2000年10月分
2000.10.31
ここ数日、季節は一気に冬という感じになってきた。
寒さが極端に苦手な私は、既にサーマルの長袖をシャツの下に着込んでいる。このサーマル。これからの季節、私にとっては手放せないアイテムとなっている。軽い、薄い、暖かい…と暖かな下着の条件をすべて満たしている。
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イスラエルでは、とうとうガザ地区においてイスラエル軍のヘリによるミサイル攻撃が始まってしまった。
「目には目を。歯には歯を」のハンムラビ法典ができた地域のことであるから、報復が報復を呼び、収拾がつかなくなる恐れがある。しかも、長い歴史の中で培われてきた憎しみは、国を代表するトップ会談での合意などまったく意味を持たないものとするだろう。
これでパレスティナ側のテロ行為が再開されれば、ここ数年かけて取り組まれてきた和平への動きも元の木阿弥となってしまうだろう。いつ中東全体を巻き込む紛争に発展してもおかしくない状況に逆戻りするわけである。
こうなってしまうと、世界経済に及ぼす影響も無視できない。原油価格の高騰を抑制するために、OPECは50万バーレルの増産を決定したが、中東情勢の不安は原油価格を押し上げる働きをするから、多少の増産など焼け石に水となってしまう。
アメリカの備蓄取り崩しとアラスカ産原油の増産がカギとなりそうだ。
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以前、美味しいイタリアンを簡単に作るという話題を書いた(2000.10.11参照)。今回は中華料理についてちょっとしたポイントを書こうと思う。
その1:シナ鍋は熱く
やはり美味しい中華を作るには、シナ鍋が必要となる。しかも、うんと熱くして料理する必要がある。コンロで温めまくって、煙が立つくらいに熱した状態から料理はスタートするのだ。
その2:味の基本
中華の炒め物系では、外してはならない隠し味がある。生姜、ニンニク、ネギ(白い部分)だ。これを微塵切りにしたものを、先ずは熱いシナ鍋で炒める。こうすることによって、油と鍋に何とも言えない風味が広がり、中華独特の味や香りを形成する大元となるのだ。
その3:最後の締めは胡麻油
ガシガシ炒めて、お皿に上げる直前に胡麻油をちょいと垂らす。2〜3度煽ってできあがり。この最後の胡麻油が、コクと風味にさらなる重厚さを加える。
その4:料理人の腕力
シナ鍋は重い。良いシナ鍋になればなるほど重い。これに食材の重さが加わり、鍋を煽るという行為には結構な腕力が必要だ。野菜から出る水分を適度に飛ばす必要があるから、この煽りは非常に重要な技だ。べちゃっとしたできあがりにならないためにも、腕力強化は必須である。
その5:野菜はやや固め
腕力でも触れたが、べちゃっとしたできあがりの原因として、炒めすぎがある。野菜のしゃきしゃき感を残すためにも、ちょっと固いかな? というぐらいでお皿に上げるのがいいと思う。後は余熱で柔らかくなる。
2000.10.30
実に久しぶりの更新になってしまった。
山梨県に出張していた。山間にある県だけあって、県内での温度差がすごい。甲府で24℃近くある日でも、河口湖や大月では3〜5℃も気温が低かったりするのだ。また、清里方面へ行けば同じような現象が見られる。山中湖近辺では、9月の声と同時に「コタツ」が登場するという。
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香菜(シャンツァイ)という植物がある。別名コリアンダーとも呼ばれる。アジアを中心とした広い地域で食材として使われている、非常に強烈な香りを持つ植物だ。
強烈な香りとは、カメムシの発する臭い液の匂いとそっくりなのだ。口に入れたときの匂いの広がりは、カメムシを噛んだらきっとこうだろうというくらい強烈なシロモノだ。まさに「苦虫を噛み潰す」感覚だろうか?
