかわらず、管理人を鍵の預かり人にするという暴挙を、これまた理事会会長の立場で承諾させてしまった。これだけ暴挙の限りを尽くせば、理事会では身を粉にして働かねばならない。
明日からの工事に備えて、今日は部屋の片付けと掃除を、キックの練習返上で行わなければならない。工事が早く始まり、早く上がることは喜ばしいことなのだが、ゴールデン・ウィークは、部屋の模様替えと夏物冬物の入れ替えを行うと奥さんは張り切っている。張り切るのはいいのだが、その労働のほとんどは、私が担うことになるのは目に見えている。
午後からは、映画だ。
ブラッド・ピットとジュリア・ロバーツの競演「メキシカン」を観た。ブラピ・ファンの我々夫婦は当然、彼に期待を抱くわけだが、今回も前作「スナッチ」同様、これで主役か? という感じの役柄だ。どちらかといえば、ジュリア・ロバーツと彼女に絡む悪役が中心で、ブラピはそれに彩りを沿えるサイド・ストーリー的な場面での登場が多い。
ただ、今回の彼は非常に三枚目な役柄で、女性には「キュート」に映るらしい。奥さんもここ最近の汚い、カッコ良い路線の彼よりも今回の役柄の方が好きだ、と言っていた。私的には、「トゥエルヴ・モンキーズ」のときのようなぶっ飛びや「ファイト・クラブ」のときのカッコ良さを評価するのだが……。
トータルで考えれば、非常に見所、笑い所豊富で文句なく面白い映画だった。
2001.4.20
食べるとことは、どういうことなのか?
昨日、テレビで大食い&早食いの特集をやっているのを観た。一日に3Rも大食いや早食いをこなして勝ち抜いていく、ということをやり、翌日ラーメンの早食いで優勝を決めるという。観ているだけで気持ちが悪くなってくるような食いっぷりだった。
私も良く食べるということでは人後に落ちないという気でいるが、あそこまで食べると、健康上問題が出てきそうだ。まぁ、私のレヴェルなど、一回の食事にご飯を二合から三合食べるくらいのものなのだが。奥さんは、生涯で最も食べたのは、高校生の頃の炒飯大盛りともやしそば一杯だったという。その日は夕飯を食べることは出来なかったらしい。
昨日のテレビだけでなく、この手の番組を見ていて面白い事を発見した。こういった大食いや早食いが得意? な人たちというのは、皆華奢な人が多いということだ。以前観たホットドッグの早食いチャンピオンも、非常に小柄で痩せていた。昨日の出演者も皆痩せた人達ばかりだった。プロレスラーやお相撲さんのような体型の人々は、大抵の場合予選で敗退している。
このような傾向は、確かに身近なところでも見ることが出来る。
私の所属するジムの選手たちは、びっくりするぐらいの量をペロリと食べる。彼らの場合は、毎日激しい練習で極度に消耗しているから、当然といえば当然だ。しかし、暇なときはのべつ食べている印象がある。彼らと試合などの観戦にいくと、出かける道すがら、コンビニに寄ってはお菓子だのパンだのおにぎりだのと食べている。試合会場でもお菓子や弁当などを食べている。帰るときも、来るときと同じように食べつづけているのだ。
余暇の少ない彼らにとって、食べることは楽しみの最大のものなのだ。「試合の後、食べちゃいけないと言われたら、ボクはすぐキックを止めます」と語った若い選手の言葉がそれを如実に物語っている。一日に五食食べただとか、どれだけ食べたなどということが彼らの主要な話題なのだ。
確かに、たくさん食べることが出来れば、一度の食事で多くの美味い物が食べられるだろう。それが非常に幸せであることは確かだ。学生時代、宅急便の配送センターでアルバイトをしていた頃は、一度に五合のご飯に500g以上の肉をおかずにしていたが、食べるときの喜びは筆舌に尽くしがたいものがあった。
しかし、これでは食費がいくらあっても足りないだろう。他で倹約しても、すべて食費で飛んでしまう。これでは、楽しい毎日とは言い難い。食べるだけではなく、美味い酒を飲むことにも情熱を傾けるとすれば、酒を入れるスペースも胃袋に残しておきたい。
過ぎたるは及ばざるが如し。何事もほどほどが良い。
2001.4.19
ケツの下、丁度大腿骨と骨盤が繋がる部分というのは、意外に肉離れし易いものだ。
先日、私が指を削った日、スポーツクラブでストレッチをしていた奥さんがビッコを引きながらやってきた。「開脚を目一杯して体を前に倒したら、ケツがパキッと鳴った」というのだ。それを聞いた瞬間にピンきた。肉離れだ。彼女は、その報告の後、さらにストレッチを続けた挙句、再びケツをパキッと鳴らして、怪我をさらに悪化させたのである。
このケツの下の肉離れというのは、私にも経験がある。キックを始めたばかりのころ、練習前のストレッチをしていて、やはり開脚からの前屈でやってしまったのだ。しかも私の場合は両ケツだ。はじめに左足方向へ体を倒したときにピリピリッという音が、かなり長く続いた。ヤバイ!と思いつつも右足方向へも倒した。ここでも同じような音がした。
脚を閉じて立ち上がろうとしたときには、すでに冷や汗が出るような痛みがケツを覆っていた。その後も痛みを我慢しつつ練習を続けた結果、全治までに一ヶ月以上かかるというハメに陥ってしまった。この痛みは、日常生活にも支障をきたす。何か物を落としたときにしゃがむことが出来ないのだ。また、クッションのない、硬いイスに座ることなど、まさに地獄の苦しみだった。
幸いにして奥さんの場合は、それほど深刻なレヴェルまで達してはいなかったため、怪我から三日経った現在、ほとんど痛みを感じることなく日常生活を送ることが出来ているようだ。それでも、一昨日ぐらいまでは、かなり痛かったらしく、動きはスローモーで、常に痛い痛いと呟いていた。
