小説風 波乗りの風景


朝六時。目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。

まだ眠っている彼女の横で、僕はそっと身体を起こして目覚まし時計のスイッチを切った。以前、スイッチを切り忘れたことによって、彼女からこっぴどくやられたことがトラウマとなっているのだ。なるべく音を立てないように着替えを済ませると、バルコニーに出た。

バルコニーの木製の柵に、横にして立てかけてあった9.5フィートのロングボードを静かに横たえる。ストロベリーの香りがするワックスをデッキに満遍なく塗りこめていく。この香りをかいでいると、つい食べたくなってしまう。しかし、脂っぽいだけで何の味もしないことは良く分かっている。

リーシュ・コードがしっかり固定されているかをチェックすると、ボードをあちこちぶつけないように注意しながら部屋へ入れた。一旦チェストに凭れさせておいて、玄関のドアを開け放つ。廊下へボードを出しておいて部屋へ戻ると、彼女の額にキスをして、僕は出かけた。

陸軍博物館脇の道を通って海に向かう。公園やビーチの清掃員の他は、ジョギングや散歩をする人が見られるだけで、さすがにビーチは空いている。遥か沖合いのブレイクには、ラッキーなことに先客の姿はない。かなりの距離があるから正確ではないが、大体5フィートくらいの波が立っているようだ。

波打ち際から2メートルほどのところでボードを水に浮かべる。リーシュ・コードを解いて、足首にしっかりと固定する。砂浜は水の中ではほんの僅かで、すぐ先からは珊瑚を主体とするリーフだ。腰ぐらいの深さまで歩いて出られる日本の海は楽だ。ブレイクも遠くないし、ワイプアウトしても下が砂だと分かっていることほど精神的に楽なことはない。

砂を蹴って、僕はパドルアウトした。これからしばらくは、修行僧の荒行のようにひたすらパドルしなければならない。距離にして約300メートル。時間にしたら15分ぐらいだろうか。ポイントに到着するころには、ウォームアップ以上の良い運動となっている。

パドルアウトしてしばらくは、殆ど波の影響は受けない。沖のリーフでブレイクした波は、そこで大半の力を使い尽くしてしまうからだ。よほど大きなセットか、沖でブレイクしなかった波が時々インサイドまでやってくるだけで、楽に沖まで出て行ける。

周りを見渡してみると、左手にはダイヤモンドヘッドが、右手には遥か遠くにマリーナが見える。マリーナの沖も良い波が立つのだが、こちらはかなり浅いのでワイプアウトすると傷だらけになる。ダイヤモンドヘッドの方から登った太陽が、かすかにオレンジがかった光を一杯に投げかけてくる。もっと高く上ると、殆ど透明な黄色い光になるのだが、日差しの強さはあまり変わらない。

僕はヒートしてきた筋肉と肌を冷やすために、一度ボードをローリングさせて海の中に頭まで潜った。火照った身体に、朝の海水が気持ち良い。

いい加減パドリングにウンザリし始めたころ、ブレイクしていく波の音が聞こえてくる。ビーチからの目算よりはやや大きめの、6フィートくらいの波が定期的にセットで入っている。ブレイクの音に力づけられて、波のピークを迂回するように最後のラストスパートをかけた。

リーフでブレイクする波は、砂の海底と違って形が安定しているから、いつも決まったところで盛り上がりブレイクする。スウェルが入る方向で崩れる方向が右になるか左になるかが変化する。僕はレギュラー・フッターだから、今の季節のように左から右へ向かって崩れる波は大歓迎だ。

やっとの思いでブレイクのアウトサイドへ出ると、しばらくは肩の筋肉を休ませるためにボードの上に座って休憩だ。ちょっとストレッチなどをして、これからの激しいパドリングに備える。そんなことをしているうちにも、4フィートから6フィートくらいの波が間歇的にやってくる。既に心も身体もアドレナリンが充填されて、興奮状態だ。

沖のほうからセットがやってくる。一本飛ばして二本目に乗ることを決める。波はやや厚めだ。一本目をやり過ごして素早くボードを回すと、波にスピードをあわせるためにパドリングを開始する。ピークの手前でうねりに乗った。一旦フェードするために左方向へテイクオフする。左へ流れながら立ち上がると、ピークの状態を見ながらボトムターン。

ピークが崩れる寸前の絶妙なタイミングで、掠めるようにして通り過ぎる。ちょっとボードの前へ移動しながら身を屈めて、波の中に手を突っ込んで減速する。ホレ上がった波が巻いて作ったチューブ状の空間に入った。波が崩れる音以外は波も聞こえなくなる。波のトンネルの先に、チラリとダイヤモンドヘッドが見えた。周りは青く透明な壁が続く。

波にレールが食い込んで加速するボードは、一瞬でトンネルを抜けた。僕はそのままボードの先端まで歩いていき、左足を先端にかけた。ハングファイヴ。さらに右足を踏み出してハングテン。意外にボードは安定しているが、飛び込み板の先端に立っているようなものだから、微妙にバランスを取らないと即ワイプアウトだ。

ボードの先端に全体重が掛かったため、ボードの加速は止まった。追い越しそうになっていた波が追いついてくる。ボードの先端を浮かしたり沈めたりしながらスピードを調整する。多分一度もカットバックしないでロングライドが出来そうだ! ロングボーダーの最大の幸せ。

100メートルも乗っていると、さすがに波の力がなくなった。僕はボードのテイルを思い切り沈めて、クルリと右にターンした。ボードは波を乗り越えて、裏側にプルアウトした。興奮に心臓は早鐘を打ち、耳にはまだ波の崩れる音が残っている。

ふと見上げると、太陽はダイヤモンドヘッドの上で黄色くなっていた。


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