ところが、この「カメムシ草」も慣れてくると病み付きになる。インド料理では、ガラムマサラと並んで欠かせない香辛料であるし、中華料理では、焼き蕎麦やビーフンなどでも使われる。サラダなどに生のまま使われることも珍しくない。私もはじめて食べたときは、こみあげる嘔吐感に耐えるだけで精一杯だったが、今では美味しく頂いている。
人間は時としてとんでもない食材を考えるものだ。くさやの干物やブルーチーズ、北欧の腐った魚の缶詰……。人間は本質的に臭い物が好きなのだろうと思う。日本では水商売系のお姉さん方の御用達として名高いクリスチャン・ディオールの「ポワゾン」にはウンコの香りも含まれているという。
日本の植物の中にも強烈な香りを持つ植物は少なくない。オオバ(紫蘇)や茗荷は代表選手だ。私はこの二つが非常に苦手だ。似たような植物にイタリアンで頻繁に登場するバジルがあるが、こちらは得意中の得意である。どちらも同じようなものだという指摘を受けるのだが、私の中ではまったく別物として分類されている。
また、納豆も嫌いな物の中ではナンバー・ワンだ。これが食卓の上にあるときは、食事をしないというくらいに嫌いだ。
臭い物は好きだが嫌い。人間とは複雑である。
2000.10.13
今日は13日の金曜日だ。それに気付いて、隣の後輩に声をかけてみた。「それがどうしたっていうんですか?」と至極そっけない返答をいただいた。
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ちょっと変わったスパゲッティ・ペペロンチーノに挑戦してみた。
奥さんが「激辛・青唐辛子」というものを入手してきたのだ。これをにんにくとエシャロットの微塵切りともにオリーブオイルで炒める。塩&黒胡椒で味を整え、パスタの煮汁を少し加えてアルデンテまであと30秒のパスタとともにフライパンで熱しながら絡める。
最も簡単で、最もシンプルなだけに、美味しさにバラつきが出てしまう実は難しいパスタだが、昨日はそんなことが吹き飛んでしまうような衝撃に見舞われた。メチャクチャ辛いのである。激辛物が得意で、めったなことでは音を上げない私も、パスタを残してしまった。
タイで使われる非常に小さいが、メチャクチャに辛い唐辛子も生で食べることができる私だ。しかし昨日は、舌は感覚がなくなり、唇まで痺れた。眼の下に汗をかき、頭の天辺は湯気が出るほど熱くなった。見てくれも香りも完璧に美味しさを表現しているというのに、味は火を吹くような辛さ。
ブービートラップに掛かった気分だった。
2000.10.12
「カッコよさ」ということについて考えてみた。
私の中では、中学生のころに出会った大藪春彦の小説がトラウマのようになっている。いわゆる「大藪ヒーロー」というやつだ。頭脳明晰、強靭な肉体、いい男とまさに「強い男」の条件をすべて備えている。サラリーマンという自分の身の上を考えても「蘇る金狼」の主人公、朝倉は理想だろう。
気持ち的には、使い古された言葉となってしまうが、いつまでもティシャツとジーンズが似合う体型でいたいと思う。そのための努力は惜しんでいないつもりだ。体を鍛え、よく日に焼いて「褐色」の肌を保っている(地黒だという意見もある)。
服について。現在はいわゆるファッション雑誌というものが氾濫し、そこでどう考えても作為的としか思えないような流行が作り出されている。しかしながら、結局自分にあったタイプを見つけ出すには、金を遣って成功と失敗を繰り返すしかないと思う。ただ雑誌に掲載されている組み合わせやパーツを着ても皆と同じになってしまう。
お金を遣って自分で試す、ということは何も服に限ったことではない。食事も酒も同様だろう。衣食住すべてが充実してはじめて現れる「オーラ」というものがあると思う。
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今年の夏、海に行く前日のことだ。風呂に入ろうと思って、扉を開けると、バスタブに座って「下のムダ毛」を処理している奥さんと目が合ってしまった。手元を良く見てみると、なんと私のシェイバー(2枚刃)を握っているではないか!