このケツ下の肉離れは、ケツ下から大腿骨の関節部分を押すようにして圧迫しておくと痛みが和らぐのだが、このような怪我に効果的なサポーターがない。部分的にみても、サポートし難い場所であるのは分かるが、スパッツのような物を見ても、大腿部の筋肉をサポートするものはあってもケツをサポートしてくれるものはないのだ。「これなら、きつめのガードルを穿いたほうが効く」と奥さんが言うとおり、美容のためにケツをサポートする物の方がずっと効果的なのだ。
ストレッチは、準備及び整理運動のカテゴリーに入る。そんなところで怪我をしてしまっては、まったくもってバカバカしい。準備のときは、体の様子を見ながら、体を温めつつ時間をかけて行うべきだろう。勢いをつけてグイグイやるものではない。整理のときも、クールダウンと筋肉の硬化を防ぐのが目的だから、呼吸と汗の出具合などを確かめつつ行うことが望ましい。
また、運動の前後だけでなく、入浴前後などの日常でも続けることによって、体の柔軟性を促進するだけでなく、怪我の防止にも効果を発揮すると思う。曲げるとき(筋肉や筋を伸ばすとき)は息を吐きながら、というのは、誰でも知っていることだが、勢いをつけてグイグイやるよりは、静かにゆっくりと曲げることが肝心なのだ。こうすれば、筋がいきなり伸ばされて怪我をすることもない。
肉離れというよりは、ケツの話になってしまった。
2001.4.18
昨日報告した左薬指の傷だが、血がなかなか止まらない。
というわけで、バンドエイドなしで出血がなくなるまでは、キックの練習は控えなければならなくなってしまった。さらに、スポーツクラブでの水泳も、傷がふさがるまではダメになった。これからしばらくは、ランニング・マシン(初めて使う)とエアロバイク、ウェイト・トレーニング中心のメニューを組まねばならない。これに縄跳びとシャドウを組み合わせれば、そこそこのトレーニング量になるだろう。
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エクストリームの原風景というのを思い起こしてみた。
はじめの風景は、斜面をダンボールなどで滑る、というものだろうか? おそらく今見れば、大した角度ではないのだろうが、当時は非常に急角度な斜面であったように記憶している。同じような風景に、斜面のような場所に設置された、長い滑り台というのがある。これは途中で階段の踊り場のような段が設けてあって、そこを通過する際、尻が宙に浮き、ほぼ初めてのジャンプを体験した。
自転車に乗れるようになったのは、幼稚園の年少の頃だったろう。それから小学校を卒業するまでに、三台の自転車を廃車にする、という過激なライディングぶりだった。それは今の過激さに確実に繋がっている。斜面のようなところを猛スピードで下ることは、この頃からすでに行っていた。
斜面を登る、というクライミング系の原風景も幼稚園時代からあった。コンクリート製の、ほぼ垂直に近い角度で立つ、10mほどの壁を素手で登るという、かなり過激な行為を楽しんでやっていた。足がかりや手がかりがなくなり、途中で立ち往生することもあった。二進も三進もいかなくなると、手を離して、脚だけで斜面を滑り降りるという、今考えると非常に危険な行為も行っていた。
海に関しても、ボディ・サーフィンの真似事は、やはり幼少の頃からやっていた。まだ何の意識もないまま、ただ波に体を乗せることで波打ち際まで戻ってくるときのスピード感を楽しんでいた。また、川の滝状になったところを体で、あるいはゴムボートで下る、という行為も行っていた。
こうしてみると、子供が考えるような単純な行為を、大人が真剣に取り組むことがエクストリーム系のスポーツなのかもしれない。
2001.4.17
小さな頃から、刃物に興味があった。織田信長が桶狭間の合戦に持参した刀というのを見たことがあるが、背筋が寒くなるような妖しい力を持っていた。
幼稚園にあがる頃、父から「肥後の守」という、日本特有のナイフをもらった。これは、外国でいう「フォールディング・ナイフ」と構造的には同じだ。ブレードとグリップのナイフが折れ、ブレードがグリップの中に収納されるタイプだ。しかし、海外の物との決定的な違いは、肥後の守はすべてにおいてシンプルである、ということだろう。グリップは、金属製の一枚板を折り曲げただけの構造で、ブレードを固定する装置もついていない。
東京の田舎の方に住んでいた幼少の頃は、このナイフが非常に活躍した。虫取りや魚釣り、サリガニ取りなどなど……。枝を払い、木を削り、魚をさばき……。私のサヴァイヴァル能力は、この頃から培われていたらしい。この間、何度も自分の手を切ったり削ったりし、便利な反面、非常に危険な道具なのだということを学んだことは言うまでもない。
人に刃物を渡すときは、自分がブレード側を持ち、相手にグリップを向けるという基本的なエチケットもこのころ学んだ。父にナイフを渡すとき、このマナーを守らないと、手を思い切りはたかれたのだ。その後、映画などで拳銃の扱い方などを見て気づいたのは、拳銃の場合も、相手に渡すときはグリップを相手に向けるということだ。飛び道具にしろ刃物にしろ、武器は相手に敵意を示さないためにも、このようなマナーがあるのだろう。
刃物の研ぎ方というのを学んだのは、刃物の使い方に多少は慣れてきた小学生の頃だ。自分の肥後の守を、砥石で研ぐ。これも父から学んだ。この技術は今もしっかり生きていて、我が家の包丁は、すべて私が研いでいる。
長々と引っ張ったが、メインはここからだ。昨日の晩、夕食の支度をしているときだった。プッタネスカを作ろうと重い、私はニンニクのスライスを素早く作っていた。どうやら、注意力か集中力が散漫だったらしい。気づいたときには、自分の左の薬指をスライスしていたのだ。素早い包丁さばきにもかかわらず、自分の指を削った! と感じたときにしっかりと包丁の動きが止まった。おかげで、薬指は完全に削られずにすんだのであるが。
