海が汚い!
リーフでないから、エメラルド・グリーンやコバルト・ブルーの海の色を日本の海に期待しているわけではない。しかし、それを除いても日本の海は汚い。今回は海と海岸への日本の思い違いを指摘してみたい。
日本の海岸は、全体的に暗い印象がある。これは、南の島がリーフで形成され、それが砕けたために出来る「真っ白な砂」で形成されているのに対して、砂の色が黒っぽいことに起因している。こればっかりは自然環境の差であるから、どうすることも出来ない。また、同じ理由で海の色も全体的に暗い色合いにならざるを得ないのだ。
しかし、誰でも知っているワイキキの砂浜というのは、実は人口の砂浜なのだ。元々は砂浜の無い、いきなりリーフに繋がるような土地であったらしい。非常に古いワイキキ近辺の写真(ビショップ・ミュージアムなどにある)を見ると、そのことが良く分かる。
見た目のハンデを背負っている日本の海だが、それ以上にダメダメなのが、そこを利用する人間や地元の人間の、海を「リスペクト」する気持ちの欠落だ。千葉にしろ湘南にしろ茨城にしろ、どこへ行っても必ずといって良いほど、砂浜にはゴミが目立つ。数人の心有る人々が拾って間に合うような量ではないのである。
ゴミ箱やそれに類するものが設置されている場所も少ない。また、あったとしてもそれは、そこを訪れる人の数には到底見合うことは無いような数でしかない。私が普段利用している千葉のポイントは、ただの一つもゴミ箱が無いのが現状だ。こういったところでは、自分が出したゴミは自分で持ち帰るのが基本であるが、それが守られている気配は無い。
では、南の島、ハワイではどうであろうか?
ワイキキのような一大観光地では、海の整備は非常に徹底している。毎早朝、多くの人がゴミ集めや砂の整備(砂を足したり、トラクターなどで均したり)をしている。また、地雷探知機のような金属探知機を利用して、砂の中に埋まった金属なども人力で回収されている。ゴミ箱も、ほぼ50m間隔で設置されており、利用者もゴミは持ち帰るかゴミ箱へ捨てるかを心がけているように見える。
このような観光地では、人手を割いて整備を行き届かせることが出来る。しかし、利用者の大半が地元の人々で占められるイーストやウエストの小さなビーチパークでは、ビーチを美しく保つ努力は、利用者自身によってなされている。ゴミ箱の数もワイキキなどから比べればはるかに少ないから、当然ながら利用者自身が持ち帰ることになる。一つ例をあげてみよう。
ウエストの、小錦の出身地として有名なナナクリの近くに、トラックス・ビーチパークという極小さなビーチパークがある。長さにして約300m、主のいないライフガード・タワーとトイレ、2つのシャワーがあるだけのこじんまりとした場所だ。幹線道路からの入口も分かり難く、地元の利用率が90%以上だ。ここでは午前中、数家族のバーベキューが行われている。いわゆるビーチ・パーティというヤツだ。
午前中を家族でゆったりと過ごす、非常に時間の流れが遅い空間なのだ。ほぼ毎日このようなことが行われているようだが、一体全体この人たちはいつ働いているのだろうか? という単純な疑問が湧いてくる。また、特筆すべきは、こういった人々は非常にフレンドリーであることだろう。余所者である我々もまったく問題なくビーチの風景に溶け込むことができるし、気軽に話し掛けてくる。古き良き時代のハワイアン・メンタリティを色濃く残す人々なのだ。
話が逸れてしまったが。このような家族は、お昼になるとほぼ一斉に撤収に入る。慣れているのだろう。大人から小さな子供まで含めて15人近いグループが、30分ほどできれいにいなくなってしまう。そして驚きなのは、彼らが去った後にはゴミ一つ落ちていないのである。飲んで食べて遊んで……楽しんだ後はきちんと片付ける。まさに「飛ぶ鳥跡を濁さず」である。
日本の海には禁止事項がやたらと多い。海水浴場で釣りはいけない、サーフィンはいけない、ゴミは出してはいけない、ここでは遊んではいけない……海は誰のものでもない。そこで何をしても良い。お互いに注意し合い、助け合い、楽しむことができるように努力する。これが本来の姿だと思う。
しかし、日本の海では「海の家」という悪しき存在がある。食べ物もシャワーも何から何まですべて商売と結びつけ、それも夏の間の僅かな期間だけで。それでいてビーチを美しく保とうという意識は微塵も感じられない。ビーチの管理人を気取っている割には、全くといって良いほど管理していない。
日本では、利用する側も管理? する側も海に対する「リスペクト」する気持ちが全く無い。
シャワーといえば。
南の島だけでなく、アメリカの西海岸の海もそうなのだが、常設の無料シャワーがあることは常識だ。トラックスのような小さなところでさえ、2つもシャワーがあるのだ。もちろん、どのこビーチパークも常駐の管理人などいない。おそらくは公共の資金で設置されていると思われるが、日本の海でもこうした心遣いは絶対的に必要だろう。たかがシャワーを浴びるのに、お金を払わなければならないなどという事態は、言語道断である。
まったく別の分野の話だが、バスフィッシングの世界では、有志が資金を出し合って極小さな桟橋を作っている湖がある。いつでも、誰に気兼ねする必要も無く、気持ちよく使うためには、結局このような方法で私設の施設を作るしかないのかもしれない。
またまた話が逸れていってしまったが。
海洋民族であるポリネシアンたちの海を「リスペクト」する気持ちというのは、同じ海洋民族である日本人に分からないことは無いと思うのだが、現状を見てみると「お金をリスペクト」していることはあっても、海に対してはまったくそのような気持ちが無いようだ。
第一回目から、本当に救いの無いはなしになってしまったが、私が南の島の海を愛する理由は、利用者皆がそれぞれ「リスペクト」する気持ちを持って、海が大切に守られているからだと思う。次回はもっと愉快なはなしにしよう。
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