昨日、洗面台の前で「脇のムダ毛」を処理している奥さんと、鏡の中で目が合ってしまった。手元をよく見てみると……。今日はノースリーブのスェーター姿だった。
カッコよくいるということは大変なことだ。
2000.10.11
来週から2週間、出張が決まった。スタートして間もないこのサイトであるが、丸々2週間も更新が滞ってしまうことになる。出かける前に、できるだけ読み物を増すようにがんばるつもりである。
イタリアン・フードが好きだ。日常食べる物であれば、ほとんどの物をご家庭で作ることができるということをご存知だろうか? 我が家では「パスタなど、わざわざ金を出して食べに行くのはバカバカしい!」と言い切るほど美味しく作っている。
若い頃から金を使って色々食べ歩いた者がこう言っているのだから、確かである……と思う。
ポイントはトマト・ソースだ。これをベースに様々なヴァリエーションを展開することができる。グルメ本などには玉ねぎを微塵切りにして……などと複雑なレシピが掲載されているが、そんなことをしなくても、簡単に美味しいトマト・ソースはできる。
Chute家 トマト・ソースのレシピ
ホール・トマトの缶詰(イタリア産が望ましい)(2缶)
にんにく(適量)
生バジルの葉(多め)
オリーブオイル(当然extra virgin)(かなり多め)
上記を鍋に入れて約30分ほど煮込むだけだ。水分が飛んで、グツグツしてきたら塩と黒胡椒で味を整える。非常に簡単だと思うのだが、いかがなものだろうか? このソースをベースに色々な名前のついた料理を作るのだ。
茹でたパスタにこのソースを、フライパンで温めながら絡めれば「スパゲッティ・ポモドーロ」
ズッキーニ、玉ねぎ、ナス、ピーマンとともに煮込めば「カポナータ」
鷹の爪、にんにく、アンチョビーをフライパンで炒めてソースを加え、黒オリープ(カットしたもの)とケッパーを加えてパスタとからめれば「スパゲッティ・プッカネスタ」
薄切りにしたナスをオリーブオイルで軽く焼いて皿に敷き、ソースをかけてその上からとろけるチーズ(パルメジャーノやモッツァレラでもOK)を載せて電子レンジで5分で「ナスのグラタン」
こんな感じで、いくらでもご家庭で美味しいイタリアンをお楽しみいただける。ソースさえ作り置きしておけば、あとは材料を揃えればOKだ。パスタのアルデンテ加減が問題だが、これは少々固めで大丈夫。ソースに絡めている間に丁度良い加減になる。
2000.10.10
イスラエルでは、イスラエル側から勧告された「最後通告」の期限が迫り、パレスティナ住民との間に緊迫した空気が漂っている。PLOとしても、この勧告に屈した形で暴動停止の指令を出せない。イスラエルとしても、どんな手段に訴えても暴動を抑え込む、としているが、国際世論や合衆国をはじめとする調停に乗り出してきている国の手前、そうそう強硬な態度をとることはできない。
双方二進も三進も行かない状態に追い込まれている。
なぜこれほど争わなければならないのか? その歴史的・宗教的原因は根深い。その原因についての言及はここでは省くが、歴史的に見て「神の名の元」で最も多くの血を流してきたのは、宗教問題である。
このパレスティナ問題において、過去和解の動きがなかったわけではない。古くはエジプトのサダト、記憶に新しいところではイスラエルのラビン。しかし、こうした動きは双方の急進派閥や狂信者たちによって阻止されてきた。どちらも暗殺されてしまったのだ。
パレスティナのみならず、セルビアや北アイルランドなど宗教に根ざす対立というのは非常に複雑で根深い。私のようなほとんど無神論者の日本人には、表面的なことはともかく、本質部分にいたってはとうてい理解できないだろうと思う。
世代が代われば、解決できるのではないか? という声も聞くが、無理だろうと思う。確かに現在ではパレスティナ問題が発生した当初(イスラエル建国以来の)からの者が指導者としての立場にある。しかし、実際に行動を計画し実施しているのは次の世代を担う者たちなのだ。本来の目的(パレスティナ人によるパレスティナ国家樹立)から逸脱し、いくつもの派閥に分かれ、闘うことが目的にすりかわってしまい、闘うことによって自らの派閥の存在意義を見出す。
闘い続けなければ、生きられない。哀しい運命だ。
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連休中は大工仕事、家族を引き連れての墓参、念願の夏冬衣替えと何だかんだと慌しく過ごした。昨日は衣替えの後、ちょいと一眠りのつもりが半日昼寝で過ごしてしまった。目覚めた後の虚しさ。無為に過ごしてしまったというもったいなさが残った。
昨夜は夕食後「スマスマ」を見た。ビストロ・スマップの後、ブレイク・ダンスのコーナーで、挑戦者組だった人達。彼らは、実はダンスの世界では神様的存在な方々。奥さんなど、狂喜乱舞状態。彼女は片方の人(通称ビートさん。クルクル回っていた人)の生徒。やれ友達に電話だ、ビデオに録画するだ大騒ぎであった。私としては、その後登場したJB! に感動したが。