こういうときというのは、怪我した本人は意外に落ち着いているものである。そばで見ていた奥さんの方がうろたえていた。すぐさま傷口を抑え、止血。その後バンドエイドで固定。しかし、アルコールは体内を巡っているし、その前に約1kmは泳いでいたから、血がなかなか止まらない。傷口の下を輪ゴムで縛ってやっと血が止まった。
当然ながら、スライスされたニンニクの一部には、私の鮮血が飛び散っていたことは言うまでもない。奥さんは猛反対したのは言うまでもないが、どうせトマトソースの中に入れば同じような色なんだから! といって、強引に血染めのニンニクを私は鍋に投入した。その日のプッタネスカは過去最高! の美味さだった。きっと私の血が、いいダシになっていたのだろう。
2001.4.16
週末は予定通りハードなスケジュールで、しかも昼夜逆転であったから、さすがに今日は眠い。
金曜日、深夜11時半に弟と共に出発。先ずは私の運転だ。深夜の高速道路というのは、車の流れ自体は非常に良好なのだが、なにしろトラックが多い。走っている車の90%がトラックと言ってもいいだろう。しかも、すごい勢いで走っているのだ。120km/h平均、中には150km/h以上出している剛の者もいた。
驚くべきことに、そういうトラックたちは、車間距離が恐ろしく狭いのだ。20mを切る車間距離で、三台四台と連なって走っている。遅い車に追いつくとパッシングや右フラッシャーなどで煽りまくる。横風やギャップなどでフラついてもおかまいまく突っ走っていく。深夜の高速道路で、深刻な交通事故が絶えないのも仕方がないと思わせる、奇妙な迫力があった。
そんなトラック軍団が突っ走る中、我々はのんびりと左車線を80〜90km/h平均で走った。というのも、弟の車は、パリパリの新車なのだ。回転数を3000rpm以下に保つことを心がけて走ったのだ。ディーゼル・エンジンでターボなし、最高出力が100ps以下のくせに4WDという非力な車なのだが、シートや装備は豪華という走りに徹した車ではない。だから、最高出力が出る4000rpmまで回しても、大したことはないのだが……。
途中、3回のトイレ休憩をしながら、名古屋を過ぎたのは、出発から約四時間後の三時半過ぎであった。次の大きなサービスエリア、尾張一宮で給油及びドライヴァー交代を行った。ここからは、弟がノンストップで大阪を目指す。私は後部座席へ移動して、熟睡体勢に入った。次に私が気づいたときには、車は既に大阪市内に入っており、最終目的地である堺インターを目指していた。
まだ、目的地に着いてもキャリアを取り付けてくれるボート屋は当然開いていない。しばらく仮眠をとることにし、目的地まで20分くらいのところにある、東大阪SAへ入った。そこで約三時間仮眠を取った。その後ボート屋へ行き、取り付けを見物することになるのだが、これがまた一筋縄では行かないシロモノだったのだ。
毎年、冬に行われるフィッシング・ショウというのがある。次年度製品の展示会だ。ここで、弟が見つけてきたのが今回取り付けるキャリアだったのだ。構造は、電動ウィンチを利用してほとんどリモート・コントロールでボートを車の屋根の上まで運ぶという、非常に画期的なアイディア商品だ。普通のボート・キャリアは、車の屋根の後方寄りに設置する。最後部のキャリアはローラーになっており、ここにボートの前部をのせ、下から人力で押し上げるというものであった。アルミ製のフィッシング・ボートは、装備その他を合わせて、車に乗せるときの重さは、60〜85kgくらいだ。これを人力で挙げることを考えると、今回のキャリアがいかに画期的かが分かる。
ところがこのキャリア、アイディア商品というだけあって、大阪の小さなボート・ショップのオリジナルでしかも手作りなのだ。当然ながら、各部品は現場での調整が必要だ。単純に屋根に取り付けるだけなら、30分もあれば終わってしまう。しかし、可動部が多く、それらの接合部分などの擦り合せが大変で、11時くらいから始まった作業は、結局3時近くまでかかった。
しかし、交通費と燃料代を払い、なおかつ20万円以上の値段のキャリアを付けるだけの価値は十分にあると思う。「練習」として、店のボートを上げ下ろしすることを何度かやったが、使い慣れてくればそれぞれにかかる時間は10分以内だろう。特に釣りが終わって疲れた体でボートを屋根に載せることは辛い。それを考えただけでも、付けてて良かった! と思うことが何度もあるだろう。
帰りは弟が先に運転だ。片方が運転中は、もう片方は仮眠する、という方法で、給油を除けばほぼノンストップで帰る計画を立てた。走り出してすぐに私は眠りの世界に引き込まれた。気づくと滋賀県内であった。しばらく弟と話をした後、再び睡眠。結局、浜名湖まで寝た。そこで給油および交代。ノンストップで東京までもどった。
回り癖がついたエンジンは、最大パワーを引き出せる4000rpmまで回せるようになったが、御殿場付近などの長くダラダラと続く上り坂では、回転数は4000まで回らず、アクセルを床まで踏んでもジリジリとしか加速しない。追越をかけようとしたときに、丁度このような場所に差し掛かったときは、後ろの車に追いつかれ煽られまくったが、ジリジリとしか加速していかないから、本当にまいった。この先、ボート屋装備を積み込んで走ったときのことを考えると、ちょっと心配になるパワーのなさだった。
結局、9時半過ぎに帰宅したのだが、奥さんはダンスのレッスンへ行って不在。昨日の夜から断っていたアルコールを摂取することにした。寝不足の体に染み込むアルコールは、格別のものがある。あっという間にいい気持ちになり、疲れと眠気がどっと襲ってくるのだ。この気だるさと闘っているときが何ともいえない気持ちよさで、しばらく陶酔の時間を過ごした。
