タッチの妙
楽器を演奏する際、いわゆる「タッチ」にはやはり個人差が大きく出る。
これは何も鍵盤楽器や弦楽器、打楽器に限ったことではないのだ。ラッパの類でもその差は感じることが出来る。大凡の傾向として、若いミュージシャンほどタッチが荒いようだ。これが「溌剌とした」だとか「元気の良い」などという形容詞で賞されることもあるが、なんと言っても「繊細な」タッチの方が聴いていて気持ちが良いし、落ち着いていられる。
録音媒体や大きな会場でのライヴではその「すごさ」が分からないのだが、プロのミュージシャンが楽器を「生(なま)」で鳴らす音は、想像を絶するほど大きい。特にラッパ系の楽器は、生音を聴くとその大きさにビビることだろう。肺活量や腹筋の強さは並大抵のものではない。こういうところにプロの違った凄みを感じる。
ギターにしても生で鳴らす音は大きい。以前、マイク・スターンのライヴを聴いたときのことだ。
このときはいわゆる「かぶりつき」に近い距離で聴くことが出来たのだが、マイクが曲の合間にヴォリュームを0にして弾いている音(指慣らしや癖。彼は常に弾き続けていないとダメらしい)は、非常に大きく、私やその後ろの席の人にも何を弾いているかハッキリと分かるほどだ。当然ながらピックの消費量も多く、削れたピックは次々と床に捨てられていく。その捨てられたピックは、私のポケットの中に収められたことは言うまでも無い。
私はベーシストだから、ベースのタッチには人一倍煩い。
アコースティック・ベースは、録音や音響技術の進歩とともにその演奏は変わってしまった。昔のように、マイクから直に音を拾っていた時の演奏は、非常にパワフルであった。弦高も現在と比べると非常に高く設定されていて、力一杯ピッキングしても指板に弦が触らないようになっていた。この強いピッキングがスゥイング感の源だと信じている。
現在では、アコースティック・ベース用のピックアップが出来たおかげで、ベーシストのピッキングは非常に弱くなってしまった。力一杯弾かなくても、機械が音を拾ってくれるのだ。こうなるとベーシストは堕落していく。弦高を落とし、早いパッセージのフレイズを弾きたがるようになるのだ。それはテクニックが向上したわけではなく、楽器が早く弾くことに適した状態になっただけなのだ。その分、不必要なサスティンが歯切れの悪いベース・サウンドとなって、スゥイング感を殺してしまっている。
エレクトリック・ベースの世界では、20代で完璧なタッチを身に付けていたのは、やはりジャコだけだろう。マーカス・ミラーも非常に繊細なタッチを若い頃から身に付けていた。「超絶技巧」などといわれたジェフ・バーリンやマーク・キング(レヴェル42)などは、確かに様々な技を繰り出すが、タッチが殆ど同じであるから、そのうちに飽きてくる。
現在のジャズシーンへの愚痴のようになってしまった。
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