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もうお気づきの方々もいるかと思うが、このサイトは休日の更新がない。そう、私は会社でコソコソと更新しているのである。決してヒマではない環境の中で、その厳しい状況の隙間を縫っての更新だ。暖かい、広い気持ちで見守ってやっていただきたい。
2000.10.6
イスラエルのガザ地区ではまだまだイスラエル入植者とパレスティナ住民との対立が燻り続け、セルビアではミロシェビッチへの謀反とも思える行動が放送局や警察に現れ始めている。
そんなこととはまったく関係なく、今日は弁当の話しを少し。
今年、千葉の房総方面でブレイクした「チャーシュー弁当」というのがある。木村拓也と工藤静香がサーフィンのためにそちら方面へ出掛ける際、必ず食べるということで話題になったのだ。テレビや雑誌でも紹介されたらしいが、私はキャッチできなかった。上記は奥さんがキャッチした情報だ。
我々も海といえば房総方面なので、この夏はその弁当を試してみた。お弁当屋さんの入口には、さりげなく拓也くんの写真(カラーコピー)が貼られていたり、「房総名物 チャーシュー弁当」の幟などがあるので、国道を走っていればすぐに分かる。
その結果(点はすべて5点満点)。総合評価4、量5、味4といったところだろうか。見てくれはプラスティックの容器一面にご飯。その上にチャーシューが隙間なく並べられ、特製のタレがかかっている。容器の角に申し訳程度の漬物がある、という極めてシンプルというか無愛想な姿だ。
味は砂糖だの味醂だのといった甘い系統の調味料を多用した料理が嫌いな我々夫婦にとっては、非常に好感の持てる味付けとなっている。ボリューム的にも問題なし。冷めても美味いと、最近の弁当の中では非常に評価の高いものとなった。
このお弁当屋さんは、房総方面に広く展開しているチェーン店である。思い起こしてみれば、私が亀山ダム(これも房総半島の中にある)にブラックバスを釣りに行き始めた15年くらい前(まだ野田知祐氏が亀山ダムに住んでいた)からこのお弁当屋さんはあった。店の奥に厨房があり、一目でちゃんと作っているのが分かり、雑誌や飲み物、お菓子なども品揃えされた弁当メインのコンビニ的お店である。
懐かしい友に再開したような気分になった。
ちなみに、ここの隠れたオススメは「トンカツ弁当」と「イカフライ弁当」だ。どちらもチャーシュー弁当と構成は同じだ。さらには「特製 焼きおにぎり」もグッド。唐辛子が効いたピリ辛が食欲をそそる。
今日はなんだか、宣伝になってしまった。
2000.10.5
そろそろ、冬物と夏物の入れ替えをしなければならない。
先日、奥さんがi-Mde対応の携帯電話を購入した。面白がってWebページに接続しまくったらしい。わざわざメールまで私の会社に送ってきた。よほど嬉しかったのだろう。しかし彼女曰く、あっという間に電池切れになる。画面が大きく、カラー表示もできるため、消費電力が通常の携帯電話より遥かに多いのだ。
省電力モードにしておくことが必要だ。しかし、省電力モードでは画面が相当な暗さとなってしまう。便利さや技術の力を享受するためには、それ相当の代償を払わなければならない。
私の携帯電話は、形だけに惹かれて買ったIDOのG-ショック・モデルだ。しかも古いヤツ。メール機能もEZ-WEBも使っていない。私にとっては携帯電話といえど、あくまでも電話は電話でしかないのだ。メールもインターネットもPCからで十分だ。
着メロというヤツも嫌いだ。以前使っていたNokiaでは、スコットランド民謡(バグパイプの有名な曲)を使っていたが、珍しいという理由だけだった。今は携帯電話が世に出た頃からある「ピリリリリリ...」という呼び出し音にしている。
ちなみに、このNokiaというメーカー。地元フィンランドでは相当手広くやっているらしい。自転車の世界では名の通ったNokianというタイヤメーカーは系列の会社であるという。ダウンヒルやスラローム系のタイヤとしての評価は非常に高い。
この間都営地下鉄のポスターで見かけた「煩さに 曲まで憎い 着メロディ」というキャッチが気に入っている。というのも、職場で常識のないオヤジ(50歳以上)からこの手の被害を受けているからだ。
こういう人に限って電車の中などで着信しても、大声でしゃべっていつまでも切らない。私など電車の中でうっかりマナー・モードにし忘れた携帯電話が鳴り出すと、恥ずかしくてオロオロしてしまう。
こうして私は世間から取り残され、I'm old fasioned ! などと負け惜しみを言うようになるのである。
2000.10.4
世の男の方々というのは、どうして彼女を連れていると気が大きくなるというか、カッコいいところを見せようとするのか?