何はともあれ、無事に行って帰ってくることが出来たので、弟が報酬代わりに持ってくることになっていたバーボンを忘れたことも我慢しよう。ロングドライヴ自体には、昔からラリーなどをやっていたから支障はないのだが、私が運転していたのはずっと暗い時間帯だったので、景色を楽しむことも出来ず、非常に退屈なドライヴであった。次は(もうないと思うのだが)明るい時間帯の担当になりたいものだ。
2001.4.13
今晩から明日にかけて、ハードなスケジュールが待っている。
夜半、おそらく12時くらいに東京を出発し、夜通し高速道路を突っ走り、大阪まで行く。大阪では、バスフィッシング用のアルミボートを車の屋根に載せるためのボート・キャリアを取り付ける。取り付けが完了したら、とんぼ返りで東京へ戻ることになる。
日本のバスフィッシングは、かなりの広がりを見せているとはいえ、その中心は、山梨県の河口湖と滋賀県の琵琶湖、茨城県の霞ヶ浦だろう。その中でも、商品開発におけるテストやシェイク・ダウンが盛んに行われているのは、何といっても琵琶湖だ。ボートにおける周辺機器(ボート・キャリアも含まれる)は、琵琶湖を控える関西圏の企業が非常に強いようだ。
河口湖は、日本のプロ協会の本部が置かれているということや、有名プロの店があるなどの理由で聖地のような雰囲気があるが、湖の規模やその釣りのスタイルから言えば、私の評価はあまり高くない。湖の規模やブラックバスが棲むための本来の環境からいっても、霞ヶ浦や琵琶湖は関東と関西の中心的存在だ。
私の弟が、この春アルミ製のバスボートを購入するに至り、ボート・キャリアを関西まで取り付けにいくのだ。数万円のキャリアを取り付けるために、わざわざ高速代と燃料代を使い、往復1200キロメートルも移動するというのだから、考えなくても非常に無駄な行為と言わざるを得ない。
オーナーの意向で、今回の移動を含めたスポンサーでもあるから、文句を言うことは出来ないのだが、なぜ私が借り出されなければならないのか? 釈然としないものを感じる。今シーズンは、彼のボートで釣りが出来る! と思えば、いいだろう。関東近県だけでなく、八郎潟や関西圏の湖にも遠征できるのだ。
明日の夕方、帰るとすぐにキックの練習が待っている。そちらの方がきついかもしれない。
2001.4.12
演奏をする側の心持を書いたが、聞く側の心持というのも考えてみた。
音楽を「トータルに聴く」ということができない。どういうことかというと、アンサンブルだとか、トータル・サウンドだとか、要は合奏という意味でトータルに聴けないのだ。ベースというリズム楽器をやっていたこともあり、最初に聞くときはベースとドラムスにどうしても耳がいってしまう。同じ曲を聴く回数を重ねるごとに、別の物にフォーカスを当てて聴く。結局、トータルに聴くことはほとんどないといっていい。
ライヴ演奏を聴くときには、だから苦労するし、損をした気分にもなる。どこにフォーカスを当てるか迷ってしまうのだ。大抵はベースの音しか追いかけてはいない。だから、同じミュージシャンのライヴを立て続けに梯子することになる。
以前、マイケル・ブレッカー(ts、EWI)がマイク・スターン(g)を加えた自己のバンドで来日した際には、二日レンチャンで聴きに行った。初日はマイケルとマイクにフォーカスを当て、二日目はベースのジェフ・アンドリュースにフォーカスを当てた。
ボブ・バーグ(ts)とマイクのバンドのときは、一晩2ステージ(入れ替え制)を連続で聴いた。このときは、違法録音を敢行したので、どちらのステージもベースのジェフとデニス・チェンバース(ds)を聞いていた。帰ってからボブとマイクを聴きなおしたことは言うまでもない。
アドリヴは出てくる端から消えていく儚いもので、その場その場を楽しめればいいのかもしれないが、ニューヨークに住んでいるならともかく、外国のミュージシャンの演奏はある程度記録に残して聴きなおしたい。このようなライヴ・ハウスでは、違法録音を敢行する以外に記録に残す手段はないのだが、もちろんチェックは厳しい。そのくせ、スタッフたちは自分たちの楽しみのため(レア物を所有する優越感かもしれない)に、密かに記録に残していることが多い。中には秘密に映像に残す、という悪辣な輩もいる。
実は私もその手の違法海賊版的映像や音源をいくつか所有している。学校の先輩が、某有名ライヴ・ハウスのスタッフで、先輩のルートから入手したのだ。これは、非常に貴重な映像&音源で、研究資料として大変参考になった。
話が横にそれてしまったが、私の場合、集中できる環境で音楽を聴くのが「トータルに聴く」ことを阻害しているようなのだ。車を運転しているときのBGMとして流れている音楽の方が、トータルに聴くことができる。ナヴィ・シートにいるときはダメだ。景色も話も吹っ飛んで、音楽集中モードに入ってしまう。
酒でも飲んでリラックスしたら? なんて思うこともあるが、こういう状況で聴いていても、何時の間にか目を閉じて集中モードに突入していることが多い。楽器を演っていた時期があり、無謀にもアマチュアよりも上のレヴェルを目指していた時期が仇となり、一般的に言うリラックスした状態で音楽を聴くことができない、という哀しい習性を身に付けてしまったようだ。
2001.4.11
中国から輸入されるネギ、椎茸、畳表に緊急輸入制限がかけられるという。
この安い製品の輸入量が増加している背景には、日本の商社が関わっている。日本から、種などを輸出して、味や風味を日本風にしたものを輸入するという方法なのだ。これには、中国の安い労働力が大きな貢献をしているのだが、このような方法は今に始まったことではないと思う。