昨日は都内某所で久しぶりにストリート・ファイトに及んだ。
茶色の長髪に真っ黒な肌のお兄様。金髪にこれまた真っ黒な肌、気色の悪いメイクのお姉様。
彼は、満員電車の中で彼女との愛のスペースを確保するため、座席とドアの三角地帯を中心に腕を突っ張っている。そのために彼のリュックを胸から顔面にかけて押しつけられた私に大変な迷惑をかけていたわけでるが……。しかし彼らは、愛のオーラの中にあってそのことにまったく気づかない。電車が揺れたチャンスに私が肩で思いきり押して、そのスペースを潰したことが彼の逆鱗に触れたらしい。
電車を降りろだの、ぶっ殺してやるだの、罵詈雑言の嵐。二十歳を越すか越さないかの年端も行かぬ小僧のたわごとと聞き流そうと思っていた。そのうちにヒジやヒザで小突きまくられた。
こうなれば私も応戦するしかない。次の駅で彼らと共に電車を降りた。
それにしても彼は運が悪すぎた。昨日の私はジム帰りで体がすこぶるキレる状態にあったのだ。格闘家になる前は、たっぷりストリート・ファイトの経験を積んでいる。相手が悪すぎたのである。
勝負はまさに秒殺。胸座を掴まれて引き寄せられる勢いを利用して、容赦のない右ヒジを頬骨の下へ叩き込む。流れるように左ヒザを垂直に蹴り上げ、それは彼の鼻の下に吸い込まれた。
彼女の前で面目丸潰れな上に、怪我までしてしまった彼。すまなかった。
かなり自己嫌悪に陥っている私であった。
2000.10.3
私はシャイで人嫌いである。
人とのスタンスというか距離感というものを考えてみた。これは、気持ち的なものだけではなく、実際の距離も含む。例えば、人と話すときの距離感。親しいか親しくないかで気持ち的な距離感の長短は自ずと決まる。問題は実際の距離感だ。
すぐ目の前に立って(顔to顔で50cm以内)話されるのは、どうかと思う。人それぞれ、自分の持つ距離感というのがあるだろう。目が悪い人は近づかなければ相手の顔がハッキリ見えないかもしれない。非常に大きな人と話す場合、あまりにも近いと圧迫感で息が詰まることだろう。それに見上げなければならないから、首も疲れる。また、あまりにも遠ければ、独り言のようになってしまう。
私はどちらかといえば、結構長めのスタンスを取る方だ。手をいっぱいに伸ばしても、相手に触れないくらいの距離は最低でも置いておきたい。
こういう距離感にまったく無頓着な人というのもいる。私の勤務先では喫煙スペース(社内は禁煙なのだ)に椅子がない。したがって、みな灰皿の近くにたたずむことになるのだが、その人はどんなに混雑していようとも、灰皿の一番近くに必ず立つことにしているらしい。
そうなると、その人が立つ前からそこにいた人は、いきなり自分の顔50cm向こうにその人の顔を見ることになる。しかも、誰彼かまわず話しかけるのだ。私など、そんなときには左右のモミアゲが逆立つような違和感に襲われる。すごすごと場所を明渡すことになる。
それが同僚や後輩であれば、蹴りの一つも入れようというものだが、重役であるところが哀しいところだ。今日も私はすごすごと後ずさりする。
2000.10.2
昨日は勤務先のグループ会社によるサッカー大会であった。
結果は1回戦は5−0と快勝。私は、公式戦では実に17年ぶりに、左足で得点を取った。しかもペナルティ・エリア外からのミドル・シュート&先取点とかなり満足のいく得点だった。試合後、チームのみんなも「オレ達って、強いぜ!」とか「2回戦もいただきですね!」などと喜び、昼飯をガッツリ食べて余裕ぶちかましだった。
ところがいざ2回戦目が始まってみると、コテンパンにやられた。前半を終わって0−4と既に諦め状態。さっきまでの自信満々な態度は、米粒以下の大きさに萎んだ。さらに後半には3点取られ、結局我がチームはせっかくもらったPKを外し、0−7であえなく敗退したのだった。
今日はチームの皆さん、筋肉痛で動きが緩慢である。
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