たとえば家電製品。東南アジアの国々に工場を作り、安い労働力を使って生産し、国内需要だけでなく輸出をも賄っていた。外国の安い労働力を使うことによって、コストの削減や安価な製品を作ることは、ずっと昔からやっていたことなのだ。身近なところ(私にとって)では、自転車だ。GIANTはメイカーとしては確立された地位にあるが、トップレヴェルの競技車を台湾で生産することによって、他のメイカーの同等車を遥かに下回る価格で市場に提供している。
農業生産物について考えてみると、かつてアメリカ合衆国との間で「貿易摩擦」を起こした米と牛肉がある。もちろん、不当に(?)安い価格で輸出される電化製品も問題になっていたが。このときは、米や牛肉の市場開放が問題の焦点であった。高い関税をかけることによって、国内生産された物との価格差を無くすという、今回の輸入制限と同じ方法がとられていたのだ。
こうして考えていくと、日本の国内生産物(農産物、工業性産物を問わず)のコストが非常に高いということが問題なのではないだろうか? と思えてくる。海外へ行けばわかるのだが、人が生きていくために必要な物は、先進国であっても価格は抑えられている。しかし、日本の場合は物価のレヴェルが高すぎるのだ。
1ドルを120円に換算して考えると、合衆国での1ドルと日本での120円の価値の差はかなりあるような気がする。1ドルで買えるものは結構あるが、120円で買えるものはほとんどないといっていいだろう。10ドルと1200円で考えれば、その差はもっと開いていく。
物を作るのにかかるコストが高くなるのは、その生産方法に問題がある。大量生産の仕組みを小規模な農家でも採用することによって、設備投資は膨らみ、国からの補助などを必要とするという。そのくせお城のような家に数台の外国製高級乗用車を所有する農家が少なくない。供給される側とはまったく関係ないところで金の流通が頻繁になることによって、供給される側に生産物が回ってくる頃には、本来の原価に余分な中間価格が付いてくる。
日本で作られる物は、ブヨブヨと脂肪を大量につけて太った状態にあると言える。
政府による先導でも何でもいいのだが、物価のレヴェルをガンと下げ、貨幣価値を現状で留めるようにすれば、我々の暮らしは楽になり、なおかつこの不況の世の中も吹っ飛ぶのではないだろうか?
2001.4.10
Snapple(確かこういうスペル)という飲み物がある。
350mlほどのずんぐりした瓶にはいっている、紅茶やピンク・レモネードなどの清涼飲料水だ。これを飲んでいると、アメリカの熱い気候を思い出す。もう随分前に、フロリダでバス・フィッシングをしたとき、前のライヴ・ウェル(要は生簀。競技などで、バスを生きたまま計量するため、本格的なバス・ボートには必ず前後に二つ付いている)に氷を満たした即席のクーラーボックスには、必ずこのSnappleのアイス・ティが入っていた。
アメリカの飲み物だから、ご多分に漏れず極端な味付けだ。非常に甘く、極端にレモンの味が効いている。しかし、垂直に近い角度で照りつける太陽光線に焼かれ、かく汗がその場で渇いていくような、典型的なフロリダの春の気候の中では、その極端な味が妙にマッチしている。バドワイザーなどの薄目のビールなどもマッチしないことはないのだが、これは釣りが終わった夕方の方がずっと美味い。
日本では当たり前となっているが、アメリカ合衆国では「アイス・コーヒー」というものがない。冷たいコーヒーと牛乳のハーフ・アンド・ハーフを無性に飲みたくなることもあるが、そういうときはアイス・ティで代用するしかない。あとはコーク(アメリカでコークといえばペプシだ)や100%果汁のジュース類といった飲み物しかない。
ハワイの気候にもはやりSnappleはよくマッチする。こちらは、景色の色彩の鮮やかさと合わせて、ピンク・レモネードがいい。ビーチではアルコールが基本的に禁止だから、どうしても清涼飲料水になってしまう。チェリー・コークというドクター・ペッパーに似た味のするコークも捨てがたい。ハワイのビーチでは、Snappleかこのチェリー・コークが定番だ。
アルコール禁止のビーチだが、持ち込む手はいくらでもある。私がよく使うのは、ミネラル・ウォーターのペットボトルにジン・アンド・トニックを作って持ち込む、というものだ。アメリカでは、トニック・ウォーターが1リットルのペットボトルで売られているから、ビーチに持ち込むときはどうしてもトニック・ウォーターを使ったアルコールが多くなる。大抵はジンかラムをベースにしたカクテルに、ライムを生で一個持っていく。これなら色からはアルコールだと分からない。
暑い気候の場所では、食前酒はなんと言ってもライト・タイプのビールがいい。ジョッキ一杯が100円前後だから、ビール好きにはたまらないだろう。私は一杯空けたら、あとはバーボンだ。こういう気候の場所に住むアメリカ人は、食事中はなんとSnappleのアイス・ティを飲んでいる人が結構いる。なんでも極端な味付けが好きな彼らだから、これも選択肢としてはアリなのだろう。1kgのステーキにジョッキ二杯のアイス・ティ。考えただけでも満腹感が襲ってくる。
2001.4.9
友人から借りていたデジタル・カメラの借用期限が切れた。
というわけで、期限ギリギリのところでやっとChuteの改造後の画像を収めることが出来た。左右からの全体像と、前後のディスク・ブレーキのアップを写したので、今回は結構画像の多いページとなった。パーツを選んだり揃えたりする過程で、色というものに頓着しないことが多い。その結果、とんでもない配色になることもあれば、見事にマッチした配色になることもある。
今回のChute改造計画の結果は、幸いにも後者であった。フレームの色がイエローとグレーのツートンである。そこにPsyloのシルバーとディスク・ブレーキのブラック&シルバー、ホイールのブラック・グレーがマッチして、非常に戦闘的なイメージを出している。そこに太いタイヤのブラックがさらに戦闘マシンとしてのゴッツさを強調する。
乗って楽しいのは当然だが、画像にして眺めるのも、また楽しい。
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バジル、ミント、ローズマリーといったハーブ類の消費量が、我が家では結構多い。
どうせなら、自分で作ろう! ということになり、季節も丁度種蒔きの時期でもあることから、ホームセンターなどで物色を開始した。ローズマリーやミントは、多年草であるため、ある程度育った株(苗)を買うことにした。でなければ、苗の間に、あっという間に食べ尽くしてしまうだろう。バジルは、最も消費量が多いのだが、残念なことに一年草だから、種蒔きから始めるか、目が出たばかりの苗を大きく育てるかになる。
どちらにしろ、プランターや土などが必要になる。また、毎日の水やりや肥料など世話をすることも考えると、結構大変そうだ。奥さんは、鉢植えなどを買っても、あっという間に枯らしてしまう、という特技の持ち主だから、早くも勝手に私を「植木主任」に仕立て上げ、料理することと食べることに専念する構えを見せている。
私としては、主任任命に依存はない。元来好きなことの一つだから、一度始めてしまえば楽しくなって、色々な試みをするようになるだろう。今のところ、ハーブのほかに朝顔を育てたいと考えている。そのうち、別の物も思いつくだろう。凝ったガーデニングをするつもりはないのだが、やるからにはやはりある程度本格的なベランダ・ガーデニングを目指したい。
今から楽しみな我が家のベランダである。
2001.4.6
Jazzにおける演奏者の心持というのを考えてみた。
JazzをJazzたらしめた人々たち……マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズ、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーンなどなど。彼らが演奏していた頃は、非常に内向的だったような気がする。求心的と言い換えてもいいだろうか? 演奏の方向が自分の内側へ向いているのだ。自分のための演奏であって、バンドとして、グループとしてのトータルな演奏というものを目指していたようには思えない。
ビル・エヴァンスの名盤「Portrait of Jazz」に収められた名曲「Autumn Leaves(枯葉)」を聴くと、私が書いている意味が分かるかもしれない。この曲は、前奏→テーマ→ベース(スコット・ラファロ)のソロ→ピアノ(ビル・エヴァンス)のソロ→テーマで構成されている。最初からかなりの緊張感を持って始まるのだが、ベース・ソロに入ってその緊張は一気に高まる。
普通、ピアノはこういったとき、ソロの邪魔にならない程度にコードなどを遠慮がちに入れるだけなのだが、このセッションでは、ビルはいきなりソロ・フレイズの断片を弾いている。一瞬戸惑ったようにスコットのソロが途切れているように聴こえる通り、まったく何の打ち合わせもなくこのような展開になったのだろう。断片であったフレイズは、徐々に音数を増し、スコットを煽るように(早く終われ! というように聴こえる)激しさを増す。後半部分では、どちらのソロか分からないほどだ。
煽って煽って、煽りまくって、解放されたようにビルのソロに雪崩れ込んでいくところは、まさに鳥肌もののカッコ良さなのだが、そこからは周囲のことを見向きもしないビルのソロが続く。ビルの演奏する姿というのは、多くの写真に残されているが、咥えタバコで完全に下を向いた格好なのだ。この姿が象徴するように、彼の演奏というのはまったく内側を向いている。
ジョン・コルトレーンが競演した人々とのエピソードにも同じような内向きのベクトルを感じることが出来る。デューク・エリントン(だったと思う)と若かりし頃のジョンが競演した。すでに自己のビッグ・バンドでJazz界の巨匠となっていたデュークとの競演に、感動と大変な緊張で臨み、ジョンは音が伸びない。そこでデュークがピアノの音をちょっとハズしてやった。そこからジョンの音は伸び伸びとしていく。
時は経ち、ジョンはテナー・サックス奏者として、巨匠と呼ばれる立場になった。マイルスと別れ、自己のバンドをジョンは結成した。そこにピアニストとして雇われたのはマッコイ・タイナーだった。ジョンがデュークと競演したときと同じ緊張をマッコイは感じていた。しかし、ジョンはそんなマッコイを気遣うことはせず、自分の世界に入っていった。
この頃のミュージシャンで、バンドのトータル・サウンドを考えていたのは、おそらくマイルスだけだと思う。Jazzとは、当時、それほど内向きの音楽であったのだ。修行僧のような……と言ったら分かりやすいか?
現在のミュージシャンの演奏を見てみると、非常に楽しげに演奏している。曲の途中で目と目と合せて(このアイ・コンタクトは非常に重要。ソロの長さなど打ち合わせていないから、ソロを終わるときは、他のメンバーに合図を送って終わる)微笑み合ったり、人が弾くソロを聴いていて、面白いフレイズにニヤリとしてみたり……。遊んでいるわけではないのだが、昔の人々と比べると、どうもシリアスさに欠ける気がするのだ。
入手できた映像などで確認する限り、現在のミュージシャンで内向的な演奏をしているのは、ごく限られた人数(パット・メセニー、ジョン・スコフィールド、ボブ・バーグなど)だということだ。
自分の場合はどうであったか?
思い返してみると、他人の演奏中は、そのソロを真剣に聴き、何か変化があれば即座に対応できるように身構えていた。自分のソロのときは、頭の中を真っ白にして弾いていたように思う。集中モード全開というヤツだ。内向的だったり求心的だったりするのだが、それは自分の演奏だけでいっぱいいっぱいだったということだ。ということは、演奏を楽しむというレヴェルまで達していなかったと言って良いだろう。
しっかりとした基盤の上に立った内向きの演奏と、自分のことで手一杯の内向きの演奏では大違いだ。
2001.4.5
予定通りのスケジュールで、免許の更新とトレーニングをこなした。
やはり、スポーツクラブというところは面白い。昨日はサーフィン人間というのを発見した。小柄だがきちんと鍛えこまれ、その上見事に日焼けしたサーファー(おそらくプロかプロ志望)がトレーニングをしていたのだ。そのトレーニングというのが非常に実戦的で、見ていて気持ちのいいものだった。
彼のトレーニングは、マシンによって下半身を鍛えた後、ボディビルディング用のフラット・ベンチ(背もたれのない長さ1m50cmほどのベンチ)にダンベルを持って腹這いになり、パドリングをするというものだ。ボディビルディングのトレーニング方法に則った人々の中で、彼だけが異彩を放つ存在であった。その後プールにも姿を見せたが、サーフパンツ姿はビキニ・タイプの水着の中でやはり異彩を放つ存在であった。
腹筋の際には、腹筋板(梯子状の骨組みに板を引っ掛ける。引っ掛ける場所によって負荷を変えることが出来る)を使わず、ベンチに脚を乗せて行い、軽いダンベルを持ってシャドウ・ボクシングをする……私もサファーくんのことをとやかく言える存在ではないのだ。
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今、職場では密かに「霊」について語られている。
これは、ぞの存在云々ということではなく、社内に「出る!」という内容だ。私の課には、霊感の強い後輩が一人いるのだが、前々から「ここは出そうだ」という場所を特定していた。その場所に出た! という情報が入ったのだ。この後輩は、非常に霊感が強く、出張先のホテルで一晩中「女の霊」と過ごしたり、「上半身のない霊」に高速道路で追いかけられたりと様々なシチュエーションで霊に遭遇している。
彼が特定した場所というのが、トイレや給湯室だ。このような水周りというのは、霊が出やすいそうだ。その他、部屋の隅(角になっているところ)は、やはり霊が溜まりやすい場所であるという。部屋の隅は、ライトなどで明るくしておくことが予防策として効果的なのだそうだ。自分の部屋なども、角になった部分は明るくしておく方が良いという。
さて、社内の情報だが、誰も呼んでいないエレベータがなぜか動き出したり(出る! と特定された階へ)、警備員が食事中に突然後ろから首を絞められたり、という何とも恐ろしい物だ。この手の話に弱い私は、表面上はポーカーフェイスを装いつつも、内心では鳥肌立ちまくり状態になった。
会社自体が別の場所へ移転する噂が出ている現在、噂が現実になり、早く移転してほしいと痛切に願わずにいられない。
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クィネルの本を読み終わった。Book Reviewに感想をアップした。
2001.4.3
閃きだとか、アイディアについて考えてみた。
よく言われることだが、閃きは、その場で形にしておかなければすぐに忘れてしまう。このホームページのように小説や雑文を書いていると、あるときネタが閃く。手元にメモなどいつも用意しているわけではないので、何時の間にか忘れてしまうのだ。小説などでは、前々から温めていたアイディアやネタを使うことはあるが、そういった物を整理しておくためにも、やはりネタ帳みたいな物は必要だろう。
しかし、閃き的に浮かぶアイディアは、その瞬間に、かなり具体的な形にしておかないと、その後使おうと思ったときにうまく使えないのだ。閃いたときの感覚と使おうと思ったときの感覚は、時が経つと共に変化するし、忘れられてしまう。
以前、ネタ帳らしきものを使っていたときがあるが、メモされたネタのほとんどは使えないシロモノだった。後で読み返してみると、非常に陳腐なものに思えてくるのだ。私の場合、書きたい場面や行為、気持ちなどが先にあって、ストーリーなどは後から肉付けする形で小説を書く。非常に感覚的、衝動的なネタが多いのだ。したがって、思いついた、閃いたその場で書かないと、どうにもネタを温めておくことが出来ない。
私の場合、アイディアの浮かび方というは、映画のスクリーンを観ているような感じで、突然映像が脳裏を走る。数秒のときもあれば、数分のときもある。これをネタ帳に書き留めるのは至難の業だ。何より書くスピードが、頭の中の映像のスピードにまったく追いつかないのだ。その映像が何度でもプレイバックできればいいのだが、ほとんどの場合、それは不可能だ。プレイバックできないから閃きというのかもしれないが、それを逃したときの失望感は非常に大きい。
このような閃きは、音楽の場でも出てくる。ジャズのように即興的にフレイズを繋げていく場合は、譜面が読める・書けるという能力は非常に重要だと思う。私などその能力がないから、練習しているときに、非常に気に入ったフレイズを閃いても、それを形にすること(譜面に下ろすこと)が出来なかったのだ。「録音」という手もあるが、一時間も二時間も連続で弾き続けられる中のほんの数秒から長くて数十秒だ。これではテープが何本あっても足りない。
本番の演奏は大抵テープなどに残されるが、そのステージの中でどれだけ満足のいく演奏が出来ているか? と考えながら聴くと、ほとんど聴くに堪えない演奏であるという結論になってしまう。そんな理由もあって、私は自分の演奏を聴くということをほとんどしない。非常にハイ・テンションで、最高に気持ちのいい演奏が出来た! と思っても、後から聴いてみると、不満だらけになってしまうからだ。
アドリヴ演奏など、音が出るそばから消えていく、儚いものなのだ。
閃きやアイディアを職業的に湧かせる人は、大変だろうと思う。それが飯の種なのだから、そのうち搾り出すことに慣れてしまうのかもしれないが、やはり「産みの苦しみ」は大変なものだろう。作家などが、締め切り前にホテルなどに缶詰めになることがあるが、逃げ出したい! と何度も思うだろう。週刊誌などに連載を抱えている作家、漫画家、コラムニストなどは、どういう精神活動をしているのだろうか?
一年に大作を一つ、などということができるのは、やはり大家と呼ばれる身分になってからでなければ無理だろう。作家になろう! と思ったことは私にもある(今も微かに野望はある)が、このホームページの毎日のネタに困るような器の小ささでは到底「長編の量産」など無理なことだ。
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明日は警察署へ免許の書き換え(失効まであと4日)に行く。その後はジムかスポーツクラブでトレーニングすることにているので、このページの更新はお休みします。
2001.4.2
さすがに年度末&月末という一年でも最も忙しいときを迎えて、職場でコソコソと更新できず、二回目のサボとなってしまった。
週末は雪が降る、などという信じられないような事態となった。埼玉県の川口では、雪が積もったなんていう話を聞いた。私はといえば、昼過ぎから震えながらキックの練習に行った。たっぷり二時間半、汗を流して外へ出てみると、本当に積もりそうな勢いでボタン雪が降っていた。4月の声を聞こうというとき、お花見はどこにしようか? などと相談しているときに、天気も人々の希望を打ち砕くようなことをしてくれる。おかげで、一転晴れ渡った昨日は、桜のあるところ、どこもかしこも人でいっぱいであった。
さて、土曜日に話は戻る。この日仕事であった奥さんと、最寄駅で待ち合わせをし、家に帰った。駐車場から家までの途中でトラの野良猫を見つけた。私は、実のところあまり猫が好きではない。普段ならダッシュで追いかけ、猫が驚いて逃げ惑うところを見て楽しむのである。しかし、寒さのためそのような元気はなく、きまぐれに「ニャ〜ン」と猫の声を出してみた。
するとどうだろう。野良も「ニャ〜ン」と鳴き返して、我々の後を付いてくるではないか! そして、家のドアの前まで来ても立ち去る気配を見せず、鍵を開けて中に入ろうとすると、我々よりも先に部屋へ入ってしまったのだ。奥さんが「あっちへお行き」のようなことを言ってもまったく聞こうとはせず、部屋の中を見渡している。私が外に出て、呼んでみると、彼(女?)はやっと外へ出てくれた。
猫嫌いの私に懐くとはどういうことだ? という話になった。動物はそういうところが非常に敏感で、自分を嫌う人間には懐かないものなのだ。私は完全に犬好きで、猫を見れば脅しつけるタイプだ。にもかかわらず、懐くとは……。私が発した「ニャ〜ン」が、猫の言葉で何かを意味する言葉に偶然合致してしまったのだろうか? ともあれ、部屋を暖めつつそんな話をしていると、ドアの外から私を呼ぶ野良の声がするではないか!
ドアを開けずに、魚眼レンズから外を見てみると、ドアの外に座って首の後ろを後足で掻いている野良がいる。しかし、ここで中に入れてやるわけにはいかない。心を鬼にして無視することにした。
そうこうするうちに、奥さんがダンスのレッスンに行く時間となった。駅まで車で送ることにし、恐る恐る部屋を出てみると、よかった、野良の姿はない。安心して彼女を送り、部屋へ帰ってきた。鍵を開けようとポケットを探った。そこへ「ニャ〜ン」という声。飛び上がらんばかりに驚いた。何と音もなく野良が私の足元に座っているではないか! 猫は犬と違って足音を立てない。こういうとき、死ぬほど驚かされるのだ。
「ここはおまえの家じゃないんだよ」というようなことを言い聞かせても、野良はまったく理解する様子もない。ただ私を見上げて「ニャ〜ン」と鳴くだけだ。そして隙あらば私の足元を掻い潜り、部屋への侵入を狙っている。結局、野良を抱えてマンションの外まで連れ出し、ダッシュで部屋へ帰る、という甚だ疲れる作業を行った。鍵を開けて中に入るときに振り返ってみると、野良はもう私の背後で座っていた。
さっとドアを閉めて、心にたいそう痛みを感じつつ無視する。Jリーグの試合をテレビで観戦し、その後クィネルの本(読後、Book Reviewにアップ予定。あと数日)を読んでいると、奥さんから、迎えに来いという電話が入った。10分後部屋を出るときには、ドキドキものだったが、野良の姿は見えなかった。ホッと胸をなでおろしつつ、駅まで迎えに行く。帰る途中、野良の話を奥さんにしたのだが、彼女は、飼うなら野良はイヤだ、という。私も猫を飼う気は毛頭ない。
そんな話をしつつ戻ってくると、ドアの前には……野良の姿はなかった。やっと諦めたか、と思う間もなく「ニャ〜ン」!!! 夫婦で野良に言い聞かせ、お引取り願った。
呪われているんじゃないか? 普段の私の行動を考えれば当然だ。何かの生まれ変りで、何かメッセージを持ってきたんじゃないか? 最近、知り合いで死んだ者はいない。「鶴の恩返し」の猫ヴァージョンか? その後彼をかまっていないので、恩返しされることはない。などなど、多くの意見が飛び交い、夕食の場は非常に白熱した議論の場となった。
結果として、突然寒くなったので、野良はどこか暖かそうなところで一晩過ごしたかったににがいない、ということになったのだが……。ミルクくらいやっておけばよかった(しかし、野良は野良とは思えないほど太っていた)、と少し後悔している。
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